旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

パシュパティナート

2020-08-07 22:41:31 | ネパール
2005-2010《手造の旅》ネパールより
カトマンドゥ郊外、ガンジスの支流バグマティ川にあるシヴァ神の古刹でヒンズー教徒の葬儀が行われる。

ガートとよばれる場所で焼かれ、聖なる川に流される。
インドでマハートマー・ガンディの焼かれたガートを訪れた
※墓ではなくガート。
ガートとは本来階段を意味する。
川の水位に関係なく灰を川に流すことができるのが階段なのである。

ヒンズー教徒は墓をつくらない。
焼かれたあと灰がおとされてゆくバグマティ川は、乾季には小さな流れでしかない。
対岸には我々のような異教徒も外国人も入場料を払って入ってくることができる。

物売りや観光客に写真を撮らせるサドゥー(修行者)↑右下のオレンジの衣の人。

お参りの人が買う花も、日本とはちがうが売っている。
野良牛もいる。なんせシヴァ神の乗り物が白い牛ナンディなので、ヒンドゥー教徒は牛を食べないだけでなく自由にさせている。

対岸にあるシヴァ神の寺への入口にでーんと座る牛。

うしろに見える門の上にシヴァ神が画かれている。
★「パシュパティ」というこの地の名前はシヴァの化身のひとつの名前で、動物たちの長というような意味なのだときいた

異教徒が入れない門の入口に立つ警備員さん。
向こうに巨大な黄金の牛の●玉が見える。

↑ヒンズー教徒しか入れない門の先にある金色の屋根が寺院。
敷地は広大で、考古学的調査によれば紀元前三世紀にはすでに寺院だったのではないかとされる。

敷地の中には「死を待つ人の家」と呼ばれる場所もある。
死期が近いと感じた人が自らここに移って生活をするのだが、浮世のしがらみを整理し・ハラをくくって死に向かう生活をしているうちに元気になって俗世にもどってゆく人もあるのだそうだ。
ああ、なんと健全な「死との向き合い方」なのだろう。
忌むべきものや避けるべきものとするのではなく、
懸命に生きた生活の延長線上に、自然にあるものとして死を感じている。

ヒンズー教徒は高価な墓をつくらないし戒名ももたない。
けれど、故人への想いを共有するために集まる行事はある。
人が死後に残すべきものはモノではなく想いであるべきだ。

想いとは、考え抜かれた言葉であり、
生あるうちはその言葉を裏付けるべく真摯にいきねばならなない。

コメント
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