ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

パオアカラニの花束

2007-03-04 04:54:05 | 太平洋地域


 相変らず昼下がりのひととき、街の周囲に広がる山間部の別荘地帯を散歩気分で車で流して歩いたりしているのだが、今年はこの暖冬のせいで、そこの道沿いに植えられている桜がえらいことになっている。
 テレビの天気予報では桜前線がどうの、なんて話は始まってもいないというのに、当地の桜はすでに満開を通り越して、散り始めているのだ。

 いつも春は別荘地帯の満開の桜がアーチを作った、その道を通り抜けるのがなかなかの快感だったのだが、こう早々と散ってしまっては、そいつを見届ける者もなし、いくらなんでももったいない。見物人が私のような物好きな閑人だけでは、桜もやりきれなかろうよ。 
 などと呟きながら、散り落ちた桜の花びらが染め上げたピンク色の道路をダラダラ走り抜けたりしているのだが。

 そんな際に良く聴くBGMは、以前ここで話題にしたこともあるハワイのウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が、息子の、やはりウクレレ弾きであるハーブ太田Jrと吹き込んだデュオアルバム、”Ohana”である。こいつはのどかでちょっぴり切なくて、やはり良いねえ。

 そのアルバムの2曲目にたまらなく美しい曲が収められていて、その名を”パオアカラニの花束”という。これはほんとに、そのイントロが聴こえると反射的にカーステレオのボリュームを上げてしまうくらい、きれいなメロディラインの曲なのである。

 その切々たる思いを伝えるようなメロディラインから、私は長いことこの曲を恋人との別れを歌った歌なのだろうと想像していたのだ。が、この間、初めて真面目にライナーを読んでみたら、”王座を追われ、幽閉されていたハワイ最後の女王リリウオカラニが、彼女が愛した庭園に咲いた花々で作られた花束を贈られ、それに感動して作った曲”とあり、うわあ、そういう意味のある曲と知らずに聴いていたのかと息を呑んだのだった。

 リリウオカラニ(1838年9月2日-1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王である。1893年、ハワイのアメリカ合衆国への併合を企てた”共和派”が、アメリカ海兵隊の力を借りて行なったクーデターにより実権を奪われ、宮殿に幽閉される身となった。その後彼女は、クーデター騒ぎで人質になった人々の命と引き換えに女王廃位の署名を強制され、彼女はそれに応じ、ハワイ王国は滅亡。そしてハワイはアメリカに併呑される道を歩むこととなるのである。

 まあ、その頃からアメリカはこんな事をしていました、なんて話なのだが。アメリカ人は得意げに言ったのだろう、「ハワイの人々よ。自由の使者アメリカは、王の専制から君たちを救い出した。民主主義の名によって。これからは君たち民衆がハワイの主人だ」なんて事を。そんな甘言を弄しつつ、彼らはハワイの国そのものを奪い去って行く。

 そのような欺瞞が進行する中で、ハワイの人々は宮殿に幽閉されている女王のために、彼女が愛した庭園でしか育たない花々を摘み、花束を作って、彼女に送った。「いつまでも私たちはあなたを愛しています」とのメッセージを込めて。それに応えて囚われの女王が書き上げたのが、あの”パオアカラニの花束”だったのだなあ。それは切ない響きを持つはずだよ。

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 何万というハワイ人はどこへ行ってしまったのか。
 みな家にとじこもってシャッターを下ろし、この悲しみの日を迎えていた。
 ハワイ人が示した親切な歓迎の気持ちを、アメリカから来た白人たちは裏切ったのだ。
 一つの国家が強奪されるのを、この日ハワイの人たちは見たのである。

 「ハワイ王朝最後の女王」(猿谷要著・文藝春秋)より。

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 リリウオカラニ女王といえば、あの”アロハ・オエ”の作曲者としても知られる、音楽家としても優れた王族だった。
 この歌といいアロハ・オエといい、彼女の作品にはことごとく、”近代”という荒波に飲まれて滅び行かんとする、古きよき楽園の日々に対する愛惜の念が込められているように感じられてならないのである。


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