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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

エチオピアン・ブルースクィーン

2012-05-22 05:36:59 | アフリカ

 ”Qene”by YESHI

 「え~い、とびきりリズメン・ブルーズがバイヤな今夜はファンキー・ナイトなんだ。辛気臭いアフリカ音楽なんか聴いちゃあいられねえぜ!」とか訳の分からないフレーズをウィ・インシストしちゃったのは、盤から飛び出してくるスッキリ潔い元気な音、ウダウダしないその響きがすっかり気に入ってしまったからにほかならない。
 ちなみに、聴いていたその盤がつまり、今回取り上げる一作。R&Bの文法を大々的に導入した音作りでアフリカ音楽の明日をズバリ切り裂いて見せてくれたエチオピア女性、Yeshi Demeelashの最新盤なのであって、もちろん堂々のアフリカン・ポップスなのである。

 それでも、随所にのぞくソウルな発声、コブシ回し、ホーンセクションの鳴り、ドラマーのスティックさばきなどなど、その小またの切れ上がった生きの良さに、なにやらゴキゲンな気分になっちゃってねえ。それはエチオピア音楽の伝統を生かしながら、同時にかっこいいR&Bでもある、その痛快さゆえ。
 そのかっこよさに何ごとかド外れた賞賛の言葉をかけてみたかったからだ。
 などと言いつつ、聴き進むうちに始まった、むしろアジアっぽい歌謡曲色濃厚に漂うスロー・ナンバーなんかにゆったり浸かりながら、「ああ、いい塩梅のワールドミュージックだよなあ」とか気持ちよくなっちゃっているんだから、いい気なもんですわ。

 いや、でもこれ、ほんとにスコンと抜けた痛快な一作だと思いますよ。
 何から抜けた?現代を生きるうち、いつの間にか自らの内にも揺るぎ難い価値観として住み着いてしまっている、否応なく覆いかぶさってくる、”アメリカ音楽、その世界支配”を一旦受け止め、逆にそいつをバネにして自らの血の中にある魂の音、地の霊の歌声を再生させ飛翔させること。そこに至るひとつの仮説が、ここに示されているんだと私には信じられる、そんな話なんだけどね。




エチオピアにおける爆発

2012-05-14 02:53:50 | アフリカ

 ”Ale Gena - Ethiopia”by Badume's Band

 ああ、こりゃ良いや。なんかエチオピアの新バンドらしいんだけど、あの国のアフリカ音頭というかソウル追分というか、泥絵具をに塗りたくったようなえげつなくも濃厚なコブシ&ジャンプの音楽世界が見事に躍動している。
 ”バンド”と名乗っているように、その躍動がセッション的じゃなく、タイトにバンドとしてきっちりまとまっている感じがとても良い。

 ボーカルのゼメネ女史もパワフルで泥臭くて、素敵であります。また、冒頭のサイケなフレーズで、一発でもっていってくれたギターなど、なかなか達者にバンドをリードしていて、こいつも心地好い。でも楽器のソロなど聴くと、ホントの狂気を秘めているのは、サックスの奴のような気はする。
 でも、このバンドも、楽器のプレイヤー連中はヨーロッパ白人が主体ってところがちょっと寂しいような・・・まあ、出てきた音が良ければそれでいいってことなんだろうけどね。

 収められている曲も面白いものばかりで、嬉しくなりますなあ。
 3曲目の、アタマは”五木の子守唄”みたいで、サビで”新撰組の歌”みたいになるジャパネスクなメロディなんか傑作だね。私はこの曲、ゼメネ女史が袴を履いて金の扇を持って剣舞を踊りながら歌っているに違いない、金屏風の前で、なんて図を思い浮かべながら聴いて、ニタニタしていたのさっ。



歌え、シスター!笑え、シスター!

2012-03-18 02:47:06 | アフリカ

 ”DANGER”by LIJADU SISTERS

 このところ、思いもよらなかった時と所からの良作が続くアフロ・ポップスマイナー盤発掘シーンなのだが、ここまで素敵な過去の遺産に次々に出会ってしまうと、アフリカのポップスは進化しているんだろうか?とかヤバいことまで考えてしまうのだが。だって、このやつぎばやの過去からの豊作に比べると、アフリカものの新作って、結構微妙じゃないのか?言うたらいかんのか、そんなこと。

