kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

290枚草稿終わった!

2020年09月25日 | 執筆
  
  
  




この一カ月ちょっと
小説を書いていました
今日290枚の草稿が
終わりました

しばらく寝かせて
推敲です
やっと終わった!!

写真は一太郎2020の
タッチミスや
キーボードを叩いた回数
総文字数を計算して
「やすめよてめえ」
と表示するアイコンです

これが出ると休むときと
休まないときがあって
でも
けっこう気に入ってるサービスアイコンです
一太郎も進化したわ

二枚目写真

こんなところで
一日書いてます
少ない時は原稿2枚
多い時は53枚

それと今回
スマホを使って
現代的な
口述筆記を活用

音声で
あたまのなかで
どんどんセリフやシーンが出てくるので
このデスクではなく
横になりながら
スマホに長い時は4時間半
しゃべってる。
それを言葉に末オていくスマホ
アプリではなく
ふつうのヤフーメール

今は専用アプリがあるらしいし
これから正確な末烽ナきるにちがいない
今回だって
一太郎に貼ったとき
誤字が直っているように思えたから
一太郎ソフトが
やっているのかもしれない

でも音声ファイルを
文字化しても
やっぱり書き直す
誤字だらけで
自分で末キるのも難しい時があったけど
それをメールで記録して
こっちのパソコンで出して
コピペして
一太郎に貼る
メール文の状態で
訂正推敲加筆する時もあった

口述筆記は
作品のほぼ
前半ぐらいまでで
あとは全部
従来通り

どこのシーンからだったか
口述筆記ができなくなったというか
できるだろうけれど
キーボードを叩いていた方が
すんなりいけた

前日書いたもんを推敲しながらの
三歩進んで二歩下がる状態

一番下の写真は
熱中症対策のOS1
これは肉体疲労時
奥の手で使った
やっぱり
栄養ドリンクの類いとは違い
飲む点滴
速効で体が楽になって
執筆できた

頸椎ヘルニアと腰のヘルニアがあるんで
薬を飲みながらの執筆
首は途中からほぼ痛し
痛み止めの薬を一日三回塗って
腰は教えてもらった
自転車のチューブを巻いて
コルセット代わりにした

これからが執筆の後遺症がでる
と言われているので
さっそく
今日から首と腰のストレッチ強化

一カ月の間
まったく書けない日が
一週間続いたり
三日続いたり
いろいろあったけど
今朝
起きて
あ、
今日か明日終わるな
と雨を見ながら
思った

『彼のこと』

メモを取り始めた矢先
デフォルメしたモデルの友人に
一カ所だけ
取材をつきあってもらった
8月6日のことです
どうしてつきあってもらったかというと
彼が主人公だから
僕が語り部
その友人が
翌日の8月7日に
急死した

自分は書くのか書かないのか
それを思った
時が経って思い出すことがある
その中のひとつ
取材同行前日の
8月5日の長電話でのことだった
今回の内容を全部話していると
「小久保さんが菩薩に見える」
と電話の向こうで言った
取材当日
「遺跡というか、こういうのって面白いですね」
と言った
暑い日だった
「芥川賞とったら、モデル代がっぽりもらいますよ」
と笑っていた

親族からの連絡で
崩れ落ちた8月7日
誰かれに電話して
泣きわめいた
みんな助けてくれた
翌日8月8日
通夜に行った
棺に向かって
痛かっただろう
骨折していた彼の右肩あたりを
棺の横から触って
「もう痛くねえだろう」って
泣きわめいた
葬儀屋さんが遠慮して姿を消した
あの日
彼を誘って取材に行っていなかったら
という思いに
ずっとさいなまれた
8月9日に葬式に出た
涙はでなかった
僕は笑っていた
本当だ
家族葬
質素だった
数えるほどの人数
野辺送りも行った

それからずっと彼を思った
今でも思っている
彼を書いた
モデルとして
まさか
死んじゃうなんて
思ってもみなかった
前日に会ったのは
4ヵ月ぶり
もしかしたら
最後に会わせてくれたのかもしれない

いたたまれないと思った
初七日が過ぎたころ
かなしかった
「かなしいね」
と言われた
「はい」
と答えた
急に泣き出した
そして乾いた
彼の死と引き換えに
作品など書きたくない
なんでわたしが生きて
彼が死んだ?


さみしい

今だ

ーーー

小説を書こう
予定通り
と思った
彼のためというより
彼を忘れないために
鎮魂歌というより
楽しく馬鹿みたいに
いつものように
馬鹿話とエロ話で
小説を作った

だから作品は
2020年8月6日から始まる
彼が急死した7日は
小説の中ではいきいきと描いた

こんな気持ちで
こんな状態で
お話を書くとは思っていなかったし
こんな経験も初めてだった

書き始めたのは
盆があけて
新月の8月18日だったと思う

途中
9月10日に
宗派によっては
10日が
四十九日で
彼の家に行った
遺影とお骨を見たら
ホッとした
そこにずっといたかった
そこに彼がいるような気がした
蒸し暑い日で
驟雨があって
すぐにきれいに晴れた

彼が死んだあと
彼にずっと話しかけた
ときおり
風鈴が鳴った
それが
彼が「聞いてるよ」
という合図のような気がして
ずっと夜でも話しかけた
風鈴は鳴った
風で

この小説は思ったより
長くなった
最初はいつもの枚数
100枚あたりだと思っていた
でも三倍になった
会話がほどんとだし
枚数もそれでかさむ
モデルの彼が急死したから
枚数が増えたのではない
それはきっとそうだと思う
悲観的になって書いてる瞬間は
一度もない
ラストシーンをのぞけば
だけど

時折
彼のことを思った
彼はどんくさかったけど
優しかった
限りなく
優しかった
奥さんもそう言っていた

君よ
今日
僕は書いたよ
デフォルメした君を
あとは推敲だけだ
ちゃんとやるよ

暑い時が続き
この数日
寒くなった

季節が変わり
君はもういない
でもね
そのうち
僕は君を忘れる
そんなもんだろ?
「忘れない」って
みんな言いながら
忘れてゆく

でも君よ
そのうち
僕も行くから
また遊ぼう
湯屋に行って
鬱憤を晴らして

もう君はこの小説を読めない
だから
僕が持ってくわ
その時が来たら
君の遺影と同じように
すごくかっこよく書いたから
それから
君がこの世で傷ついたことも
小説の中では書き換えた
それぐらいしか
できないんだ
ごめんな
君も助けてくれたんだろう?
今度会ったら
聞くから
僕の勘だけど
そうなんだろう?


これが僕の最後の小説になると思う
肉体的にも体力的にも
定型詩をこれから
書いていく

いろんなことがたくさん重なって
今回の作品はできた
これはやっぱり
君に捧げるのかもしれない
いや
できれば
たくさんの人に

公募に出すよ
どこかの

もし何か賞をとったら
よろこんでください
すこしぐらい
モデル代
奥さんに渡すから

ありがとう君よ
そして
励ましつづけてくれた友達に
頑張って
言ってくれる友達に
無理しないように
言ってくれた友達に
みんなに

ありがとう

本当は君のこと
ここで書かないと
思った
読んでもらう人には
関係ないから
でもいい
僕には関係があるから
君をここで書かず
読者にサービスするより
御法度だよ
もちろんこんなこと

でも僕は君が
好きだった
いい加減なところも
全部
だから
書くよ
ここで
君のこと

みなさん
ありがとう



2020年9月25日午後7時半 小久保圭造







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする