ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

いじめや学校での問題解決のために

2010年03月06日 | Weblog
05年9月に北海道滝川市で、小学6年生の女子生徒が教室内で首をつって自殺をはかった。
いじめのことを綴った7通の遺書が教壇の上に残されていた。女子生徒は意識を回復することなく06年1月に亡くなった。
事件が起きてから3年以上経った08年12月になって、遺族は裁判で争うとして札幌地裁に提訴した。

その裁判が和解で決着する見通しになった。
裁判所から提示された和解案で先月合意したが、議会の承認が残っていた。4日に滝川市議会が和解案を可決したのでほぼ終了した。

札幌地裁が示した和解案の骨子は、①和解金を支払う。 ②遺書を含め早期調査を怠ったことに教育委員会側が謝罪する。 ③和解骨子を広報に掲載する。 ④同種の事件再発防止のため第三者による調査機関を設置する。 というもの。
また、いじめが自殺につながることを予見できた可能性についても認定した。
和解で判決に近い事実認定をするのは異例といわれる。驚きをもって受けとめられた。 

この裁判を通して感じることは、教育委員会や学校の体質に問題があったということに尽きる。
親が真相を知りたいと思っても、教育委員会と学校は隠蔽したり嘘を言ったりする誠意ない態度に終始した。
拒絶され続けて業を煮やした遺族には、あきらめるか裁判に訴えるしか手段がなかった、というところまで追いやった教育委員会の姿勢が情けない。

事件直後、遺書を読んでほしいと遺族から要請された教育委員会幹部が、「これは遺書ではない。文書だ。見たくもない」などと言って遺族と口論になった。
生徒たちに聞き取り調査をしてほしいという遺族の願いを無視した。9カ月も過ぎて遺書のコピーを入手した教育委員会は、「いじめの原因は特定できない」と主張した。
ところが事件から1年ほど経って、読売新聞でいじめ事件と遺書のことが報じられた。あわてた教育委員会はすぐに記者会見をおこなったが、「自殺の原因は特定できない」という態度を貫いた。
この会見に対して、全国から抗議のメールや電話が殺到した。さらに伊吹文科相が「子供が訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と述べ、遺書の公表を遅らせた滝川市教育委員会の姿勢を批判した。
すると市教育委員会はすぐに記者会見を開き、一転していじめの内容を認めた。

しかし、関係者を処分・転勤させてからは、もう過去のこと、終わったことをほじくり返す必要がない、と取り合わない姿勢になった。
遺族は裁判以外に真相究明することができない、と考えるまでに不信が募って提訴に踏み切った、という経過をたどっている。

滝川に限らず、学校内でトラブルが起きたときに、学校や教育委員会が隠蔽しようとするケースが圧倒的に多いと言われる。
学校でのいじめのような問題は、もともとは子供同士の人間関係のもつれが原因なのだが、学校も当事者になってしまうことが多い。
責任を追及されたくない、表ざたにしたくない学校側が、逃げたりウヤムヤにしようとしたり隠したりする。
その結果、被害者父母と教育委員会・学校が対立する関係に移ってしまう。
特に問題が大きくなればなるほど教育委員会が学校をコントロールして、都合悪いことが表に出ないように、ボロを出さないように遺族に会わせないように指導したりする。

さらに被害者側は、地域からさまざまな嫌がらせを受ける。
ペアレントモンスターという言葉がある。確かに一部にとんでもない父母が居ることは間違いない。
しかし、学校側にとって都合悪い父母を、ペアレントモンスターというレッテルをはって孤立させようと、学校側が裏でPTAなどと画策するようなこともある。

話し合いの中に当事者以外の人が居るだけで、教育委員会や学校の態度がガラリと変わると言われる。
滝川の遺族が、第三者による調査機関を設置してほしいと要望したのは、当事者同士だけでは暗礁に乗り上げ動きが取れなくなるので、常識的な感覚を持ってねじれた糸を解きほぐしてくれるところが必要だと実感したから、と言われている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