 これもまた、そんな一枚。1970年代のナイジェリアで活躍した女性デュオの残した録音発掘である。
 なんかアフリカ版のパフィとか顰蹙覚悟で言ってみたくなる気ままで生命力溢れたコーラスが嬉しい。不揃いのようでビッタシ合っている。肩の凝りが取れるような遊びっぽさと緩さを感じさせつつ、アフリカ女性のタフさが、その背骨にはきっちりと息付いているのだ。
 この二人は、どのような立場の女性だったのだろうか。この時代のアフリカで、ここまで西欧文明の影響も受けつつ、アフリカ人女性の心の声を、こんなにのびのびと歌えるなんて、誰にでも出来たことであろうとは、まあ、思えないからだ。

 曲の一つ一つも魅力的で、アフロ・ビートやハイライフなどなど、アフリカン・ポップスの伝統の流れからヒョイと拾い出してきた感じの、何気ないけど実に現代アフリカな香気漂うメロディラインなので感心させられる。
 バックのコンパクト版アフロ・ビート、みたいなしなやかなファンク・サウンドもたまらないぞ。これ、ニューオリンズのミーターズとかと比べたらいかんのですか?
 まず飛び出してくるタイトルナンバーにおける、ジャズィーにファンキーに地を這い回り駆け回るオルガンがいい、そしてサイケなソロを延々と繰り広げるファズのかかったギターが、実にかっこいいのだ。
 
 ともかく彼女らの録音、もっと残っているはずなんで、なんとかそれらもCD化して欲しいものです。というか、LIJADU SISTERS の笑顔、というものが私は好きなんでね、スポットライトを当ててもらいたいものだ、今からでも。こんな笑い方をするアフリカ女性には、あんまりであったことがなかったものなあ。



ニジェール河の流れのように

2012-02-15 01:57:22 | アフリカ

 ”LA GRANDE CANTATRICE MALIENNE VOL.3”by NAHAWA DOUMBIA

 西アフリカはマリ共和国。かの国の南西部地方で盛んな大衆音楽である”ワスル”の大歌手であるNAHAWA DOUMBIAの若き日のレコーディングがCD化された。82年度作品。
 このアメリカのレーベルは、過去にアフリカ・ローカルでカセット・オンリーでリリースされた音源を続々とCD化して行く計画なのだそうで、いやもう、そう聞いただけで血湧き肉踊る気分だ。どんな未知のサウンドが飛び出してくるのか。

 そんな計画の、これは先陣を切って登場した一発であり、ジャケ写真のNAHAWA DOUMBIAの姿など、見ているこちらが照れくさくなるほど若い。学校の昼休みに撮ったのか、と言いたくなるような萌え~ぶりである。
 収められた音楽自体も、取り立ての果実みたいにみずみずしい輝きに満ちている。かの国の音楽を代表するような民族楽器、カマレ・ンゴレが幻惑的なフレーズをクルリとかき鳴らし、エレキギターやドラムスが続き、悠揚迫らざるリズムの流れが織り成され、そいつに乗ってNAHAWA DOUMBIAの若々しいコブシ・ボーカルがキラキラと響きわたる。

 まこと、ニジェール川の流れのごとき悠然たる音楽の本流であって、この新鮮さは眩しいほどだ。このあと、時代はワールドミュージックのブームなど起こり、ずっと騒がしいものになる。そんな時代の中でユッスーもサリフ・ケイタも、まあ芸術的ではあるんだろうけど、ずいぶんと音楽をややこしくしてしまったなあ、なんて想いも浮かんできたりする。
 これでよかったんじゃないか、実は?苦労して凝り倒したサウンドなんか作り出すよりも。生命の輝き迸るままにただ生きた歌を歌っていれば。

 え?それで済むなら苦労はない?変転する時代の中で生き残って行くとは。ああ、いや、それはわかっているつもりなんですがね。こんな音楽を聴くと、ついそんなことを考えてしまう次第で。
 という訳で、さて、次はどんな音が発掘されるんだろう、未知のアフリカから。



アフリカン・ファンク奇譚

2012-01-05 17:37:45 | アフリカ



 ”Bambara Mystic Soul”

 入院している母の見舞いに日々通っているのだが、隣のベッドの婆さんが連日、理学療法士というのか、リハビリ担当者に叱られているのに気がついた。
 なんの病気やら知らないがほとんど身動きできない状態の婆さんで、リハビリといってもベッドから寝椅子のようなものに降ろされて手足を少し動かすだけのもの。なおかつ、そのリハビリにもまるで積極的にならず、サボってベッドに戻ることばかり考えているようで、それに担当の、まだ若い療法士氏は腹を立てているようだった。

