ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産教育論(連載第34回)

2019-02-05 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(4)専門技能学校
 共産主義社会では、大規模工場生産方式が基幹的産業に限局されていく一方で、多くの領域で職人的な仕事が復活してくるので、専門技能の習得は生涯教育において重要な意義を持つことになる。とはいえ、中世的な徒弟制でなく、より合理的な生涯教育機関を通じてである。
 その点、生涯教育機関としての多目的大学校は、職業人向けの実技的な科目を幅広く提供するとはいえ、あらゆる専門技能を網羅できるわけではないため、それを補充するべく、個々の専門技能の習得に特化した教育機関も必要である。それが専門技能学校である。
 多目的大学校がすべて広域自治体により設置される公立教育機関であるのと対照的に、専門技能学校はすべて私立の教育機関である。ただし、その教育機関としての地位においては多目的大学校と同格であり、両者に優劣はない。
 そうしたことからも、法令上正規の専門技能学校として認可されるためには、それぞれの専門技能職で結成する職能団体によって講師の配置やカリキュラムに関する設置基準を満たし、各団体によって専門技能学校として指定されることが必要条件となる。そのうえで、生涯教育を所管する広域自治体民衆会議の監督に服する。
 多目的大学校と専門技能学校の相違点は、選抜の有無である。前回見たように、多目的大学校はおよそ選抜プロセスのない全入制であるが、専門技能学校は個々の専門技能の習得を目的とするため、適性を検査する選抜プロセスの必要性を否めないからである。
 他方、次章で見る高度専門職学院との相違点は、高度専門職学院が一定期間の職歴を有する者を募集条件とするのに対し、専門技能学校は原則的に職歴要件を課さないことである。ただし、生涯教育機関としての性質上、一定期間の職歴を持つ者は優遇されるであろう。
 従って、基礎教育課程を修了した後、直ちに専門技能学校に入学することも基本的に可能であるし、多目的大学校と並行して入学することも可能であり、その位置づけは柔軟である。 
 なお、専門技能学校を修了した後、実際に専門技能職として活動するには、当該専門技能を証するための資格試験または免許試験に合格するか、資格・免許制によらない職能の場合は各職能団体が独自に課す一定の基礎的講習を修了する必要がある。

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共産教育論(連載第33回)

2019-02-04 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(3)多目的大学校
 生涯教育の拠点となるのは、多目的大学校である。この名称は法令上の定義名称であって、実際の公式名称はコミュニティ・カレッジその他のより親しみやすいものが採用されるであろうが、ここでは定義名称のまま記述する。
 多目的大学校とは、その名のとおり、様々な目的を持つ生涯教育にとって有益なプログラムを総合的に提供する成人向けの公的教育機関である。その設置は広域自治体(地方圏または準領域圏)が行い、学費は無償である。
 既存の大学制度とは異なり、入学に際して学力試験その他の少数選抜は一切行なわず、原則的に居住地域の管轄広域自治体の成人住民であれば、誰でも入学することができる。居住地域外の大学校への入学も可能であるが、居住地域住民が優先される。
 ただ、大学校で提供される科目には若干の差異はあれど、基本的に同一内容で統一されるため、大学校の選択に迷うということはなく、居住地域外の大学校をあえて選択すべき理由はさほどないと考えられる。
 多目的大学校には、大学のような学部制度も、複数科目をパックで提供する学科もなく、単独の科目が林立するだけであるので、学生はその中から自身に必要な科目を一つ選択し、または複数科目を自由に組み合わせて選択することができる。
 大学のように強制的な「卒業」という仕組みは存在しないため、学生は所定の単位数を取得する義務もなく、働きながら学びやすい。ただし、所定の単位数以上を履修し終えた学生に対しては、完全履修証書が発行されるが、これが言わば「卒業証書」の意義を持つであろう。
 こうした多目的大学校は、その性質上、職業上の資格ないし免許の取得にもつながるような実技科目が多くなるため、基礎教育課程とは異なり、通学に適した物理的な校舎を擁するまさしく「学校」なのであるが、教養的な科目については専用ネットワークを通じて通信制で提供される。
 多目的大学校の教員は科目ごとに常勤または非常勤の講師が当てられるが、大学のように教授を頂点とする職階制は存在せず、全教員は対等の地位にある。学内の運営は、学長を中心とする理事会によって行なわれるが、学長を含む理事は講師の中から教員総会によって選出される。
 多目的大学校は、学術研究センターのような研究機関ではなく、設置主体である広域自治体民衆会議の監督下に置かれる教育機関であるが、自治的に運営され、民衆会議といえども、大学校の運営に直接介入することは許されない。

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犯則と処遇(連載第29回)

2019-02-01 | 犯則と処遇

23 交通事犯(下)―公共交通事故について

 現代の科学技術社会を特徴づける事象として、鉄道、船舶、航空機といった公共交通機関の著しい発達があるが、それに伴い、これら公共交通機関による死傷事故(公共交通事故)も跡を絶たなくなっている。
 こうした公共交通事故は、自動車事故とは異なり、より複雑で高度な機械的システムとそれを運営する法人企業組織を背景として生起してくることから、自動車事故のように、単純な過失犯として処理し切れないことが多い。

 そこで、公共交通事故が発生した場合は、まず事故原因の行政的な調査を先行させることが合理的である。そのためには、中立的な事故調査機関を常設する必要がある。
 この先行調査の結果、またはその過程で個々の交通機関要員の業務上過失が明らかとなった場合は、そこで初めて捜査機関に通報され、犯則行為としての過失責任を究明するための捜査が開始される段取りとなる。

 ただし、船舶や航空機の場合は、事故に関わった航海士や操縦士の法的な過失の有無とは別に、航海士や操縦士としての職務上の義務を適切に果たしたかどうかという観点からの審判手続きが捜査に先行される。具体的には、海難事故に関する海難審判のほか、航空事故に関する航空審判といった準司法的手続きである。
 こうした審判手続きと過失犯としての責任を究明する司法手続きとは目的を異にするとはいえ、両者の結論が完全に齟齬を来たすことは好ましくない。とりわけ、審判手続きでは義務違反なしとされながら、司法手続き上は有責とされるねじれは当事者に当惑と司法不信をもたらすであろう。
 そこで、審判手続きは司法手続きに先行して進められる必要があり、審判の結果、実質無答責に相当する義務違反なしとの結論が出た場合には、当該要員を改めて司法的に追及することは禁止されるべきである。

 ところで、組織を背景として引き起こされる公共交通事故では個々の要員の過失責任を追及するだけでは不十分であったり、個々の要員の過失を立証し切れないことも多い。そこで、こうした場合は運営組織の安全対策不備を一つの犯則行為とみなして対応する必要も出てくる。

 ただし、これはいわゆる組織犯とは異なり、法人としての過失犯であるので、通常の組織犯対策の出番とはならず、別の対策が必要となる。同時に、ここでも「犯則→処遇」の定式は貫徹されなければならない。
 具体的には、事故を引き起こした運営組織に対しては営業停止処分が課せられるほか、事故を繰り返す累犯的な組織に対しては究極の解散命令も課せられる。こうした組織の活動と存亡に関わる処分は単なる行政処分ではなく、司法手続きによって付せられる一種の対法人処遇である。

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