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kotoba日記                     小久保圭介

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ひつじの群れ

2010年10月16日 | 生活


朝です。
雲の群れです。
北西から南西へ、
うろこ雲、ひつじの群れ、
と言われる雲です。
朝の空気はひんやりしていたし、
空はこんな風だから、
素敵で、
何枚もケータイで写真を撮りました。
でも、遅刻するといけないので、
注意です。
それから、
柳原通り商店街を、
南へ向かいました。
ひつじの群れ、
という歌詞の一部があって、
それは、
この空の模様のことだ、
と思いました。

少し寒い朝、
今の空は、
秋の空は、
とてもきれいで、
たまらんです。
寒くもなく、暑くもなくて、
過ごしやすいです。


拾う物語へ

2010年10月15日 | 生活
風が吹いていました。
雨は朝、
道路を濡らした痕跡だけで、
もう降ってはいませんでした。
陽光がいっぱいで、
僕は橋の上から、
名札を落としてしまいました。
最初は、雑木の大きな葉の間に、
ひっかかったかな、
と思いましたけれど、
どうやら、橋の下の暗い川に、
落ちてしまいました。
あーあ、と思って、
「名前を川に落とした」
と思いました。
それは海まで流れてゆくだろう、
とか、
もうひどいイメージ、
です。
思い出したのは、
高橋源一郎著「さようならギャングたち」だったか、
その三部作のどれかの中で、
名前を川に投げ込む、捨てる描写がありました。
あ、あれと同じだ、
と思いました。
ケータイを川に捨てるとか、
放り込むとか、
そんなショックな考え方よりは、
むしろ、
川からケータイや名札を、
「拾う」ことの方が、
良いと思います。
捨てる物語から、
拾う物語へ。

ーーー

老人が、
自転車の荷台に、
袋いっぱい、
黄緑の梅の実を、
くくりつけて、
北へ向かいました。


川の周辺

2010年10月14日 | 生活
造園土木の人達が、
トラックに乗って、
やってきました。
彼らは、池のまわりの、
垣根を、
草刈り機で、
刈っていきます。
小さな花が咲いていましたけれど、
それらも刈られました。
「たも」がトラックに積んであって、
それをおろすのを僕は見ました。
「たも」で何をするのだろう、
と思いました。

池に、観光の小舟が見えました。
青い旗を掲げていて、
船頭さんが二人、
数人が小舟で、
観光をしていました。

近くの公園では、
子供たちが遊んでいました。
青いボールで、
サッカーのようなことをしています。
ジャングルジムは赤と黄緑で、
そこに二人の小学生がいました。
ベンチは全部、緑色です。
木が多くて、
良い公園です。
ブランコの支柱は青で、
椅子はピンクです。
鉄棒の高さは、
三段差になっています。
子供たちがたくさん遊んでいて、
公園は、
小学校の脇にあるからなのだ、
と気がつきました。
子らの声が一番大きく聞こえてくるのは、
西の端にあるブランコの方からです。
時計台もあり、
市バスが東に向かって、
ゆきました。

小さな川

2010年10月13日 | 生活
朝、三人の職人さんたちが、
黄色いボートを、
川に下ろしました。
オールも、
親綱で縛って、
下ろしました。

小さな川です。
向こう側とこちら側に、
岸があって、
橋が架けられています。
右岸、左岸、橋なんて、
当たり前の風景なのに、
川があることによって、
それらができあがっている、
そんな当然のことを、
新しい出来事のように、
思っていました。
新鮮というほどでもないのだけれど、
じっと川岸にいると、
川が街を流れている、
その不思議を、
わずかに感じていました。

近くの小学校から、
音楽が聞こえてきます。
陽の光と、
風があります。
聞こえてくる音楽は、
「トトロ」の歌でした。
インストロメンタルで、
ドングリの種が夜に発芽して、
大木になる美しいシーンに、
流れるアレです。
それは、坂本龍一の楽曲や、
アレンジに、
似ていると思いました。
当時の「戦メリ」や「未来派野郎」あたり、
そうだ、
「音楽図鑑」の中にある、
曲に、
トトロの曲は似ていました。

まだ暑い

2010年10月12日 | 生活
川、
その道端の、
草。

公園の木々、
空、青く。

まだわらび餅屋の声、
録音テープは、
大きな音で、
「つめたくて、おいしいよ」
と言います。
暑くて、まだ、暑くて、
寝る時は、
未だに蚊に刺されます。
もう10月の半ばだというのに、
香取マットです。
ちょうど、
一ヶ月、ずれているみたいで、
まるで気候は、
9月の半ばのそれです。

