瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第55話― (後編)

2008年08月14日 21時52分11秒 | 百物語
前編からの続き)



宿からも手伝いの男が駈け付けて来て、兎も角も赤座の死体を宿まで運んで来たのは、午前11時に近い頃であった。
雨上がりの初冬の日は明るく美しく輝いて、杉の木立ちの中では小鳥の囀る声が聞えた。

「あ!」

こう言ったままで、僕は暫くその死体を見詰ていた。
男の死体は岩石で額を打たれて半面に血を浴びているのと、泥や木の葉が粘り着いているのとで、今迄はその人相を良くも見届けずに、その服装によって一途にそれが赤座であると思い込んでいたのであったが、宿へ帰って入口の土間にその死体を横たえて、僕も初めて落着いて、もう一度その顔を覗いてみると、それは確かに赤座でない、かつて見た事も無い別人であった。
そんな筈は無いと訝りながら、明るい日光の下で横からも縦からも覗いたが、彼はどうしても赤座ではなかった。

「どういう訳だろう…?」

僕は夢の様な心持で、その死体をぼんやり眺めていた。
勿論、昨日はもう薄暗い時刻であったが、僕を訪ねて来た赤座の服装は確かにこれであった。
死体は洋服を着て、靴下に草鞋を履いているばかりか、谷間で発見した中折帽子までも、僕が昨日の夕方に見た物と寸分違わないように思われた。
それでもまだこんな疑いが無いでもなかった。
登山者の服装等はどの人も大抵似寄っているから、或いは昨日僕が見た赤座とは全く別人であるかも知れない。
その事実を確かめる為に、僕は何かの手掛りを得ようとして、死体の隠しを検めると、まず僕の手に触れた物は皺だらけの原稿紙であった。

原稿紙――それは妙義神社の前で、赤座の指の傷を押える為に、僕の袂から出してやった原稿紙ではないか。

しかも初めの2、3行には僕のペンの痕が有り有りと残っているではないか。
僕は更に死体の手先を検めると、右の人差指と中指には、擦り剥いた様な傷の痕が残っている。
原稿紙にも血の跡が滲んでいる。
こういう証拠が揃っている以上は、昨夜の男は確かにこの死体に相違無い。
それを赤座だと思ったのは僕の誤りであろうか?
しかし彼は僕を訪ねて来たのである。
薄暗がりではあったが、僕も確かに彼を赤座と認めた。
それが何時の間にか別人に変っている。
どう考えてもその理屈が判らないので、僕はいよいよ夢の様な心持で、手に握った原稿紙と死体の顔とを何時までもぼんやりと見比べていた。

駐在所の巡査も宿屋の者も、僕の説明を聴いて不思議そうに首を傾げていた。
確かに不思議に相違無い。
この奇怪な死人は蟇口に二円余の金を入れているだけで、他には何の手掛りとなる様な物も持っていなかった。
彼は身許不明の死亡者として町役場へ引渡された。
これでこの事件は一先ず解決したのであるが、僕の胸に大きく横たわっている疑問は決して解決しなかった。
僕は直ぐに越後へ手紙を送って、赤座の安否を聞き合せると、兄からも妹からも何の返事も無かった。
疑いは益々大きくなるばかりで、僕は何だか落着いて居られないので、とうとう思い切って彼の郷里まで訪ねて行こうと決心した。
幸いに此処からはさのみ遠い所ではないので、僕は妙義の山を降って松井田から汽車に乗って、信州を越えて越後へ入った。
○○教の支社を訪ねて、赤座朔郎に逢いたいと申入れると、世話役の様な男が出て来て、講師の赤座はもう死んだと言うのであった。
いや、赤座ばかりでない、妹の伊佐子もこの世には居ないと言うのを聞かされて、僕は頭がぼうとする程に驚かされた。
赤座の兄妹はどうして死んだか?
その事情については、世話役らしい男も兎角に言い渋っていたが、僕があくまでも斬り込んで詮議するので、彼もとうとう包み切れないでその事情を詳しく教えてくれた。

