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「憲法十七条」の「論事」の意味:イグナシオ・キロス「「コトをアゲツラフ」と「コトアゲ」は関連するのか」

2022年04月04日 | 論文・研究書紹介
 1日には「憲法十七条」に関する冗談記事をアップしたため、今回は「憲法十七条」に関するまともな論文を取り上げましょう。

 「憲法十七条」に関する本はかなり刊行されていますが、その多くは、学問的に解明したものではなく、自分の社会観・道徳観を「憲法十七条」のうちに読み込み、聖徳太子が既に説いていたとしてあれこれ述べるお説教の類ですね。

 そうした中で、「憲法十七条」の文言を正確に理解しようとした研究の一例が、

イギナシオ・キロス「「コトをアゲツラフ」と「コトアゲ」は関連するのかー「日本書紀」の十七条憲法を中心にー」
(『國學院大學研究開発機構 日本文化研究所年報』10号、2017年9月)

です。キロスさんとは、以前、メールでやりとりしたことがあります。

 古代日本における言葉の問題に関心を持つキロスさんは、記紀における漢字の意味と倭語で読み下した場合のズレに注意し、その一例として「憲法十七条」第一条の「然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成」のうちの「論事」という表現をとりあげます。

 この「諧於論事」という部分は、「事(こと)を論(あげつら)うに諧(かな)う」と読まれています。そして、古代では個人的な意見を述べる「コトアゲ」は忌避されていたが、聖徳太子はそれを幅広く奨励したとする解釈もあるのですが、キロスさんはそれを否定します。

 「論」を「アゲツラヒ(フ)」と訓むのも、「辞」と「事」をともに「コト」と訓むのも問題であって、しかも、それを組み合わせて「コトヲアゲツラフ」と訓むと問題が生じてくるのです。今日では「あげつらう」と言うと、否定的なニュアンスがありますが、古代にはそうした意味はなかったとキロスさんは説きます。

 そして、中国文献では重要な事柄を示すことがある「事」という字を、『日本書紀』では「天皇への即位」の意味で用いている例があるとし、「論事」を「凡夫」が民主的に論じあうこととする解釈を否定します。「憲法十七条」は「大事」を論議して決める人々が対象であり、庶民は無関係なのです。
 
 また、上代における「コト」の語の多様性を正確に把握していたのは本居宣長だと評価しつつ、「アゲツラフ」の「アゲ」は、「事のさまあるいはあるべきさまを云々と挙て言立てる」という解釈は無理とします。

 言い立てるという意味での「コトアゲ」の用例について、『日本書紀』では「興言・揚言・高言・称」、『古事記』『風土記』では「言挙」、『万葉集』では「言挙・事挙」だと述べます。つまり、日本風な表記である「言挙」がほぼ定着しているのに対し、漢文で表記しようとする意識が強い『日本書紀』では表記に揺れがあり、内容も様ざまなのです。
 
 キロス氏は、『日本書紀』のうち、中国人が書いたα群と日本人が書いたβ群の違いにおける用例の違いを指摘したのち、「憲法十七条」が載っているβ群について検討するとし、記紀では「コトアゲ」するのは積極的な行為だったのが、『風土記』『万葉集』では「コトアゲせず」となってそうした行為をタブー視するようになったことを大きな違いとします。

 そして、上記の種々の用例を検討したのち、日本語の「コト」は事柄という意味と「ことば」という意味を含むが、漢語としての「事」には言葉の意味はないとし、吉蔵『法華玄論』の「次に大事因縁を論ずるに六重有り」の文を示し(この場合の「大事」とは人々に仏の知見を開かせることです)、また『史記』には「議大事」、『後漢書』には「謀大事」などの用例もあることに注意します。

 そして、「憲法十七条」はβ群である推古紀にあるものの、正式な漢文として書こうとした形跡があることから見て、「論事」の「事」は、石井公成氏が指摘したように天皇の即位のような重大事を指すと考えられるため、「現代語訳するなら、(天皇への即位などのような)重要な物事について論じる」という意味でとたえるのが自然だと思われる」(35頁)と結論づけています。そして、聖徳太子ないし彼の周辺の人物が漢文で作成した「憲法十七条」における「論~事」という表現は、「コトアゲ」とは直接の関係はないと見るべきだとしてしめくくっています。

 古代の重要文献については、このようにひとつひとつの文言を精密に検討しないで論じると、この記事の冒頭で書いたように、自分の願望を原文のうちに読み込んでお説教をすることになるということですね。「憲法十七条」を後代の作と論じる歴史学者の場合は、道徳的なお説教ではないものの、孝徳朝での改革や以後の律令制の要素を読み込もうという姿勢が先行しがちですが。
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