ごまをする

2010年10月11日 | 生活
今日もいい天気です。
人参と南瓜、ブロッコリーを、
レンジで加熱しました。
それと、
ごまをすりました。
すりこぎで、
ごりごりやっていると、
ごまのいい臭いがしてきます。
「ごまをする」という風な、
言葉が先行していて、
実際にごまをすっていると、
どうして「ごまをする」と言うのだろう、
と調べてみると、
ごまが飛び散って、
人の服に付着する、
の意味だそうです。
でも、それがどうして、
人にこびへつらう、
という意味なのかは、
ぜんぜん判りません。

弁天通りを自転車でゆき、
食材を買った後、
思い立って、
西図書館へゆきました。
軽い小説とエッセイを借りて、
家に帰りました。

路上ライブ

2010年10月10日 | 生活


(上が僕、下が川口徳久さん)

朝から晴れたので、
洗濯をしました。
ストレス解消法の一つで、
僕はたくさんのものを、
洗濯するとスカッとするのです。
布団も干し、
自転車に乗って、
ハンバートを聴きながら、
セザンヌ先生のところにゆきました。
空は青くて、とても気持ちの良い道行きです。
セザンヌ先生と、
1時間ぐらい雑談をしていました。
帰ってから、ベランダで爪を切りました。
何となく調子が悪いので、
友人に電話をすると、
今日、路上ライブをやると言います。
僕は喜多の湯で体を癒したいと思っていたけれど、
却下され、
僕らは大曽根で落ち合うことにしました。
ドトールコーヒーで、
世相を話し、
僕と友人は、
歌を歌いました。

僕もギターと譜面立てを持ってゆきました。
そして、
いろんな歌を、
歌いました。

友人と最初は一緒にやってもらいました。
気が小さいので、
最初は度胸がいります。

遠くから他の人の歌声が聞こえてきて、
「どうも歌いにくいね、これじゃあ」
と言うと、
「本当に歌の中に入ったら、ちゃんと歌えるよ」
と友人は言いました。
それは本当でした。

そのうち、
友人は、場所を変えて、
自分の世界を作りにゆきました。
僕は一人です。
さて、と思って、
最初はギターをぽろぽろ弾いていたけれど、
歌い出すと歌えるものです。
夜の風が気持ちよくて、
たまにはこんなことをしてみるのも、
良いな、
と思いました。


若い人達も歌っていて、
僕はそれも聴いていました。
彼らは三人で、ギターが二人の男の子、
カホンを女の子が叩いていました。
どこかで聴いたことがあるな、
と思って、演奏後、
「今のは誰の歌でしたっけ」
と訊くと、
「ハナレグミです、あまり練習していないけれど」
と歌っていた彼が言いました。
それから、僕の風貌年齢に配慮してなのか、
中島みゆきの「糸」とかサザンを歌いました。
「糸」という歌は、
好きな歌なので、
うれしかった。
僕は「ハンバート何かやれますか」
と言おうと思ったけど、
知らなかったら悪いので、
黙って中島みゆきとサザンの何とかという歌を、
聴いていました。

大曽根構内をぐるりとしてみると、
一人で友人が歌っています。
ミッシェルャ泣iレフがかけていたような、
サングラスがかっこよくて、
いかがわしく、
とても素敵でした。
場慣れしているというか、
毅然としていて、
姿は、
堂に入っていました。
二人で演奏していると、
歌詞のアドリブもたくさん出てきて、
とても楽しかったです。

カフカ先生

2010年10月09日 | 文学
終日、強い雨が降っていました。
友人から電話があって、
昨日からの、
構造と原理について、
僕はずっと話しました。
話して理解してくることも、
あるからです。

