旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ボルゲーゼ美術館 ひさしぶりの再訪

2016-11-04 21:52:25 | イタリア

11月4日の午後はオプションでボルゲーゼ美術館。予約制で二時間ごとに一定数しか入場させない。だからこそ見学環境が保たれていると言っていいだろう。二階だけの、それほど大きくはない邸宅美術館だが、いや、だからこそ見るべき場所なのだ。

●「アポロとダフニ」若きベルニーニの作品は、小松がその作者の名前も知らない時に見て、呆然・唖然とさせられた↓

同じく、ベルニーニの「プルセルピナの略奪」↓

同じくベルニーニの「ダビデ」は、自分自身の顔。歯を喰いしばった顔は、自分自身を火であぶって、我慢する顔を見てモデルにしたと言われている↓

●19世紀のアントニオ・カノーヴァがナポレオンの妹をモデルに彫った「パオリーナ」も、ベルニーニの系譜に連なる彫刻家としてよいだろう↓

↑ボルゲーゼ家の当主がこのパオリーナ(フランスでは「ポーリーヌ」と発音)と結婚したので、これが制作された。

カラヴァッジョの作品群も、もちろんみどころ↓

二階にあるベルニーニの制作した、二つの、ほぼ同じ「シンピオーネ・ボルゲーゼの胸像」が並んでいる↓

↑上の写真左のものは、よく見ると額に横にヒビがはいっているのが見えるだろうか。 このヒビは完成直前に何が原因かわからないがついてしまったものと言われる。そこで、急きょまったく同じ胸像を彫り上げたのが右遠目に写っているもの。こうして並べて見比べると、先に制作していたものの方が生き生きしているようだ。

↑上の写真、二つの胸像の間に置かれている小さ目の胸像もベルニーニの少年時代の作品「パウルス五世」。以前は別の場所に展示してあったのを覚えている。今回しばらくぶりに訪れて、けっこう配置換えがあるのに気付いた。

ボルゲーゼ美術館については、また、別の機会にゆっくりと(^^)

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フォロ・ロマーノを歩く

2016-11-04 12:52:18 | イタリア

ホテルからフォロ・ロマーノへ行く前に、近くのサン・ルイ・フランチェージ教会へ行く
もちろんカラヴァッジョの出世作を見に

近くのパンテオンも見ておきましょ↓
世界中のあらゆる建築家に影響を与え続けてきた、紀元後二世紀の独創的な建物↓しかし、そんな事を知らなくても、不思議な雰囲気のこの空間には誰でも魅了されるのではないだろうか↓

タクシーにのって、フォロ・ロマーノのパラティーノ側入場口へむかう。

途中見えてきた「マルケルス劇場」は、コロッセオよりも80年以上も古い時代につくられたもので、コロッセオの建築上のモデルになったと言われている↓

今日は、第一次大戦のパレードがあるとのことで、パラティーノの丘の下までつくのに、少し時間がかかった。入場⇒ゆっくりと丘を登ってゆくと、広大な宮殿の跡がみえてきた。

パラティーノの丘はもともと皇帝たちの宮殿があったところで、パレスという英語の語源にもなっている場所。フォロ・ローマ―の一画にあるというよりも、フォロ・ロマーノを見下ろすフォロ・ロマーノよりも大きな敷地をもった宮殿跡↓

贅沢な黄色の大理石の柱がころがっていた↓

もともとローマは七つの丘の上に出来た街だったというのがよく理解できる。

あ、うさちゃん発見ガイドさんの話によると、ずっとここに住み着いている二匹のうちの一匹。栄養よいです(^^)

 

下は、皇帝が見おろしていたフォロ・ロマーノの眺め↓



こんどは、下から見上げる皇帝宮殿の跡↓さっきはあそこから見下ろしていたのだ。


●ティトス帝の凱旋門は、紀元後一世紀の建築↓

 

内側に刻まれた、ティトス帝がエルサレムのユダヤ人反乱を鎮圧した凱旋の様子。ユダヤのシンボルであるメノーラ(七つの燭台)が見られる↓

 

 

これゆえに、ユダヤ人はこの門をぜったいくぐらないのだそうだ。

 

オリジナルの古代の石畳⇒ 暗殺されたカエサルがここで火葬されたと言われている場所⇒今でも花を手向ける人が絶えない。

 

●ロムルスの神殿(コスマ&ダミアーノ教会)↓は、AD307年にマクセンティウス帝によって建設された。ロムルスといっても、ローマの建国者のロムルスではなく、マクセンティウスの若くして亡くなった息子ロムルスに捧げたもの↓

 


↑ブロンズの扉はなんと4世紀のオリジナル!今でも錠前は作動するのだそうだ。

 

↑神殿は後年になって教会として使われるようになったのだが、入口は逆サイドの二階部分につくられた。※そちらから入ると、教会として使われるようになってから作られた黄金のモザイク画を見ることが出来る。また次回。

 

19世紀にはフォロロマーノが半ば土に覆われていたので、↑この扉は開かなくなっていたのだが、1879年にもういちど開くところまで復元されたとのこと(現地の解説版より)↑

 

●アントニヌス・ピウスと妃ファウスティナの神殿↓(サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会)

 

 

五賢帝時代の四番目にあたるアントニヌス・ピウス帝がAD141年に妃のファウスティナに捧げたもの。こちらも後年教会に転用されたので、神殿の柱の後ろに教会が入り込んだような面白い形状を見せている。横から見るとそれはもっとよくわかる↓

 

 

フォロロマーノを横切って20世紀につくられたフォーリ・インペリアーリ通りに出る↓

 

 

上の写真でいちばん左にちょっとだけ見えている「イタリア統一記念塔」は1911年にフォロロマーノの一部を壊して(下に入れ込むようにして)、建設された↓

 

 

そのままコルソ通りを少し歩き、昼食は19世紀のアーケードの中にあるバッフェにむかう⇒

 

 

あ、こんなところでバッフェ昼食、美味しそう・楽しそう(^^)↓

 

  

 

 

晴れたけれど、暑すぎない、フォロロマーノ散策には最適の午前中だった。

午後はオプションでボルゲーゼ美術館へ・・・

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