旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アマルフィからナポリへ

2013-11-13 03:04:17 | イタリア
朝、小雨の中をマリナ・グランデへ。ソレント行きのフェリーに乗って振り返ると印象的なカプリの山が視界いっぱいにひろがってくる

ソレントは崖の上にある。赤い建物がエクセルシオールホテル。民謡という事になっている「帰れソレントへ」はもともとこのホテルの宣伝歌だった

半島の尾根を越えてアマルフィ海岸へ出る

ポジターノの街が一望できる場所は定番の写真スポット

そこの店にいた子犬のマックスくん

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アマルフィの入り江は小さいが8世紀以前からの歴史ある街である。その歴史を一枚にまとめたタイル画こちらに絵の解説を載せました。

こちらは大聖堂のすぐ横。十二使徒のひとり聖アンドレの遺骨がここへ運び込まれた1206年の様子を画いている

迷宮の様な道は8世紀頃からのものだという

突然、大聖堂のすぐ横に出た現在の姿は実は19世紀の台風でその当時のファサードが壊れた後に、昔のビザンチン風に復元されたもの。
旧大聖堂の姿は絵の中に残されているこれは1544年に起きた海賊船難破の奇跡を表した図。この絵が描かれたのは19世紀と推察されるから、画かれている大聖堂もそのころの姿だろう。

もうひとつ。大聖堂階段下にあるモザイクの聖アンドレの後ろにもこちらも19世紀頃かと思われるが、さて、ほんとうにはどんな姿だったのだろう?

大聖堂のブロンズドアは1060年ごろにコンスタンチノープルからもたらされた費用を出したのはアマルフィ商人マウロ・パンタレオーネ。彼の名前がドアの中の十字架に読み取れる当時はイタリア本土でこれだけのブロンズ彫像の技術がなかったのか、同じ時代に他にもコンスタンチノープルからもたらされたブロンズドアがある。パンタレオーネはモンテカッシーノ僧院にもブロンズドアを寄贈している。

3ユーロ払って内部へ入場。通称「天国の回廊」はイスラム建築の影響がはっきり感じられる14世紀頃には周囲の壁はフレスコ画でいっぱいだっただろう。何重にも塗られ・画かれた痕跡が随所にみられるこんななかで「天国の回廊」が現在みられるような真っ白で装飾のないシンプルなたたずまいだったのか?分からない。どんな時代にもセンスの良い人ばかりではない。

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アマルフィからポンペイへ向かう道は、ソレントから来た道よりずっと高いところをとおる

14:45にはポンペイ遺跡に到着し、歩き始めた夏場の大混雑はどこへやら。ゆっくり見学できる
かつての城壁外のネクロポリス(墓)から秘儀荘へ寄ってナポリへ向かった。
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