桒田三秀税理士

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錯覚

2018-12-06 07:30:57 | 日記
 人間というものは自分のしていないこと、経験していないことも

 自分の行動や経験として錯覚することがある。

 警察に逮捕されて、狭い部屋で何日も何日も

 「やっただろう」

 「何でやったんだ」

 と言われたら、やっていなくても、本当にやったのだと錯覚したり、

 楽になるために認めようという心理状態になったとしても理解できる。

 慰安婦や徴用工の多くもこうしたことなのではないか。

 金銭を十分貰ったにもかかわらず、国策として「日本が悪い」ことにしておかなければ

 ならないので、自分は「ひどい目にあった」と言っているうちに

 本当に、ひどい目に会ったと勘違いするようになる。

 本人は嘘を言っているつもりはないので、始末に負えない。

 もう、国ぐるみ始末に負えない国になってしまうのか。
 
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