旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

東大寺の瓦を西国街道の梶原で焼いていた

2024-06-07 13:39:56 | 国内
2011年に発見された梶原寺の柱石。
正倉院文書に「梶原寺に東大寺の瓦五千枚を注文した」と記録されているそうな。
1980年代の発掘で窯跡と瓦も発見されている。

高槻の自宅から自転車で西国街道をリサーチした。

京都から続く山裾を、大阪へ流れる淀川と着かず離れず続いている西国街道。
古代から現代までの形跡がごちゃごしゃに見えてくる。

明治の廃仏毀釈以降、基本は神社になったようだ。
隣接する寺もあるが。

梶原寺は今昔物語にも高僧が宿泊した記録がある。
立派な伽藍があったようだがまったく面影はない。
昭和36年までは高さ14mの立派な塔があった。
財政難で売りに出され、今は埼玉県の狭山不動尊に移築されている※リンクします
これは戦国時代からの塔を江戸前期に修復したもののようだ。
この地に残っていれば名所になっただろうに。

江戸時代に建設された?本堂の横に大きなクスノキがある。

この樹は移築される前の塔を知っている。

ガイドブック、現地の看板、地元の人の話。
情報源はいろいろあるけれど、自分の目で興味深いと思う場所を見つけることが大切。

↑日露戦争で頭に砲弾が貫通して戦死した長谷川某という人物を追悼している碑↑

大正時代に寄進された境内の石に「長谷川●●」と刻まれたものを多く見かけた。
今もこの家は近くにあるのだろうか。


すぐ隣の敷地に積まれた赤レンガの塀↑
↑現在ならこんな材料を使って塀はつくらないだろう↑
昭和初期ぐらいのものに見えた。

いつか物語を語ってくださる方にお会いできる日のために
こういう疑問符をたくさん拾い集めておく。

コメント
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