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推古紀における推古天皇の描き方に着目:井上さやか「『日本書紀』における人物造形-推古天皇代の物語性-」

2020年09月02日 | 論文・研究書紹介
 『日本書紀』の中で聖徳太子は特別な描き方をされています。それに比べて目立ちませんが、聖徳太子関連記述が多い推古紀の主人公、すなわち推古天皇も、きわめて優れた人物として描かれています。この点に着目したのが、

井上さやか「『日本書紀』における人物造形-推古天皇代の物語性-」
(『万葉古代学研究年報』14号、2016年3月)

です。井上氏は、『日本書紀』そのものの研究者ではなく、『万葉集』などを中心とした古代の文学と神話・伎芸などの研究者であって、その観点から推古紀における推古天皇の描き方に注目したのです。

 たとえば、推古32年十月条では、蘇我馬子大臣が葛城県は自分の「本居」だとして自らの「封県」としてくれるよう推古天皇に要望すると、天皇は、自分は蘇我氏の出身であって大臣の提案はすべて認めてきたが、自分の治世にこの県を失ったら、後の天皇が「愚痴の婦人、天下に臨みて頓に其の県を亡せり」と言うだろうから、自分が「不賢」となるだけでなく、大臣も「不忠」とされてしまうと言って許さなかったとあります。推古天皇については、中継ぎの女帝であって馬子の傀儡とみなされがちですが、賢明な判断ができる人物として描かれているのです。

 井上氏は、右の箇所のうち、「愚痴の婦人」という箇所に着目し、「痴」というのは、仏教が三毒とする貪・瞋・痴に基づく表現であって、仏教興隆時代の天皇にふさわしいと説きます。これは、推古紀の執筆者を考えるうえで重要な指摘です。ただ、大正大蔵経テキストデータベースであるSATや台湾のCBETA(中華電子仏典教会)がネットで無料公開されているのですから、そこで検索してほしかったのですね。

 実は、「愚痴(愚癡)」という表現は仏教由来のものであって、中国古代の文献には見えない言葉なのです。SATの作成・公開当時の中心メンバーの一人であって、CBETAについても最初期に協力し合った身としては、古代の歴史や文学の研究者には、SATやCBETAを活用してほしいと願わずにはおられません。

 井上氏が注目するもうひとつの箇所は、馬子との唱和です。推古20年条では、正月に「置酒して群卿に宴」した際、蘇我馬子が推古天皇の長寿を祈念して忠誠を誓う歌を披露すると、推古天皇がこれに和して蘇我氏を賞賛し、蘇我氏は馬なら「日向の駒」、刀なら「呉の真刀」のような素晴らしい存在だから、自分は重用するのだと応える歌を詠んでいます。

 井上氏は、当時は日本語の歌を表記する方法がまだ確立されていないため、この唱和は後代の歌を利用した作文である可能性に触れつつ、「さながらドラマの一シーンのようなこれらの臨場感あふれる記述は、そもそも、いつ・誰が見聞し、文字化し得たのだろうか」と問いかけます。これは重要な視点ですね。こうした部分と聖徳太子関連の部分の文体・用語が同じかどうかなど、この指摘をきっかけとして検討すべきことがたくさんあります。

 このように、本論文は新たな視点を提示し、検討すべき問題を示してくれていて有益なのですが、8頁上では肝心の推古天皇を「斉明天皇」と誤記し、注6と13では、仁藤敦史の『女帝の世紀』を『女性の世紀』と記すなど、誤入力がいくつか目につくのは残念です。
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