それからカフカ先生の所に行きました。
カフカ先生は、
こないだ諏訪哲史の話を聴きにいった話をして、
中日新聞の諏訪哲史さんの切り抜き記事のスクラップを、
僕に見せました。
「吉岡実を扱うとは思わなかった」、
と諏訪さんへの親近の感を強めて、
カフカ先生は言いました。
吉岡実の詩集が、
カフカ先生の本棚にあることを、
僕は知っています。
「今度、大須の七ツ寺共同スタジオまで、諏訪さんの「りすん」の演劇を、
見に行く」
とカフカ先生は言いました。
「あの小説はシリアスですよ」
と僕が言うと、
「内容は関係ない」
とカフカ先生はしずかに言いました。
諏訪さんが、
宮澤賢治から始まって、太宰治、三島由紀夫と読んでゆく過程が、
カフカ先生は同感のようで、スクラップ記事に、
赤線が引いてありました。
「構造主義とは何ですか」
と僕はカフカ先生に訊きました。
カフカ先生は、たいてい一言で、
核心をつく人です。
「判らない」
とカフカ先生。
「私は実存主義までだから」
と言い、追って、
「現象学まで」
と言いました。
現象学、
と僕はピンと来て、
僕が原理だと思っていたものは、
もしかしたら現象学なのかも知れない、
と思いました。
それから僕が、
1Q84について、構造であることと、
三島由紀夫が構造であることも言いました。
「そうかも知れない」
とカフカ先生は言いました。
「大江健三郎や中上健次は原理です」
と僕が言うと、
「大江健三郎は実験、実験ばかりやっていたから」
と大江の最新作「水死」を読んでもいる先生は、
言いました。
窓の外は強い雨が降っています。
「機能的なんだよ」
と構造について先生は言いました。
それから、
実存主義と現象学については、
忘れてしまっているから、
今度までにちゃんと答えられるようにしておく、
と言いました。
カフカ先生は、
「今、読みかけだけれど、他に読むものがたくさんあるから」
と言って、
市川真人著「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」、
を僕に手渡しました。
「当たり前のことが書いてある」
と先生は言いました。
僕は時々、
カフカ先生は、
判っているようで判っていないのではないか、
判っていないようで、判っている、
と思います。
カフカ先生は、
「1Q84」は判らなかった、
と言いました。
「村上春樹の1Q84が、オウム真理教の元信者から、批判されるのは正しく、
 それは三島由紀夫が右翼から批判されるのは正しいのと同じです」
と僕が言うと、
「そうかも知れない」
とカフカ先生は言いました。
今日、カフカ先生から仕入れた収穫は、
現象学という言葉と、
機能的という言葉の二つです。
僕には本当には言いたいことはないのだから、
構造だと僕自身は思っていたのですけれど、
もしかしたら、
現象といってよい気がしています。
夏目漱石の文庫本全集を、
カフカ先生に以前、頂いたのですけれど、
僕はまだほとんどが未読です。
漱石は、ロンドン留学の時、
文学理論をいくつか学んで、
それを一つずつの作品に応用したそうです。
だからどの作品も構造が違う、
そういうことを、
僕はカフカ先生のところから帰る道の時、
思い出して、
途方もなくまだ勉強というか、
その気になったら、
果てがないことに、
うんざりしていました。
文学は数学だということは、
最近判ってきているのですけれど、
せっかく文学理論をいろんな人が書き記しているのだから、
もっと勉強しなくては、と思うのです。
でも、どうも気が重いです。

それはそうと、
やっと夜、
1Q84、読了。面白かったーーーー。

1Q84考

2010年10月08日 | 生活
まだ暑いです。
まるで9月の気候で、
ちょうど一ヶ月、違ってきているような陽気です。
蚊も刺しますし、
衣替えもまだ早いという。

イチョウの葉の緑、
それも扇形のものを見ていると、
銀杏を発見。
あれがまた地面に落ちて、
ビニール袋に入れて、
拾う季節でもあります。

今日はずっと1Q84について考えていました。
どうしてこんなにこれは売れるんだろうな、
と。
先日、ノーベル賞を逃したものの、
どうしても比較してしまうのは、
大江健三郎。
それも、同じ三部に分かれた長編、
「燃えあがる緑の木」です。
当時は、あれが読み応えがありました。
読み終えた充実感がまずあって、
やはり読みにくい文は、
村上春樹のそれとは違います。

構造とは何だろう、
原理とは何だろう、
と考えていて、
村上春樹はたぶん、構造なのだろうと思い、
大江健三郎は原理なのだろうと思い、
もしかしたら、
構造の方が、
読みやすいのかもしれない、
そんなふうに思っていました。
構造作品としては、
谷川俊太郎がそうです。
つまり、構造作品には、
テーマがない、
主義がないので、
「うるさく」ないのです。

近所に本がたくさん置いてある喫茶店があって、
源一郎から中沢新一からトリフォーから、
その類が店の壁を彩っています。
でも、
僕はそこに一度しか行きませんでした。
「うるさい」のです。
または、鉄道ファンの喫茶店もあって、
そこも一度しか行きませんでした。
「うるさい」のです。

