郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

嘆きの壁

2018年01月29日 | 日記

 ここで言う嘆きの壁はエルサレムにあるものではない。家人が一生懸命にテニスの練習をやってもやっても大きなな壁に妨げられてなかなか上手くなれないと嘆いている。神が家人にテニスを止めるのを待っているかのようだと悲嘆にくれており、ほんと泣きたい気持ちであるようだ。若い人達はどんどん上手くなっていき、追い抜いていくのを感じるとき、なぜ自分だけが追い越されていくのかが分らない。努力をしていないのであればそれを受け入れるが、まだ努力が足りないと言われていると思うと才能の無さを改めて目の前に示されたようで悲しくなると言う。心が空虚になり満たされない気持ちは私にも分かる気がする。人は弱いものである。強がりを言う人ほど弱いのかも知れない。悲嘆に呉れていても勝手に物事は進まない。ここで挫けたら今までの努力が水泡に帰すだけだと家人を勇気づけてあげた。

 今日の夕食は、








 ◆牛シャブ ◆鰤のお刺身 ◆ご飯
   ~ 食後、写真の焼菓子を紅茶と一緒に。 ~

 1月30日追記: 運動センスがないと言うことだと思う。それでプロでも掛け声をかけながらボールを打っていますが、運動センスを補うためにそれを真似ようと考えています。集中力と息継ぎ、鼓舞する気持ち、それに打つ準備、フォーム、力の配分、タイミングの連動を取るために掛け声は良いアイディアです。家人はエンヤ―コーラと言うお囃子〔はやし〕を使ってみようと言いますが大きな声は恥ずかしいですよね。悔しくて昨夜は寝れなかったようです。


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