長田弘さんの旅した『アメリカの61の風景』。
その最初は、ミシシッピ川の源流からはじまります。
そして、こんな文章。
人生はこんがらかったものではなく、もっとずっと
単純であっていいと思う。決まった時間の外に、
じぶんをもってでる。
決まった時間の外にもう一つの時間があり、その
もうひとつの時間のなかに、忘れられた人生の
単純さがある。旅に目的はない。ただどこかへゆく。
どこかー時間が無でみたされていて、神々がほほえんで
いると感じられるような、どこか。
読み返していると、またトリハダがたってくるようです。
特に、決まった時間の外に、じぶんをもってでる、というところ‥
ここを何度も噛みしめてしていたら、この絵本のことを思い出したんです。
『ラストリゾート』
パトリック・ルイス文 ロベルト・インノチェンティ絵 青山南 訳
ラスト・リゾートは、入口に「迷いびとのかた!宿帳にお名前を!」と
叫ぶ鳥がいる、こころにぽっかりあながあいてしまったひとたちの
ホテルです。
主人公の男は、想像力をなくしてしまった絵描き。
彼は失った「こころの目」を求めて、愛車のルノーに乗り、出かけます。
ドコダカダレニモワカラナイトコロへ
そのホテルに泊まっている人たちは変わった人ばかりですが、とても
有名な物語に出てくる、あの男や、あの女性では、と思いながら読むと、
2倍、いや3倍くらい楽しむことができる、おとなの絵本です。
想像力を失った絵描きも、このホテルに滞在し、「決まった時間の外へ持ってでた」
自分と、「無でみたされた」時間を過ごすことで、新しい自分を見出したのではないでしょうか。
『アメリカの61の風景』の、別のページには、こんな言葉もありました。
旅は到着することとはちがう。
旅は、旅をしているという感覚のよろこびなのだ。
そうなのですねー旅は、感覚のよろこび=感覚をよろこばせることなのですね。
もうずいぶん長い間、旅をしていない気がします。
そもそも、私は、旅をしたことがあったのでしょうか。
ここではないどこかへ。
Anywhere,but not here.
本を、読んでいる間は、いつでも〈旅〉している、と言えるのですが‥
その最初は、ミシシッピ川の源流からはじまります。
そして、こんな文章。
人生はこんがらかったものではなく、もっとずっと
単純であっていいと思う。決まった時間の外に、
じぶんをもってでる。
決まった時間の外にもう一つの時間があり、その
もうひとつの時間のなかに、忘れられた人生の
単純さがある。旅に目的はない。ただどこかへゆく。
どこかー時間が無でみたされていて、神々がほほえんで
いると感じられるような、どこか。
読み返していると、またトリハダがたってくるようです。
特に、決まった時間の外に、じぶんをもってでる、というところ‥
ここを何度も噛みしめてしていたら、この絵本のことを思い出したんです。
『ラストリゾート』
パトリック・ルイス文 ロベルト・インノチェンティ絵 青山南 訳
ラスト・リゾートは、入口に「迷いびとのかた!宿帳にお名前を!」と
叫ぶ鳥がいる、こころにぽっかりあながあいてしまったひとたちの
ホテルです。
主人公の男は、想像力をなくしてしまった絵描き。
彼は失った「こころの目」を求めて、愛車のルノーに乗り、出かけます。
ドコダカダレニモワカラナイトコロへ
そのホテルに泊まっている人たちは変わった人ばかりですが、とても
有名な物語に出てくる、あの男や、あの女性では、と思いながら読むと、
2倍、いや3倍くらい楽しむことができる、おとなの絵本です。
想像力を失った絵描きも、このホテルに滞在し、「決まった時間の外へ持ってでた」
自分と、「無でみたされた」時間を過ごすことで、新しい自分を見出したのではないでしょうか。
『アメリカの61の風景』の、別のページには、こんな言葉もありました。
旅は到着することとはちがう。
旅は、旅をしているという感覚のよろこびなのだ。
そうなのですねー旅は、感覚のよろこび=感覚をよろこばせることなのですね。
もうずいぶん長い間、旅をしていない気がします。
そもそも、私は、旅をしたことがあったのでしょうか。
ここではないどこかへ。
Anywhere,but not here.
本を、読んでいる間は、いつでも〈旅〉している、と言えるのですが‥