聖徳太子に関する論文は多いですが、現在、太子信仰がどのような形で続いているかは、あまり知られていません。この点に取り組み、近代から現在に至る状況を取材してネットに連載をあげているのが、朝日新聞の奈良支局に長くいて古社寺・文化財関連の記事の執筆が多く、法隆寺の亡き髙田良信管長とも親しくしていて、『高田長老の法隆寺いま昔』などを編集して刊行した小滝ちひろ氏です。
氏は現在はフリーの記者として活動しており、「note」とい題する自分のサイトを立ち上げ、そこで「聖徳太子信仰のタテヨコ」という連載を始めています(こちら)。
その連載の内容は、以下の通り。記事の末尾のリンクをたどって順に読んでいくことができます。
聖徳太子信仰のタテヨコその1 渋沢栄一は太子が大嫌いだった?
聖徳太子信仰のタテヨコその2 法隆寺のカキアゲってなに?
聖徳太子信仰のタテヨコその3 茨城を太子王国にしたのは黄門さま?
聖徳太子信仰のタテヨコその4 消えかかるのか? 岩手のマイリノホトケ
聖徳太子信仰のタテヨコその5 太子像はオウム事件に揺れた?
聖徳太子信仰のタテヨコその6 商売繁盛? 平成の太子講
聖徳太子信仰のタテヨコその7 東京物語のお寺が見つけた観音様との抱合
聖徳太子信仰のタテヨコその8 太子は道後温泉に逗留したか?
聖徳太子信仰のタテヨコその9 太子が歩いた?道をたどって見れば
聖徳太子信仰のタテヨコその10 聖徳か厩戸か 揺れた戦中戦後のとらえ方
聖徳太子信仰のタテヨコその11 太子は尾ひれか? 理想か?
このうち、「その10」で小倉豊文と花山信勝を扱った回については、昨年、取材を受け、いろいろな資料をお渡ししました。
性急な判断を避け、まず事実を押さえようという態度で書かれており、「その9」で取り上げられた、もう一つの太子道の記事を初めとして、私も知らないことが多数ありました。
氏は現在はフリーの記者として活動しており、「note」とい題する自分のサイトを立ち上げ、そこで「聖徳太子信仰のタテヨコ」という連載を始めています(こちら)。
その連載の内容は、以下の通り。記事の末尾のリンクをたどって順に読んでいくことができます。
聖徳太子信仰のタテヨコその1 渋沢栄一は太子が大嫌いだった?
聖徳太子信仰のタテヨコその2 法隆寺のカキアゲってなに?
聖徳太子信仰のタテヨコその3 茨城を太子王国にしたのは黄門さま?
聖徳太子信仰のタテヨコその4 消えかかるのか? 岩手のマイリノホトケ
聖徳太子信仰のタテヨコその5 太子像はオウム事件に揺れた?
聖徳太子信仰のタテヨコその6 商売繁盛? 平成の太子講
聖徳太子信仰のタテヨコその7 東京物語のお寺が見つけた観音様との抱合
聖徳太子信仰のタテヨコその8 太子は道後温泉に逗留したか?
聖徳太子信仰のタテヨコその9 太子が歩いた?道をたどって見れば
聖徳太子信仰のタテヨコその10 聖徳か厩戸か 揺れた戦中戦後のとらえ方
聖徳太子信仰のタテヨコその11 太子は尾ひれか? 理想か?
このうち、「その10」で小倉豊文と花山信勝を扱った回については、昨年、取材を受け、いろいろな資料をお渡ししました。
性急な判断を避け、まず事実を押さえようという態度で書かれており、「その9」で取り上げられた、もう一つの太子道の記事を初めとして、私も知らないことが多数ありました。