 彼は婆さんの耳元で何度も熱っぽく問いかけるのだ。なんのためにリハビリをやっているのか。病院に入院することの意義は何か。患者にリハビリを課すにあたっての、医学の理念とは何か。
 療法士氏は真面目な人なんだろう。理想に燃え、全てに本気でぶつからねばいられない熱血漢なのだろう。けどさあ。その状態のばあさんにそんな話をして、伝わるものなのかね、あなたの高邁な”正論”がさあ。
 と、病室のみんなは思っているに違いないのだが、もちろん口には出さないのだった。

 そんなばあさんの元に今日、スーツ姿の実直そうな男女が訪れた。あれれ、病院には似つかわしくない雰囲気だなあと思って見ていると、真ん中の、いかにも仕事のできそうな若い女性が婆さんの耳もとに口を寄せ、こういったのだ。
 「×××さん、××銀行でございます」
 おおおっ!と意外な展開に驚いていると、彼らは婆さんの目の前に書類を突きつけ、なにやら説明し、しかるべき場所にサインをさせる。どうやら彼らは婆さんの財産の管理を担当する仕事をしているようだった。それも、数人がかりで大仰な訪問をわざわざするくらいなのだから、ただ事ではない額の財産、と考えていいのではないか。

 彼らは財産運用に関する認可を貰いに来ている感じなのだが、婆さんのか細い「う~。あ~」という回答を聞いていると、彼らの話を理解できているとは思えない。「これ。ここを見て、×××さん。これですよ。分かる、××さん?」なんて話なんであるが。
 でもまあ、見物人のこちらがどうこう言う問題ではないわなあ。というか、財産の権利者は婆さん一人なのだろうか。あの状態でただ寝ているだけなのだから、そんなに巨額の財産はいらないだろんじゃないのか。
 欲しいよな。くれねえかなあ、俺に。

 なんてくだらねえことを考えているうちに老嬢×××の財産運用に関わる重要会議は終わり、(とうの婆さんの発言は終始、「うう。う~あ~」というだけのものだった)銀行員たちは帰っていった。そんな彼らをよく見れば、若手と言えるのは主に婆さんに語りかけていた女性社員だけであり、それ以外の連中はどいつも支店長で通りそうな貫禄の年配の男たちだった。どういう意味の人選であるのか。
 そしてその数分後には、いつものリハビリとお説教の時間が婆さんを待っていたのだった。
 
 という話とは関係ないのだが、”Bambara Mystic Soul”である。
 アフリカ音楽マニアには説明もいるまい、ドイツの物好きなコレクターが、世界ポピュラー音楽史の大舞台からは外れた20世紀の西アフリカで人知れず(?)強力無比なファンク・ミュージックの炎を上げていたローカル・ヒーローたちの録音をCD化し、世に問うた”アナログ・アフリカ”の最新作だ。

 今回は1970年代のブルキナファソ音源とのこと。この国の音楽というものを、そもそも聴ける日が来ること自体、思ってもみなかったのだが。

 どの録音も、原型たるファンク・ミュージックの枠内から吹きこぼれそうなアフリカ臭さ、奇想天外なエネルギーが横溢していて痛快この上ないことは、もう繰り返すまでもない。当方の心にやたらと引っかかってくるのは、GSっぽいエコーを伴い響きわたるギターのフレーズや、チープな音色をむしろ誇るようにファンキーなフレーズを転げ回すオルガンのインプロヴィゼイションなのだった。

 なんという。なんという素晴らしくも無茶な世界。の素晴らしさよ。



Bamana Bana Bana

2011-12-21 05:51:57 | アフリカ

 ”Kankobela of the Batonga Vol.2
(Recorded in Zambia & Zimbabwe)”

 廃品の木片や金属片を結び合わせて作った、それは手のひらの中の小宇宙。

 農作業にひび割れた指が金属片を爪弾き、しわがれた声が興の向くまま、昔、風から教わった歌を唄いだす時。小宇宙は遥か空の彼方の大宇宙と共鳴し、すべての秘密を語り始める。

 親指ピアノの”カンコベラ”はザンベジ渓谷の夢と冒険の一大ロマン。

 最近のお遊びとしては、これらアフリカの親指ピアノの演奏とジャズのソロピアノの録音とを交互に入れたものを作って車を運転しながらそいつを聴くこと。
 同じ”ピアノ”なんだからね。これでいいのだ。
 セロニアス・モンクvsアフリカの古老とか。どっちもいい勝負の深いイマジネーションの世界だ。




エチオピア・ダンス事情

2011-12-07 05:19:26 | アフリカ

 ”Ililta! New Ethiopian Dance Music”