この春、赤座が僕に話した通り、彼は妻を迎えようとしても適当な女が見当らない。
妹も兄が妻帯するまでは他へ嫁入りするのを見合せて、兄の世話をしているという決心であった。
こうして、兄妹は仲良く暮らしていた。
その内に、町の或る銀行に勤めている内田と言う男がやはり同じ信者である関係から、伊佐子を自分の妻に貰いたいと申込んだが、赤座はその人物をあまり好まなかったと見えて体良く断った。
内田はそれでも思い切れないで、更に直接伊佐子に交渉したが、伊佐子も同じく断った。
兄にも妹にも撥ね付けられて、内田は失望した。
その失望から彼は根も無い事を捏造して、赤座兄妹を傷付けようと企んだ。
彼は土地の新聞社に知人が在るのを幸いに、○○教の講師兄妹の間に不倫の関係が有るという事を実しやかに報告した。
妹が年頃になっても他へ縁付かないのはその為であると言った。
同じ信徒の報告であるから新聞社の方でもうっかり信用して、その記事を麗々しく掲げたので、忽ち土地の大評判になった。
信徒の多数はそれを信じなかったが、兎も角もこんな噂を伝えられるという事は非常な迷惑であった。
ひいては布教の上にも直接間接の影響を与えるのは判り切っていた。
支社の方では新聞社に交渉して、まずその記事の出所を確かめようとしたが、これは新聞の習いとして原稿の出所を明白に説明する事を拒んだ。
事実が相違しているならば、取消しは出すと言った。
それから幾日かの後に、その新聞紙上に5、6行の取消し記事が掲載されたが、そんな形式的の事では赤座は満足出来なかった。
しかし彼は決して人を怨まなかった。
彼はそれを自分の信ずる神の罰だと思った。
自分の信仰が至らない為に○○教の神から大いなる刑罰を下されたのであると信じていた。
彼は堪え難い恐懼と煩悶とに一月余を重ねた末に、彼は更に最後の審判を享けるべく怖ろしい決心を固めた。
彼は何時も神前に礼拝する時に着用する白い狩衣の様な物を身に着けて、それに石油を強かに注ぎ掛けておいて、社の広庭の真ん中に突っ立って、自分で自分の体にマッチの火を摺り付けたのであった。
聞いただけでも実に身の毛のよだつ話で、彼は忽ち一面の火焔に包まれてしまった。
それを見付けて妹の伊佐子が駈け付けた時はもう遅かった。
それでも何とかして揉み消そうと思ったのか、あるいは咄嗟の間に何かの決心を据えたのか、伊佐子は燃えている兄の体を抱えたままで一緒に倒れた。
他の人々が驚いて駈け付けた時はいよいよ遅かった。
兄はもう焼け爛れて息が無かった。
妹は全身に大火傷を負って虫の息であった。
直ぐに医師を呼んで応急手当を加えた上で、兎も角も町の病院へ担ぎ込んだが、伊佐子はそれから4時間の後に死んだ。
その凄惨の出来事は前の記事以上に世間を驚かして、赤座の死因については色々の想像説が伝えられたが、所詮は彼の新聞記事が敬虔なる○○教の講師を殺したという事に世間の評判が一致したので、新聞社でも流石にその軽率を悔んで、半ば謝罪的に講師兄妹の死を悼む様な記事を掲げた。
それと同時に恐らくその社の或る者が洩らしたのであろう。
彼の新聞記事は内田の投書であるという噂がまた世間に伝えられたので、彼も土地には居た堪れなくなったらしく、自分の勤めている銀行には無断で、1週間程以前に何処へか姿を隠した。

「その内田と言う男の居処はまだ知れませんか?」と、僕は訊いた。
「知れません」と、それを話した世話役は答えた。

「銀行の方には別に不都合は無かった様ですから、まったく世間の評判が怖ろしかったのであろうと思われます。」
「内田は幾つ位の男ですか?」
「28、29です。」

「家出をした時には、どんな服装をしていたか判りませんか?」と、僕はまた訊いた。

「銀行から家へ帰らずに、直ぐに東京行きの汽車に乗り込んだらしいのですが、銀行を出た時には鼠色の洋服を着て、中折帽子を被っていたそうです。」

僕の総身は氷の様に冷たくなった。


僕の話を聴いて、彼の親戚と銀行の者とが僕と一緒に妙義へ来てみると、蝋燭谷の谷底に積たわっていた死体は、確かに内田に相違無いという事が判った。
しかし彼が何故僕を訪ねて来たのか?
それは誰にも判らない。
僕にも無論判らなかった。
それが怖ろしい秘密だよ。
赤座兄妹の身の上にそんな変事が有ろうとは僕は夢にも知らないでいた。

