聖徳太子研究の最前線

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「憲法十七条」ならぬ、「へそ曲がり」な萩谷朴の「学問をする者の心構え十七条」

2021年05月21日 | その他
 「憲法十七条」については、立派な文章だと賞賛する人が多かったのですが、そう言えるのは、典拠となった中国古典などを抜き出した部分だけです。森博達さんは、実際には変格語法が目立つとして、十七条に合わせて17の和習の箇所を指摘した論文を発表したりしました。
 
 とにかく、正確に読むことが第一ですが、国文学研究を素材としつつ文献を扱うすべての学問にあてはまる17条を提唱しているのが、

萩谷朴『本文解釈学』「第一部 緒論 学問をする者の心構え十七条」
(河出書房新社、1994年)

です。

 萩谷朴(1917 -2009)氏は、平安文学を専門とする著名な国文学者であって、私の進路を変えさせた1人です。私は高校の終り頃から、浪人時代、大学入りたての頃にかけて、いろいろな分野に手を出してましたが、かなり打ち込んでいた一つが平安文学、とりわけ『紫式部日記』の研究であって、素人なりに論文を書いたりしていました。

 ところが、1971年に氏の『紫式部日記全注釈』上巻が刊行されたのです。『紫式部日記』は薄い作品ですが、氏の注釈は上巻だけで522頁もあって異様に詳しい考証がなされており、私が発見したと自負していたことがかなり書かれていました。

 しかも、氏は早くから研究を始めていたものの、東大国文科での師であって『源氏物語』研究の権威であった池田亀鑑も『紫式部日記』研究に取り組んでいたため、師が亡くなるまでは平安文学に関する師の広範な仕事をひたすら手伝うのみで、自らは『紫式部日記』に関する論文を発表しなかった由。

 そうした鬱憤をかかえながら長年原稿を書きためていて、この調子でぶ厚い下巻を出すのか思うと、『紫式部日記』の研究を続ける気力が薄れました。ただ、既に仏教書も読み始めていた身からすると、仏教面の解釈はまだ不十分に思われました。

 早稲田大学の文学部に入学していて、3年次に進むにあたって専攻を選ぶ際、既にある程度読んでいた国文学や東洋近代史などではなく、手をつけ始め始めてはいたものの苦手な仏教や儒教を基礎教養として学んでおこうと思い、東洋哲学専修を選んだのは、それも一因となっています(学問回顧は、こちら)。私も数十年たって仏教がらみで『紫式部日記』論文を書きましたが。

 その荻谷氏は、かなりの頑固者、変わり者だったようで、自らも「へそ曲がり」を自認していました。ただ、氏があげた17条は、聖徳太子研究にもよく当てはまりますので、紹介しておきます。氏が提唱する個々の条目はかなり長いため、直接の引用は「 」で示し、それ以外は略抄した形で示します。

1.「学問とは、解釈の実践とその方法論の追求とである」

2.解釈の基礎となる観察と好奇心が大事

3.「経験は疑問に答え、疑問は経験を素早くキャッチする」

4.「解釈には常識の涵養が肝要」

5.雑務が大事。「時は命なり」

6.「目的と手段とを顛倒すべからず」

7.徒弟制度は問題。「自分のことは自分で」「他人の所為にするな」

8.徒弟制度の良い面を活用せよ

9.共同研究が大事。「学問間の交流をこそ」

10.「自他の所説の区分を明確にせよ。思考のプロセスを明らかにする為に。まして他人の諸説を歪めて引用」してはならぬ。

11.「剽窃・盗用は論外。孫引きも学究としての資格放棄」

12.当面の研究課題以外の不純な目的をまぜるべからず

13.「他説を否定し、それに替えて新たに自説を提示しようとする時には、他説を否定するのに用いた証拠・論理を先ず自説に適用して、その当否を験試し、猶且つ、他説の論旨を可能な限り弁護して然る後に、肯定否定の態度を決すべし。……他人のふり見て我がふり直せ」

