一富士、二鷹、三茄子~富士⇒無事(→家内安全・無病息災)、鷹⇒高い(→合格祈願・商売繁盛)、茄子⇒成す(→満願成就・厄除開運)~の初夢を見たいと思いましたが、見れませんでした。
何にも予定がないので京都高島屋へ福袋を買いに出掛け、母へのお菓子と孫のセーターを買い、八坂神社へ二度目の初詣に向かい家族の健康と幸せをお願いし、八坂の塔近くの陶器店に寄り、建仁寺を通って新京極通りに出、錦市場に行って京三嶋の陶器を2個買い、大丸の初売りにも立寄って帰って来ました。
今日の夕食は、
◆豚しゃぶ ◆筍の木の芽和え ◆菊花かぶ ◆たたきごぼう ◆おせち ◆ご飯
今年の初夢は中学時代の数学担当Y先生が出てきて高校の教室で世界平和の宣言について教えているような夢です。大きな夢の中の細切れのスナップが多分継ぎ合わされて認識されたのが支離滅裂な件(くだん)の夢です。初夢はあぁこんな夢であったのだ思いつつ、またさらに夢を見たが今はもう思い出せない。寝ている間、昔の情景と思いが焼付けされたフイルムが映写され、印象が強かった部分だけがread&writeで残されていくような感じの中で、時々意識した箇所が夢となって現れているのだと思う。だから初夢は富士も鷹も茄子もまず見ない。見たとしても、すごいスピードで映写されているので一瞬で意識の上にあがってこないと思う。その結果毎年期待した初夢をみれないで、平々凡々の生活で善しとする。それはそれで良いではないか。