kotoba日記                     小久保圭介

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あやめぐみ

2020年04月08日 | 生活
  

あやめの花を見た

あやめは花札で出てくるし
幼稚園の時
あやめぐみ
だった

だからこの色と
花の形は
ずっとなじみがある

幼稚園の次の組は
うめぐみ
これも花札で出てくる

あやめぐみの先生は
すっかり忘れてしまったけれど
うめぐみの先生は
笠井先生

思えば
幼稚園は
強制収容所みたいで
自由がない



送迎バスと称して
ゾウさんやウサギさん
トリさんやキリンさんが描かれた
護送車が来る
強制連行され
護送車の中は
みな無言で
目であいさつをするだけだ

これからの苦役を想像すると
われわれは
窓の外の雨を見るしかない

収容所に着くと
スモッグと称して
作業服の着用を強制され
赤白帽と称した
作業帽を着用し
点呼があり
前習えだ
また点呼

その後
私語は禁じられ
労働場で
貼り絵や
歌いをさせられ
覚醒剤入りの菓子パンを支給され
餌付けされる

園と称した収容所から
我々は一歩足りとも外に出られず
やけっぱちでわいのわいの騒ぎ
アヒル小屋を見せられ
亀もいて
生物が動くのを見せられ
「これがお前らだ」
と暗に無意識下で啓蒙され
強要され
「おはようございます」「いただきます」
とプロバガンダされ
洗脳される

わたしたちは見えない鎖が常に
足首や手首にガチャリとかけられたまま
一年または二年の刑期を終了する

遠足と称して
収容所の外に出て
「大草原の小さな家」に出てくる
草原に連行される
きれいな空の春だった

われわれは
自由に駆け回り
草でも食らえとばかり
放牧された牛の如く
我々は草を食わされ
偽善の解放感に浸る

自由を得たと
錯覚するのは
覚醒剤入りの
菓子パンを毎日食わされるからだ

『自由』を
手に入れたわれわれは
また収容所に戻る

収容所は
「みほとけさまのいうとおり」
という歌の合唱を朝夕
強要され
歌わぬ者は
「どうしたの? どこか痛いの?」
と女官は言うけれど
歌わぬ者はただちに
あひる小屋の如く
独居房へ移送され
おのれの糞にまみれて
水に浮いた食事を口から食わねばならない
見せしめのために
あの汚いアヒル小屋はあったのだ

夕方
護送車が来る
われわれは名前を呼ばれ
点呼

護送車で
新たな収容所
家庭と称した
監獄に移送され
相部屋には兄と称した
同胞がいた
「圭造、アメリカに自由の女神というものがあるらしい」
と同胞が口にした時
兄と称した同胞は
別室に連行され
以後
私語をした者は
直ちに
1時間連続の
腕立て伏せの拷問が待っている
同胞は泣きながら
腕の骨が折れて
悲鳴をあげても
腕立て伏せは続けられた

また翌朝には
護送車でわれわれは
みほとけ収容所に護送され
アヒル小屋を見せられ
お遊戯を強要される

そんな時
笠井先生だけは
人間としてわれわれを扱ってくれた
感謝するしかない
逃亡の試みも
笠井先生は黙認した

どこにいても
希望がある
それを収容所で知ったのは
笠井先生の存在だった

あやめを見るたび
わたしは。。。。

まあ
うめぐみの
笠井先生が
魅力的だったなあ

幼稚園児であっても
ドキドキしたっけなあ
あの女に会うために
幼稚園に行くという
モチベーションが上昇して
しょせん
雄はその程度の単純な生物なんだよお
というお話でした


拝啓

名古屋楠幼稚園(名古屋市北区味鋺)の
うめぐみの笠井先生
今でもご健在なのでしょうか
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おしまい





コメント
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