14.「初心忘れるべからず。……常に、前人未踏の処女地に足を踏み入れるパイオニア精神を忘れるな。正論は常に少数意見に始まる」

15.独自の結論をだしたら、「先人の業績を参看して、自説を厳密に反省吟味せよ。自信が過信であってはならぬ」

16.「即戦即決。……明日ありと思うな」

17.本質と現象、演繹と帰納、普遍と特殊、総合と分析、全体と個体その他「一見両極に位置するものの帰一するところに真理あり。……学問の目的は、要するに自己の人間形成にある」

以上です。偏執狂的とすら思われる追求をする萩谷氏だけに、この17条の説明だけで94頁あり、細かな考証やら批判やら回想やら提言やらが詰め込まれています。いつ死ぬか分からない戦時下の学徒として名を残しておきたいと焦って論文を発表したところ、すぐ誤りを指摘されて「萩谷一代の不覚」となり、「不純な動機の挟雑が、そのまま論者本人に不名誉な恥辱となって撥ね返って来」たという失敗論文についても率直に書かれています。

 そうした反省に基づいて得られた上記17条の姿勢を心がけるようになった萩谷氏は、『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』 (新潮選書、 2000年)では、なぜ『紫式部日記』や『土佐日記』のそうした文が書かれたかについて、諸説を批判的に検討し、紫式部や紀貫之当時の状況、また彼らの心理にまで踏み込んで説明しており、原文の語を現代語に置き換えるだけでは解釈にならないという実例を示しています。

 13条などは、耳が痛いですね。また11条の「孫引き」はやってしまいがちですが、原文全体は無理でも、少なくともその原文の前後の文章を読んで確かめておかないと、自説に都合の良い引用をしがちです。

 あと怖いのは、上記の17条のうちの複数の条目とからみますが、自分が政治的・道徳的な正義の立ち場に立っていると思い込むと、そうでないと思われた相手の説や相手自身を論証不足のまま非難攻撃しておりながら、自分は正しいことをしていている(してやっている)と思いがちなことですね。こうした事態はネットの書き込みにはよく見られますが、聖徳太子研究でも状況は同様ですし、私自身もやっているので反省……。

 とにかく、漢文であれ和文であれ、古典や資料を時代背景に注意しつつ正確に読むというのは、文系の学問の基本です。私自身、大学院生たちの研究誌に巻頭言を頼まれたため、「笑い」という語とやや見下した感じがある「お笑い」の語のニュアンスの違い、「お笑いタレント」と「お笑い芸人」の違いがどうして生まれたかなどについて歴史的に考察し、仏教文献を読む際もそうした微妙な点に注意すべきだと論じておきました(「お笑い芸人」という言葉を広めたのは、浅草出身のひねくれ芸人だったビートたけしです)。

 仏教の方面では、「微笑」という言葉は漢訳経典が仏について用いることによって広まったのですが、仏像の表情は国や時代によって異なる以上、この語が見える仏教文献を読んでいてそれぞれの人が思い描く「微笑」は異なる云々と述べ、仏教文獻をそんな風に注意して読んでいるかとお説教の形にしたのです。その雑誌は、つい先日、刊行されましたので、その文章をresearchmapにあげておきました(こちら)。

 もっとも、院生たちは、「公成先生は、ものまね芸の歴史の本や言葉遊びの論文書いたり、日本笑い史年表を作ったりするほどの芸能好き、笑い好きであって、その方面で書きたくてたまらないため、無理やり仏教学に結びつけたな」と見抜くでしょう。そのように背景を読む重要さを知らせるために書いたのです(などと言い訳……)。

【追記:2021年5月23日】
冒頭で「憲法十七条」は和習に満ちていることに触れましたが、これは価値がないという意味ではありません。中国思想には見られない独自な部分の多くは、そうした文体で書かれています。これは、日本語で思索することの試行錯誤と見ることもできます。ただ、そうして示された思想が、現代において手本と出来るものかどうかは、また別な話です。