そこへ赤座――僕の眼には確かにそう見えた――が不意に訪ねて来た。

しかもそれは赤座自身ではない、却って赤座の仇であって、原因不明の変死を遂げてしまった。


兄妹の魂が彼を誘い出して来た――最初は僕もそう解釈していたよ。

それにしても、赤座は僕に一度逢いたいので、その魂が彼の体に乗り移って来たのか?
或いは自分達の死を報告する為に、彼を使いに寄越したのか?
内田と言う男がどうして僕の居所を知っていたのか?
僕にはどうもはっきり判らないので、その後も色々の学者達に逢ってその説明を求めたが、どの人も僕に十分の満足を与える程の解答を示してくれない。

しかし大体の意見はこういう事に一致しているらしい。
即ち内田と言う人間は一種の自己催眠に罹って、そういう不思議の行動を取ったのであろう、と言うのだ。
内田は一旦の出来心で、赤座の兄妹を傷付けようと企てたが、その結果が予想以上に大きくなって、兄妹があまりに物凄い死に方をしたので、彼も急に怖ろしくなった。
彼も同じ宗教の信者で在るだけに、いよいよその罪を怖ろしく感じたかも知れない。
そうして、兄妹の怨恨が必ず自分の上に報って来るという様な事を強く信じていたかも知れない。
その結果、彼は赤座に導かれた様な心持になって、ふらふらと僕を訪ねて来た。
彼がどうして僕の居処を知っていたかというのは、同じ信者では在り、且つは妹に結婚を申込む位の間柄で在るから、赤座の家へも親しく出入りをしていて、僕が妙義の宿から度々送った絵葉書を見た事が有るかも知れない。
僕が赤座の親友で在る事を知っていたかも知れない。
自己催眠に罹った彼は赤座に導かれて赤座の親友を訪ねる積りで、妙義の山までわざわざ来たのだろう。

――と、こういう事になっているんだが、僕は催眠術を詳しく研究していないから、果してどうだか判らない。

外国へ行った時に心霊を専門に研究している学者達にも訊いてみたが、その意見はまちまちで、やはり正確な判断を下すまでに至らなかったのは残念だ。

しかし学者の意見はどうであろうとも、実際、彼の内田が自己催眠に罹っていたにしても――僕の眼にそれが赤座の姿と見えたのはどういう訳だろう?

或いは自己催眠の結果、内田自身ももう赤座になり澄ました様な心持になって、言語動作から風采までが自然に赤座に似て来たのだろうか?
それとも僕もその当時、一種の催眠術に罹っていたのだろうか?



話を書く際の決まり事の1つとして、「起承転結」と呼ばれるものが有る。
(起)って、(承)って、(転)じて、(結)ばれる――この四原則を守ってこそ「話」になるのだと、広くは認識されているだろう。

しかし怪奇文学の世界に、この常識は当て嵌まらない。
(起)って(承)って(転)じて終いを迎えたり、(起)って(転)じるだけで〆てしまう場合も有る。
人が「恐怖」を感じるのは、理解出来ない「非常識」さからだ。
常識から外れてて、理由付けが不可能だからこそ、人は怖ろしいと思うのだ。

綺堂の書く怪談の恐ろしさは、その点に在る。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

飲み終った後のグラスは、昨夜の様にそこへ置きっ放しにしてくれて構わない。

……おや?また人が減っている……。

おかしいな…始めた時はもっと大勢居た様に感じたんだが…。
何時の間に席を立ったのだろう…?
ちっとも気が付かなかったよ。

まぁ、いいだろう。

では改めて…夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『影を踏まれた女―岡本綺堂怪談集―(岡本綺堂、著 光文社、刊)』。

※この話に限らずだが、話の中に現代にはそぐわない表現が見付った場合等、多少の変更を加えてある。
作品の筋にまでは変更を加えていないが…身勝手な判断をお許し頂きたい。

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