竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

15日 その2 震災と山村について考える。 

2011-11-26 14:09:23 | エコクラフトの籠編み

 

碁石海岸は陸前高田と大船渡の間にある、岩の多い海岸で、砂浜は碁石のような黒い細かい石で出来ています。ここにも津波が押し寄せてきたのですが、碁石浜ではかえって碁石のような黒い石が増えたとか。また岩の碁石岬も以前と変らず、岩に生えた松も青々していました。


 
静かに波が打ち寄せる海を眺めていると津波はなんだったんだろうと思ってしまいます。4月に高田を訪れた従弟からは碁石海岸は昔のままと言うニュースを聞いていました。三陸海岸の砂浜が軒並みやられています。高田松原が元に戻ることがあるのでしょうか。
 
車を運転してくれたまごころネットの本多さんは大学院生で、社会学科で社会リサーチを専門にしているそうです。被災地のリサーチから復興のための手伝いの方にまわったそうです。その方が生きた学問になるという考えは、指導教授の考えでもあるそうで、陸前高田のボランティア活動のコーディネートを一人でやっているようです。
 
陸前高田の復興を考える場合、長部や広田の小さい漁港は船その他の機材がそろえば復興するでしょう。でも高田の旧市街地の商店街は・・・というと難しいなと思います。津波以前にすでに高齢化と過疎化、シャッター銀座化をしていたようだからです。
 
でもそれは高田だけの話ではありません。私がこれまで月の半分暮らしていた掛川市の山村でも高齢化と過疎化が進行し、32年前私が初めてここに来たときには52軒あったこの地区の家は今は36軒になりました。特にこの地区には今子供は幼児も生徒も一人もいません。去年小学校は町の学校と統合されてしまいました。
 
子供のいない村、そこにはもう未来は無いのか、そんな気さえします。あと20年したら誰もいなくなってしまう・・・・
 
でも20年後の日本の姿もはっきりしません。人口が減少に転じていますし、もう右肩上がりの経済成長は望めないでしょう。問題が山積みです。
 
20年先の世界を想像しても分かりません。それなら、今ここであれこれ未来を考えるよりも、今必要なことをやっていくしかない。

 
子供達が生き生きと育っていく環境を作っていく、それは山村でも被災地でも根本的に大切なことだと思います。そのために何が出来るかも、これから考えなければならないことでしょう。