50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

FaceBookはすごい

2016年07月03日 00時33分28秒 | Diary
 
 最近は、昔のことを想いだしたりすることが多い。
特に高校時代から20代前半あたりのことを。

高校に入学して、すぐに新入生の歓迎遠足があり、確か 仏舎利塔まで歩いて行き、そこで
歓迎イベントとして 上級生による Band演奏があった。ベンチャーズのCopyBandだった。
 私は、そのとき初めて生のエレキサウンドを聴いた。
今、思うと アンプなどの電源はどうしたのだろうと考えたりするが、発動機とかは使って
なかったようなので、その場に電源はあったのだろう。

 当時からすると 高校の公式行事でエレキ・ギターを弾くBANDに演奏をさせる学校はまず
なかっただろうと思う。
 それは、ちょっと変わった学校だったから可能だったのだろう。何しろ高校を卒業した人も
在籍している学校だったので。
 在学生の半数くらいが、高卒だったり、社会人みたいな人が居た。
中学を出た私などから見ると 「オッサン」に見える人がいたのだった。
 今でいう高専でした。

そういうこともあって、かなりルーズというか 自由な校風だった。
法的にパチンコにも行けるし、酒も飲める人が 在籍しているので 大学みたいな感だ。。
入学当初はかなり戸惑ったが、慣れると極めて自由な世界だと感じれるようになった。
 で、1年生の厳しいときを乗り越え、2年生になる前あたりで BANDを作れないかと思い始め
周りを見渡すと、居た。楽器はできないが、歌うのが好きなのと、ちょっとギターが弾ける
のが2人。で、重要なパートのドラムが居なかったが、新学期になったら
1年生で ドラムを叩ける、すごいのが居るという情報が入ってきた。
 彼が、上級生のBANDと一緒に 体育館で演奏するというのががあって、その時に 
Caravanのソロパートを叩くのを見てびっくりした。

 で、誰が仲介してくれたのかは忘れたが、私たちのBANDでドラムを叩いてもらうことになった。

彼には、2年生の中期から3年生の春あたりまで 叩いてもらった気がする(定かではないが)。
もう、その頃は、山口くんという相方(Piano)を見つけて JAZZを演りはじめていた。
 その頃は、大学進学のことなどあり、Bandは解散していた。私もその頃は BluesとかJAZZにも
興味があり、彼らに 少しだけ 演奏に入れてもらったこともある。

そのときの ドラマー 横路秀夫くんと ピアノ 山口泰一朗くん を FaceBook上で見つけた。

二人はPROになっていた。

 横路秀夫  山口泰一朗  で 検索してみて下さい。

 

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