竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

陸前高田でのボランティア活動

2012-10-16 14:39:49 | 被災地ボランティア
10月14日は陸前高田でかご編みをやってきました。
これからは単独行動になります。
自分で高田に行って自分で帰って来ます。
 
13日夜池袋発の夜行バスに乗ると、6時半に陸前高田の市役所前に着きます。
かご編みは竹駒で9時からなので、自分の生まれた辺りに行くことにしました。
高田小学校には、以前行ったときには気付かなかった二宮金次郎の像が残っていました。台座にコンクリートが打ってあるので、地震で倒れたのを接着したのでしょう。

 
前にも書きましたが生まれた家の辺りはただの野原で、遠くまで見渡せます。遊び場だった高台の本丸公園にある忠魂碑は倒れずに残っていました。従兄は、どんな石塔も倒れたのに、これが倒れなかったのは不思議だと言っていました。


 

中心街の大町にあったシートをかぶったものは七夕の屋台でした。
各町に屋台があったのですが、多くは流され、大町のものも新しく作られたものでした。それでも屋台が作られたことは、復興への心意気を感じさせます。

 
竹駒の下壷仮設の集会所にはいつものメンバーが6人ほど集まって、六つ目編みのかごを作りました。一人のメンバーがお昼を用意してくれていて、うどんと海苔巻きをご馳走になりました。高田にいた子供時代、海苔巻きが一番のご馳走で、お客さんが来たときは海苔巻きを作りました。そのお相伴に預かるのが楽しみでした。海苔巻きにはいろいろな思い出も詰まっていて、とても美味しくいただきました。
 
別な人が長部のコミュニティーセンターに車で送ってくれました。こちらでは10人ほどの人が集まって石畳編みの小さいかごを作りました。帰りは市役所の近くの店がいっぱい集まっている場所まで送ってもらいました。
 
そこには大きなスーパーのマイヤやホームセンター、ドラッグストアーやレストランが立ち並び、中心街のようになっています。ここは津波をかぶったところなので、いずれ高台やかさ上げされた地区に移るのでしょうが、とりあえず生活に必要な商品を扱う店が立ち並んでいます。一時的な店なのでどれもプレハブ建築です。そこのワンプレートとパンやライスを出す店で夕食を取り、近くの店で品物を見たり買ったりして時間をつぶし、10時近くに、バス停に行って池袋行きのバスに乗り込みました。
 
私は夜行バスではすぐ眠れます。いつもデジタルオーディオをイヤフォンで聞きながら眠ります。夜中に一、二度目がさめますが、またすぐ眠るのであまり疲れません。だから夜行日帰り夜行なんてことが出来るんですね。
 
ネットで見ると、15日の夜には一中の体育館で新市役所の建設についての説明会が開かたようです。

読売新聞の写真のコピー
 
市役所側はかさ上げされた荒町地区に市役所を建設する案を提示しましたが、高台の今仮設の市役所が建っている場所が良いとの意見も多かったようです。
荒町の予定地は私が生まれたあたりで、そこには昔の町役場もありました。

地元の商工会議所は市役所と商店街がまとまった場所になければ地元の発展も無い、という考えのようです。でもそのあたりには今住民が誰もいません。そこに商店街が出来てもどうなるのか、難しいことだらけです。

私の家があった辺り。上の写真と同じ場所です。
 
去年の11月頃にかさ上げと高台移転の大まかな復興計画が決まっています。
 
それを住民の納得を得て実行するのはまだまだ時間がかかることでしょう。


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