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犯則と処遇(連載第33回)

2019-02-19 | 犯則と処遇

27 犯則捜査について

 前回、捜査→解明→処遇(+修復)という流れを持つ新たな司法処理モデルの概要を述べたが、その起点となるのは証拠収集を目的とする犯則捜査である。それは犯則行為を立証する証拠収集のための公的機関による活動という点では、刑罰制度を前提とした既存の刑事司法における犯罪捜査と同様である。

 しかし、既存の刑事司法における犯罪捜査は犯人の特定と処罰を最終目的として行なわれるのに対し、ここでの犯則捜査は犯則事件の真相解明そのものを目的として行われる。この両者は所詮大差ないようにも見えるが、実質上は相当な差異をもたらす。

 犯人の処罰を最終目的とする犯罪捜査は、刑罰制度が土台を置く応報主義のイデオロギーに貫かれている。犯罪捜査の初動で、拘禁刑の先取りとも言えるような未決の身柄拘束が多用され、また懲罰的な意味合いも濃厚な拷問がしばしば加えられたりするのも、そうした応報原理の表象なのである。
 応報原理が犯罪捜査の方向性を誤らせ、犯人を誤認したまま裁判へと進み、処罰がなされてしまういわゆる冤罪現象も、刑事司法にはほとんど付き物である。そうした弊害を防止すべく、近代的刑事司法では、何ぴとも有罪判決の確定までは無罪とみなす「推定無罪」という技巧的な法則を立ててきたが、報復感情に支えられた応報原理は、このような理知的法則をも、しばしば虚しいタテマエに形骸化させてしまう。

 それに対して、われわれの犯則処理の起点としての捜査は応報原理から解放され、次なるステップとしての真相解明に資する証拠の収集ということが明確な目的として位置づけられるので、より客観的かつ科学的な視野に立った合理的な証拠収集活動が展開される。
 そのため、「推定無罪」というような技巧的法則をあえて立てずとも、冤罪を防止できる可能性は高まると考えられる。犯人の処罰ではなく、実際に何が起きたのかを証拠を通じて再現的に解明することが犯罪処理プロセスの重要な課題となるからである。言い換えれば、誰が犯人かよりも、何が起きたかが主題である。

 ところで、既存の刑事司法制度においては、犯罪捜査は主として警察機関が担当することが世界的な主流となっている。
 しかし、警察機関とは元来、警邏及び警備を主任務とする準軍隊的な階級構造を持つ制服武装機関であって、犯罪の証拠の収集という任務に特化した機関ではない。そのため、犯罪捜査活動は刑事部とか犯罪捜査部といった名称を冠された警察の内部部局によって遂行されることが通例である。
 しかし、如上の犯則捜査を適切に遂行するためには、警察が言わば二次的任務として捜査に従事する制度はふさわしくない。犯則捜査はそれに特化した捜査専従機関によって遂行されるべきである。

 そうした捜査専従機関は警察のような準軍隊的な階級構造を持つ制服武装機関ではなく、基本的に私服の法執行機関であり、組織構造も、警察のような階級制によらず、業務の管理運営上の規律維持に必要な限りでの緩やかな職階制にとどまるものであることがふさわしい。
 このような捜査専従機関では、初めから捜査官としての適格者が採用・育成され、専従捜査官として各部署に配置され捜査活動に従事する構制が採られる。このようなプロフェッショナルな構制は、的確な捜査活動を保証するうえで寄与するはずである。

 さらに、捜査専従機関は専門性と公平性を確保するため、警察のように単独の長官が管理するのではなく、3人の合議制委員会組織によって管理する。3人の委員のうち2人は熟練した幹部捜査官の中から昇進させるが、1人は外部の有識者から任命し、外部の視点と識見を組織管理に取り入れるようにする。

 なお、このようにして捜査専従機関が遂行する犯則捜査活動から分離された警邏・警備活動は、警防団のような準公的な地域密着型の組織がこれを担うことになるが、この件に関しては、後に防犯について扱う章にて改めて詳論することにする。

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