
くもり
彼のことを
ナマステ先生に言う
「かわいそうだから、行こう」
とナマステ先生が言った
犬に好かれないし
あまり犬が好きではないのに
黒い小さな犬が
わたしを見て
とまった
飼い主さんの奥さんが
いくら
紐を引いても
動こうとしない
ずっとわたしを見ている
黒い目で
何だろうと
わたしは
わたし
しゃがんでみた
子犬に近づいて
頭を撫でると
「喜んでいます」
と飼い主の奥さんが言った
「わたしはあまり犬に好かれないのですけれど」
「そうなんですか?」
と奥さんは言った
わたしは黒い子犬の頭を撫でていた
黒い目が
わたしを見ていた
わたしが立ち上がると
奥さんは
紐を引っ張り
やっと
犬は奥さんと
北に向かって
歩いていった
「どうも」
「どうも」
と挨拶を交わして
今日は道行く人が
何故か
わたしを見て
微笑む
わからない
夕方になって
もしかしたら
わたしは
彼のことを
思っているので
もしかしたら
きっと
いや
違うかも知れないのだけれど
彼は
犬の姿を借りて
わたしに会いに来てくれたのかもしれない
と気づいた時
わたし
二度目の空を見た
曇った空を見た
あなたは
本当は何を考えていたのですか
あなたは何を思っていたのですか
それが判らないまま
あなたは帰ってしまった
誰とも心を開いて
話すことはなく
ただ
静かに
修行僧になっていた
孤独はあなたに似合わない
寂しさもあなたには似合わない
寂しさとは
何かが足りない状態のこと
と辞書には書いてある
あなたの言葉の世界には
一度だって
孤独も寂しさも書かれていない
あなたは常に満ちていたから
ただ一人
あなたは
黙っていた
まるで
という
ことではなく
生まれてから
帰るまで
ずっと
あなたは
修行をしていたのではないですか
そうなんではないですか
毒舌に似合わず
表情は温和で優しい
あなたの毒舌は
照れ隠しだったのではないのですか
あなたは
きっと
清かった
そして
貫いた人生は
あなたが選んだ道だった
何をしていても
根本は変わらず
それはあなたの生き方そのものだった
毎日
休むことはなく
日曜も
なかった
きっとあなたは
いつも
勤労していた
それを課していたのではないのですか
無言の教え
それをわたしは今
あなたの足の動きや
歩いた距離を思い
朝の暗いうちから
くりを出て
清潔な服を着て
清楚であった
煙草を好んだけれど
そんなことよりも
あなたは
あなたの生き方を
貫いた
最後の最後まで
そう思うのですよ
「国鉄の以前の関西線のほの暗さが、浮ュなかった?」
とあなたは訊いた
あなたはあの木造りの電車が
浮ゥった
深い青か
茶か
深い緑
それが関西線の重い鉄道の色だった
ドアは手動であけた
汽車ではなく
わたしたちの世代は
オレンジのディーゼル車だったけれど
母の実家の蟹江の部屋の窓から
汽車の音が聞こえると
窓の桟に乗って
屋根の隙間から見える
機関車の黒と
貨物列車のタンクの黒
蒸気の煙と匂い
亀山行きの汽車は
走っていった
あの列車の客車に
わたしたちは
乗った
あなたはわたしの一歳下だったけれど
学年は同じだった
同窓は
関西線に乗った
あなたはあの時から
片道20分の道を歩いて
駅まで行った
帰りも
駅から
20分かけて
重い荷物を背負って
帰った
足で
くり
に
どれだけでも
思える
あなたのことは
謎があるから
どれだけでも
めぐらせることができる
コロナ禍
あなたは
帰った