構造と原理ということ、
構造について、
「それはまるで家のようで、入り口が広いと誰もが入れる、
 中に何もないと、そこに個人を入れることができる」、
と教えてもらった記憶がまだ新しく、
きっと、
原理の方は、
誰かの家に行く、そこには、
その人が中心にいて、
という具合です。
時には、
往き道に迷った時、
原理を必要とすることがあり、
教えを請う時があります。
それでも、
たいていは、
構造なのだろうと思います。
好きで聴いているハンバートハンバートも、
奥田民生も、構造なのだろうと思います。
構造とは、
何も言うことがない、
ということだろうと思います。
それで良い。

そんなことを、今日もずっと考えていました。





ノーベル文学賞

2010年10月07日 | 生活
昨夜は、寝る前まで、
1Q84を読んでいました。
今日中に読了できるでしょう。
最後の方なので、
もうわくわくです。

もう一つ、
タイムリーというか、
村上春樹さん、ノーベル賞とれるかな、
と、あと1時間後ぐらいに発表となっていて、
やっぱり、とってほしいな、
と思います。
最初からほぼ同時代で読んできた唯一の作家だし、
親近感が僕の人生の中にもある作家です。
影響もされたし。
本を読まない友人や知人でも、
村上春樹だけは読んでいる、
という人も多いです。

思えば、1Q84は、
オウム真理教のことが、
テーマ(厳密に言えばモチーフ)になっていて、
それは当時、
アンダーグラウンドというノンフィクション(未読ですけど)、
で、村上春樹が問題にしたことです。
あれからずっと村上春樹はテーマ(正確な言い方ではモチーフ)として、
抱えてきたことを思うと同時に、
ノーベル賞をとりにゆくためにも、
世界的に有名な、オウム真理教の事件を、
描いた、
という側面も当然あると思います。
それでいて、
小説は本当に面白い。
とって欲しいと思います。
よし、今から、気を送ろう。

ーーー

午前中、盲人が地下鉄の出口から出てきて、
銀色の携帯を耳に当てた。
そして、白杖とともに、
北へ向かった。

午後、南から違う盲人が、
白杖を胸に抱えて来た。
腕を貸して、少し話した。
盲人は、地下鉄の階段を、
降りて行った。

盲人は、闇の中に、
道を作って、
歩いている。

お昼、用水路の脇で、
弁当を食べた。
用水は音を出さずに、
流れていた。
堀田さんだったか、
村上春樹の小説の中だったか、
「時間は直線的ではない」
という言い方を思い出していた。
習えば、
時間とは、
この用水路の流れのようでは、
きっとない。
直線のものではない。

水面には、枯葉の黄、茶、
藻や、小枝が速い速度で流れていった。
時、
脇の桜の葉が落ちて、
西に向かって流れていった。
時間とは何だろう。
用水路に沿って、
自転車を漕いでいるとき、
時間って、かたまり、
というか、
時間の中にいる、
というか、
空気のようなものかも、
と思っていました。
ほおずき、
みたいな感じ。
直線ではない、
ということは、
きっと本当だと思う。
生きてゆくために、
便宜的に直線にしているだけで。

1Q84を読んでいると、
え、と思うような、
ひどい比喩があった。
村上さん、大丈夫ですか、
と言いたくなりそうです。
でも、
小説は、
とりわけ長編小説は、
そんな小さなことはどうでもいい。
川上弘美が穂村弘との対談で言っていたのは、
「いちいちの言葉にこだわっていると、
スピードが落ちる。それよりも、
速度が長編には重要だ」、
と。
兎にも角にも、
村上さん、ノーベル賞、とってください。
きっと僕はうれしい。


スペクトラナゴヤ

2010年10月06日 | 生活



写真は、知人が送ってくれた、
スペクトラナゴヤです。
天頂を見上げてのものです。

車椅子のおじいさんとおばあさんも、
そばで天空を見上げていたらしくて、
その光景は僕も見たかったな、
と思いました。

スペクトラナゴヤは、
長野県からも、
見えたそうです。


言葉で歩く

2010年10月05日 | 生活
道路に面した、
果樹園のような、
林を見ていました。
ここは名古屋は、
東山です。
まわりは高さ50センチぐらいの囲いがしてあって、
誰でもすぐにまたいで中に入ることができます。
その奥に、
ちょっと高いフェンスがあって、
フェンスそのものは、
緑に覆われてしまって、
ここからは見えません。
南東に、
東山公園の高い塔が見えました。
林は、
奥深くて、
獣道もありません。
濃密な緑を見入るのは、
ずいぶん久しぶりのことでした。
空は青く、
自衛隊のC130が小牧空港に、
飛んでゆきました。
夕方、
カラスが二羽、
東山の林の中に、
飛んでゆきました。
言葉が僕を助けてくれていることに、
今日も気がつきました。
藤井貞和の詩集のタイトル、
「ことばのつえ、ことばのつえ」、
という感じです。
二度、繰り返すことで、
みんな言葉で、
前に歩いているのです。
その杖の音は、
どんなだろう。

今日は午前中とても暑くて、
夕方は肌寒くなりました。
鉄板の上に、
水がまかれて、
その上を、
トンボが何匹も、
飛んでいました。
夜帰ると、ャXトに、
素敵な贈り物が届いていました。

静かなご飯を食べて、
音楽を聴きました。
部屋を暗くして、
ヘッドホーンで。
ハンバートハンバートの、
最新のシングルコレクションです。
一枚目を聴いて、
元気になり、
洗濯をしながら、
お風呂に入りました。
二枚目を聴いて、
どんとの「夢の中」を、
佐野遊穂さんが歌っていて、
涙が出ました。
どんとはずっと前に死んでしまったけれど、
こんなに素敵な歌をこの世に残してゆきました。
明日も聴こうと思います。
アルバムに入っていない曲や、
アレンジが違う曲が半数以上あって、
とても素敵で。
シリアスな歌も、
たくさんあって、
それでいて、
こころがしっとりと潤ってゆくのだから、
不思議なものです。
僕は太宰治をまともに読んだことがないけれど、
こんな感じなのでしょうか。
ハンバートには、
アイリッシュという定型があります。
だから、シリアスというか、
スピリチュアルな歌詞でも、
祝祭的になるのだろうと、
思います。

ゆっくり読んで

2010年10月04日 | 生活
雨はずいぶん長く降り、
午後から曇ってきました。
夕方には、晴れてきて、
青空が少し見え、夕日も見えました。

筑前煮を作ろうと、
干し椎茸を朝、水に浸しました。
1Q84は、19章まで読みました。
話はどんどん面白くなってゆくばかりです。
もったいないので、
ゆっくり読んでいます。
欲を言えば、
昨年続けて読みたかったです。

夜になってから、
ダシがたっぷり出た干し椎茸で、
筑前煮を作りました。

雨友本

2010年10月03日 | 生活
今日は、雨が降るそうです。
読みたい本がたくさんあるので、
じっくり読もうと思います。
食料の買い物は、
昨日すませたし、
洗濯も終えたし、
まずは1Q84の続きから。

たまに、
ずっと本を読んで、
一生を過ごしたい、
と思う時があります。
勉強したい、
と思う時があります。
だからといって、
学校に行きたいというのではなく、
あくまでも独学で、
一人で本を読んで、
あまり人と関わらず、
小さい人間関係を大切にして、
しずかな環境で、
過ごしたいと思うのです。
引きこもりというより、
立てこもりたい、
なんて思いながら、
ふらふら、
雨の中でも、
歩いてみたくなるのだから、
しょうがないです。
草を見て歩くなんてのも、
良いな。
雨なら、
葉はきれいだろうし。


市バス

2010年10月01日 | 生活
最近、市バスの色が変わりました。
従来の白地に青のラインが入った車両が、
ほとんどですけれど、
数台、モスグリーンに、赤のラインが入った車両が、
走っています。
これだった→http://www.chunichi.co.jp/article/feature/railway/list/201001/CK2010010902000200.html
それは、
以前のデザインを復活させたもの。
懐かしい色です。
オジに訊くと、
どうやら、
以前のデザインの方が良い、
という意見があったからだそうです。
確かに、市バスという感じがする色です。
あれに乗りたい。

昨日は、たくさん雨が降ると、
天気予報では言っていたのですけど、
朝だけで、日中は、
ずっと小雨でした。
以前、
激しい雨のことを、
「じゃんじゃん降り」
と言いました。
今では言わなくなってしまったので、
そのうち小説の中で、
キッチリ言おうと思います。
だから今度は、
雨降りのシーンを入れなくては。

「心技体」
とオジが言いましたので、
メモをとりました。