報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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 実際のものとは異なります。

本日の雑感 1019

2016-10-19 22:08:45 | 日記
 今夜、紹介者と最後の面談を行った。
 本人にしてみれば、いきなり私の脱講願提出に驚き、納得が行かない様子であったが、私の有言実行さを理解して下さっていることもあってか、特に慰留されることも無かった。
 今回、紹介者が私と面談を行うことになったのは、寺院側から私が脱講した理由について聞いてきて欲しいと依頼されたからである。
 紹介者に対してだ。

 もちろん私が辞めるに至った行動の理由は1つだけではない。
 いくつかが複合して、それが爆発した形である。
 ただ単に組織に対する不満だけというのであれば、何も信仰自体を辞める必要は無く、他支部への移籍を願い出れば良いだろう。
 あ?なに?師弟相対?んなもん知るかい!
 もちろん最大の理由は、他にやりたいことがあるからである。
 組織に不満が無ければ、信仰活動と並行しながらそのやりたいことをやるという選択肢もあっただろう。
 私のやりたいことというのは、現時点ではハッキリと答えることはできないが、もし功徳の内容が内容なら、それで叶ってしまうものなのである。
 だが、何年もやっていて、それが叶うようなビジョンが見られなくなってしまった。
 つまり、叶いそうに無いと思うようになった。

「その人の願いを叶えてしまうと、却って不幸を招く恐れがある。その為、他の福運向上を持って祈念成就に代えることがある」

 というのは、願いが叶わなかった時の詭弁や誤魔化しに過ぎないと思う。
 前にも書いたと思うが、本当に正しい仏法なら、願いを叶えた上でそこから発生する新たな苦難に立ち向かわせることで更なる罪障消滅を図るというのが正しいと思う。
 何しろ、祈念したのは本人なのだから、それが叶った後でそこから新たなる苦難が発生したとしても、それは本人の自己責任だからである。

 ところで、どうして私が顕正会に足掛け10年いられたか?
 それはその組織が楽しかったからである。
 辞める直前くらいになってくると、だいぶマンネリ化してきた感はあったけれどね。
 それでも紹介者がコケた際にも、すぐに班長や支隊長がフォローしてくれたりして、そこは頼もしかったな。
 もちろん、私まで共倒れされたら困るからと言ってしまえばそれまでだが、でも実際そうなんだから、それを意識してでも助けてくれたことはありがたい。
 元顕の武闘派で、顕正会を叩き潰せ!とか言ってる人は理解したくないだろうけど、実は人との繋がりの良い所は、むしろ法華講よりも上だと思うよ。
 ま、私がたまたま所属していた組織だけが特殊だったのかもしれないけど。
 その辺は逆に運が良かったのだろう。

 もし元顕を御受誡させた教化親さんがこれを見ているのなら、いくつかお願いしたい。
 元顕は上長からの密な連絡に慣れている。
 それが法華講に入ってから、いきなりパタッと連絡が無くなると非常に違和感を覚えるものだ。
 毎日してくれとは言わないが、教化子本人が遠慮するまでは、同じように密な連絡をしてあげると良い。
 もちろん、真夜中に組織メールを送れとか言ってるんじゃないよ?
 私も上手い表現が言えなくて申し訳無いのだが、その辺は桜梅桃李さんなら分かってくれると思う。
 それと、役職に就いている方にお願いしたいのは、もう少し組織を楽しいものにして頂きたい。
 誓願は月毎だろう?
 もちろん毎月達成している支部もあれば、そうでない支部もあるだろう。
 達成した時は打ち上げでもやって、パーッと楽しくやるくらいが良いと思う。
 逆に達成できなかった時は、次こそ頑張ろうという意味で英気を養う為の……みたいな何かね。
 一応ちゃんとお楽しみイベントを行っている支部組織もあるようだ。
 多分、法道院さんも、地区単位では楽しくやろう的な所のある地区はあるかもしれない。
 だが私が所属した所は、そういうのは無かったな。

「バカ者!法華講組織というのは、楽しむ為にあるのではない!」

 というわけではないようだが、でもアメブロ系武闘派の人達は言いそうだよな。
 結局のところ、法華講組織が私には合わなかったということだ。
 非常に残念な話であるが、もう辞めちゃったんだからしょうがない。
 とにかく、境界が変わるまで待っていたんじゃ、いつまで経ってもやりたいことが始められない。
 私も35歳。
 いい加減に、決断しないと歳だけを取って行ってしまう。
 境界を変える為に毎日寺院参詣するくらいなら、その余力をやりたいことに向けたいという判断に至ったわけだ。
 本山参詣もそう。
 足しげく通わせて頂いたつもりだったが、どうにも変わることができなかった。
 本山参詣の余力も、これから始めたいことに使いたいというのもあった。

 まとまりが無くて申し訳無いが、んっ?さんの仰る通り、巡り巡ってまた信心を再開しなければならないような時があったら、その時はその時でよろしいかと思う。
 私が新しく始めたい活動の最中に、法華講員と出会って折伏を受ける機会があるかもしれないし。
 さすがに顕正会員と出会ったら……ま、その時は今までの自分の経験を生かして何とかするさ。

 ああ、そうそう。
 私のやりたいことというのは、顕正会で信心していたのでは叶うことはまず無いだろう。
 何しろ10年いて、そのビジョンが掴めなかったのである。
 法華講では……まあ、数年であるが、やはりビジョンは掴めなかった。
 恐らくこの中で、創価学会の方が成功率は高いのだろう。
 だが私は学会畑を歩いたことは無いので、行ってみなければ分からない。
 また、行ったところで結局、法華講や顕正会と何ら変わりは無かったというオチになるのであれば、結局無駄足だ。
 とにかく、しばらく無宗教で頑張るさ。

 最後に……私の為に祈念して下さった方々においては、こういう形で裏切る結果となってしまい、真に申し訳ありません。
 ですが、私は自分の人生を自分で決めたかったのです。
 日蓮正宗での信心において、それができなかったのは非常に残念で悩ましい限りでありますが、どうかお許しください。
 必ず、成功という形でもって、お応えしたいと思います。
コメント (12)
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