ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

舞い上がっている安倍首相

2015年06月03日 | Weblog
安倍首相の言動を見ていると、己に酔いしれて完全に舞い上がっている。
わが世の春を謳歌している気分なのだろうか。躁うつ病の「躁」状態だ。

国会は絶対多数を占めている。この優勢は当分揺るがない。国民の高い支持も得ている。
野党は言うに及ばず、党内にも対抗馬がいない。
政権保持に何一つ心配なことはない。

「俺に任せろ。悪いようにはしない!」、「野党の連中や政府批判をする評論家は国のことを考えていないのだ。俺についてこい」
そんな叫びが聞こえる。

安倍首相が改憲論者であることは周知のことである。先の日中戦争や太平洋戦争で、日本が犯した暗部を無いものにしようとしているタカ派である。

自民党は「2段階」戦略で憲法を変えていくことを考えている。
他党の賛同を得やすい「緊急事態条項」や「環境権」などで憲法改正の前例を作り、その後に9条の改正を目指すとしている。

今回の安保法制で集団的自衛権の行使ができるようになれば、憲法改正は必要なくなるんじゃないか、という声が党内から聞かれるという。

自衛隊は専守防衛の組織で「戦力」ではない。自国が攻撃を受けてもいないのに海外に出て行って戦争をすることは憲法9条によって許されない。
つまり集団的自衛権は行使できないというのが歴代内閣が60年間定着させてきた憲法解釈である。

一般の法律は、国民が守る ことを強制される。
一方憲法というのは、政府が守らなければならない規範として定めている。このことは近代国家に共通するルール「立憲主義」として定着している。
従来の憲法の解釈を、一内閣の勝手な判断で変更することは許されないことなのだ。
ところが安倍首相は意に介さず、独善の立憲主義を主張している。

制度上のもう一つの歯止めとして司法だある。
本来は、法律が憲法に違反するかどうかを、裁判所は具体的な事件の判決で判定することになっている。
しかし、今の日本の裁判所はこと憲法に関しては、政府に従属して しまって歯止めは期待できない。

裁判所が政府側に立っていて信用されていないことは、本来は深刻で異様なことなのだ。
さかのぼれば自衛隊の前身である保安隊が出来たとき以来、こじつけ・屁理屈・まやかしを用いて、憲法を都合よく解釈して操ってきた。
判所が踏み込んで判定をしてこなかったツケが今に至っているとも言える。

これを契機に憲法について正面から議論する必要があるのだが・・・、そんな機運はどこかへ吹っ飛んでしまった。
審議中の安保法制は成立するだろう。
すると何年か後には、これまで定着してきた憲法解釈は無力になり、集団的自衛権行使容認の解釈が拡大していくのは間違いない。


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