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共産教育論(連載第35回)

2019-02-11 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(1)高度専門職教育
 専門教育という場合、広義には前章で見た専門技能学校を通じた専門技術教育も包含されるが、本章で取り上げるのは、医療、法律、教育関係に代表されるような高度専門職の教育制度である。
 資本主義の初期においては、しばしば低収入にあえぐこともある知識中産階級にすぎなかった高度専門職は、現代資本主義社会になると、その多くが高年収を保障された特権階級として、今日的な知識階級制の中では支配階級を成している。そうした地位を担保しているのが、高等教育学歴である。
 しかし、貨幣経済が廃される共産主義社会では、高度専門職といえども、無償労働である。高収入が目当てで高度専門職を目指すといった動機はあり得ないことになる。それに代わり、高度専門職を志望する動機は高度な使命感や責任感となるから、高度専門職教育もそうした動機に対応した制度として設計されなければならない。
 共産主義的教育制度にあっては高度専門職教育も、既存の大学/院に象徴されるようなエリート選抜型の高等教育の形を取らず、やはり生涯教育体系の一環を成す。しかし、高度専門職の社会的責任の高さに照らし、多目的大学校のような全入制ではなく、一定のアドミッションを伴う特別な専門学院が用意される。
 高度専門職学院のアドミッションは、性質上早期教育が必要な芸術/体育学院という例外を除き、何らかの職に少なくとも3年以上継続的に就いた経験を共通的な募集条件とする。高度専門職の社会的責任の高さは、他分野での職業人としての経験によって裏打ちされるべきことが理由である。
 ただし、前職がいかなる職業であってもよいというわけではなく、転職志望する高度専門職と何らかの関連づけができる前職が高い評価を受けることになるだろうが、結果として、高度専門職者は芸術/スポーツ分野という例外を除き、全員が他分野からの転職者ということになる。
 それに加えて、アドミッションでは形式的な点数評価に集約される学科試験は課さず、複数回にわたる入念な面接を通じた適性及び人格識見の総合評価が合否基準となる。高度専門職の社会的責任は知識の集積より以上に、適性と人格識見によって支えられるからである。

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