 エチオピアの新しいダンスミュージックということで。フムフム、なかなか痛快!と聴いてはいるが、どのへんが新しいのか見当がつくほど、エチオピアの音楽は聴いてこなかったのだった。まあ、このへんが最近の流行りもの、ということなんだろう。もちろん、電子楽器と民族楽器の混交なんてのは、もはや当たり前ね。

 無骨な乗りのハチロクをドスドス地面に突き立てながら性急に突っ込んで行くリズム。日本民謡にそっくりの音階に毎度不思議な気分にさせられるメロディを野太いボーカルが吠え立てる。
 粗野にしてミステリアス、とでも言うのか、いまだに正体のわからないエチオピア・ポップス。聴くたび、なぜか「追分」とか「馬子唄」なんて言葉が浮かんでくるのだった。そんな感じだものな、実際。

 なんであんな場所に、こんなに日本の伝統音楽と近似性を感じさせる大衆音楽が存在しているのかも不思議だ。なんて初歩の段階でまだ足踏みしている私であります。



退屈する者の時間

2011-11-19 21:07:21 | アフリカ

 再び、<”From Africa With Fury:Rise”by Seun Kuti & Egypt80>に関して

 先日、「今、ワールドもの好き界隈で好評のシェウン・クティの新作アルバム、”怒りのアフリカより;RISE”が、私にはどうも皆が言うほど良い作品とは思えないのだが」と、戸惑い気味の文章を書いてみた私でありますが。

 先ほど書店に並んだミュージック・マガジン誌12月号の”クロスレビュー”のページに、なかなか小気味よい、というか私にしてみれば力付けられる文章を見つけた。それはかの雑誌編集長の高橋氏による、シェウン・クティの問題のアルバムへの評であって、そこにはこう書かれていたのである。

 <フェラ以外のアフロビートは緩急の妙というものがないものが多く、それが僕には面白くない>

 今回のシェウンのアルバムも同じだ、というのだから嬉しくなってくるではないか。<ノリは平板で軽い>とも、高橋編集長は言っておられる。もうこれは私の、「スムーズ過ぎて取っ掛かりがない」というのと、表現は違うが、似たような感想を抱いた、と考えていいのではないか。
 さらに、編集長のレビューは、このように締めくくられる。

 <一曲一曲では物足りないが、ずっと聴いてるとハマっていく>

 人は、あんまり乗り気でない物件に対し、無理やり自分を納得させ肯定的立場をとろうとする際に、よくこんなことを言うのではないか。私なりにこの一行を翻訳してみると、こうなる。

 「今度のシェウンのアルバム、そんな良いかなあ?あんまり乗れないんだけど、業界のコンセンサスとして、あのアルバムは大傑作って評価で行くってことになっているからなあ。まあ、何度も聴いているうちに良いような気がしてくるだろう。ここは、皆と口を合わせておくのがオトナの生き方ってものだろうな」
 違いますかね?まあ、私にはそう読めた、ということで。

 そうなんだよ。先日の私の文章は、皆があのアルバムをあまり褒めていたんで、ちょっと腰が引けていた。面目ない。今度は、はっきり書く。つまらないよ、あのアルバム。
 元祖アフロビートであるオヤジのフェラが持っていた、世界に対する強固な異物感、それがあのアルバムには決定的に欠けている。代わりにあるのはシェウンの、妙にのっぺりした二枚目顔のつまらなさだ。優等生の回答のつまらなさだ。皆があのアルバムを傑作扱いするのが、私にはどうしても分からない。たいしたことないアルバムと思うぞ。

 昔々、まだ面白かった頃のタモリがラジオで言っていた。
 「最後に勝つのがどっちかは知らないけど、最初に嘲ったのは俺だよ」
 そのひそみにならい、私もこう言っておこう。
 「あのアルバムの決定的評価がどうなるのか知らないが、あのアルバムを最初に”退屈だ”と言ったのは俺だよ」

 敢えて、問題のシェウンのオヤジ、フェラ・クティの音を貼る。シェウンのアルバムに感動する前に、もう一度聞き比べてみよう、皆の衆!




