今回は、この山城が健在であった当時(400年以上昔)の石垣を探して見ます。
例によって、各史跡の位置関係は、こちらとこちらの写真を参照下さい。
武者走り沿いに探せば見つかる筈と前進しますが、100mも進むと上の写真のような状態。ここら辺から探検ごっこじみてきます。
草が多過ぎてやぶ漕ぎもできません。気を付けないと武者走り沿いに設置してあるベンチにガツンとぶつかります。
でもこの頃は、こんな花が咲いている季節。今ほど暑くもなく、蚊もいないので、今考えると快適だったンですね。
これは、これから進む方向。ウンザリしてしまいます。
右側は崖なので、草の間を見通して足を踏み外さないように慎重に進みます。
これは、実城周囲の壁面。
この草の下に、当時の石垣があるとしたら見つけようがありません。一応、実城全周を廻ってみます。
突然道が開けました。
暫く進むと「武者走り」の表示。私は武者走りより一段下の敷地を進んでいたようです。
これが武者走り跡。当時はこんなに木がうっそうとしていた訳ではないでしょうけど。
進んできた方向に逆戻りしてみます。
途中で懐かしいもの発見。ゴミかごです。
入っている中身からして古い。撤去し忘れたようです。今は、ゴミは持ち帰るのが当たり前の時代ですからね。
暫く進むと、さっきの草ぼうぼう状態。この状態では見つかりそうもないので、諦めて戻ります。
武者走りから更に先に進むと、馬場跡がありました。
こちらがホントの馬場で、馬場通路は馬場ではないようです。ややこしいですね。馬場通路は昔の発掘者が馬場と間違えてその名前を付け、それがそのまま使われているって訳みたいです。
おっと!いきなり現れました。馬場の直ぐ隣です。
これが400年以上前の石垣。ほぉぉ~400年前・・・400年・・・ねぇ~。
実感が湧きません。私、歴史家向きではないようです。
ところでこの石垣、いつも走ってるトレールから5mも行かないところにありました。武者走りを逆廻りすれば直ぐ見つけられたって訳です。まあ、面白かったからいいか。
ついでに北曲輪も紹介しちゃいます。あまり見るべきものはありません。
この先の行き止まりが、北曲輪です。今は只の狭い平地です。実城から暫くトレールを下ったところにあります。
いけませんねぇ。私、タイヤの跡を残しちゃってます。「あ!ここだ!」って急いで止まったもので、タイヤをロックさせちゃったンですね。以後気を付けます。
何時もは、このT字路を左に折れます。
左に折れると、この急坂になります。
見かけより急ですが、ゆっくり下れば1×1でも問題なく走れます。
この左に折れる曲がり角の頂点にある測定基準。走ってると草に隠れてて発見が出来ません。
このコーナーをバイクを倒してインにより過ぎると、ペダルをこの測定基準に引っ掛けて、ペダルと測定基準の間につま先を挟んだ上、先程の急坂を転げ落ちる羽目になります。
以上で、長らく続けてきた「裏山ポタリング」シリーズもおしまいです。
このような所があれば、たまにはバイクを降りて歩きまわってみるのも面白いのではないでしょうか。
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