西アフリカにおける絶頂の一形態

2011-11-13 03:57:24 | アフリカ

 ”Kanaga De Mopti ”by L'Orchestre Kanaga De Mopti

 ファンタスティックなジャケの写真は、あの有名なドゴン民族の仮面なんだろうか。これを見ているだけでもゾクゾクするんだが、中身のCDを廻せば、それ以上にカッコ良いサウンドが飛び出てくる仕組み。
 西アフリカはマリのレーベルによって1977年に製作されていたアルバムとのこと。こんな音がそんな時代に出せていたのか!ヤバいなあ。またアフリカの音は昔のほうがカッコ良かったって確信を強める結果になってしまう。

 音の趣旨は、サハラ砂漠の風吹き抜ける西アフリカの村の日常に紛れ込んだファンク・ミュージックの炸裂。とはいっても、両者を公平に融合させましょう、なんて優等生的姿勢はうかがわれず、スタジオに横溢していたであろう、「勝手にやらせてもらうぜ」って参加者全員の気分が横溢している感じが気持ち良い。
 田舎の祝祭空間はしなやかなボーカルを推し立て強力に伝統の生命力を誇示し、対するファンク勢も都会の翳りを秘めたヤクザなホーンズと炸裂するパーカッションで攻め立てる。さらにその裏で、ひたすらクールに攻めまくるギターとキーボードが漂わす、グループサウンズ乗りのサイケの香りがまたいかしてるのさ。

 こんなアフリカ、聴いたことなかった!いや、あっけらかんと凄げえことやっちゃってる、その逞しさこそ、まさにアフリカじゃないのか。
 結論。とりあえず、「今、ワールドミュージックで何か面白いCDある?」と尋ねられたら、「あるとも!」と大きく頷いて差し出せる盤が見つかった、ということだ。当分、これで間に合う。



Seun に乗りそこなった夜

2011-11-10 05:06:59 | アフリカ


 ”From Africa With Fury:Rise”by Seun Kuti & Egypt80

 ううん。困っちゃったなあ。と、さっきから頭を抱えている私なのであります。目の前にあるのは、ナイジェリアのアフロ・ビートの新星、Seun Kuti の新作、”From Africa With Fury:Rise”なるCD。
 これはもう説明の必要もないでしょう、ワールド・ミュージック好きの間では各方面からすでに、今年のベスト1候補とか絶賛の言葉を集めている盤であります。当然私も、大いなる期待を抱きつつCDを手に入れ、聴いてみたのでありますが・・・

 ありゃりゃ?なんか乗れないんですね、私、この盤に。あまりに整然たる音過ぎる、とでも言えばいいのかなあ、こんな音だっけ、アフロ・ビートって?と首を傾げれども、何しろ私はかの国の音楽と言えばフジとかアパラとか、イスラム系土俗派ばかり聴いている者ですからね。考えてみりゃ、アフロ・ビートの盤って、最初から最後まできちんと聴いたのって、これが初めてなのかもしれない。
 そんな私にとってこの盤、そりゃ立派な音楽であることは分かるんですが。が、あまりに全体にきちんとした出来上がり過ぎで、心に引っかかってくるものがないんですねえ、いや、私にとっては、ですよ。

 たとえば、ここで聞かれるホーンセクション。非常に流麗に流れて行きますね。各楽器のピッチなんかもきっちり合っている。あっていて当たり前じゃないかって?いやあ、昔のソウルミュージックなんかお好きな向きには分かっていただけると思うんですが、ソウル歌手のアーシーなシャウトの後ろで鳴り響く、微妙にピッチの狂ったホーンセクション、あれが味があるのよなあ、あれが魂に来るの。狂っていてもいい、というんじゃないですよ、狂っているほうがいいの。そりゃ、程度問題だけどさ。

 そのタグイの”魅惑の乱調”は、私がずっと面白がっている70年代アフリカのローカル・ポップス発掘シリーズ、”アナログアフリカ”でも、各・多くは無名のバンドの演奏に大々的に聴かれるものです。危ういところに外れて行く音の、あのファンキーなカッコ好さよ!
 それに比べると今回の Seun Kutiの盤、なんかあまりにもきれいに流れ過ぎて破綻がなさ過ぎて、どうも、もう一つねえ・・・安心して聴いていられるけど、こちらの予想を超えるものも特に感じられず。
 
 これがアフロビートと言うものである、と言うのなら、すみません、私は先に述べましたようにその辺の音、ろくに聴いていないんで馴染みがなくて見当違いを言っているのかもしれません、お許しを。
 と言う次第で、盛り上がっている皆さんには悪いけど、私、この盤からは一抜けさせてもらいます。奏者が演奏に込めた思いの熱さも聴き取ったつもりでいるんだが・・・
 あ、未聴の方、上に書きましたのはあくまで少数意見(多分)ですんで、出来れば現物にあたってみて、あなたの耳で判断していただきたく思う所存でございます。