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近代革命の社会力学(連載第474回)

2022-08-12 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(11)革命の総体的挫折:アラブの冬
 「アラブの春」は事象全体の収束時期を特定することが困難であるが、それは「アラブの春」が総体として挫折し、一部の諸国では現時点でも終結のめどが立たない内戦に陥ったためである。とはいえ、遅くとも2015年までにはほぼ全域で革命としての過程は挫折的に収束し、政治的には冬の時代に入ったと見てよいようである。
 内戦に至らずさしあたり安定的に収束したエジプトでも、2013年の軍事クーデターでムルシ―政権が転覆された後は、クーデター首謀者でもあったアブドルファッターフ・アッ‐スィースィ将軍が多くの政党にボイコットされた2014年の大統領選挙で95パーセントを超える得票で当選すると、以後、旧ムバーラク政権に類似した権威主義体制が復活した。
 また、唯一の成功例とされるチュニジアでも、2019年に当選したカイス・サイード大統領が2021年以降、新型コロナウイルス対策等をめぐる首相との対立を背景に、議会を停止し、独裁統治を開始するなど、革命前の権威主義体制への回帰事象が見られる。
 「アラブの春」は、その広範囲な継起性から見て、1989年に始まった中・東欧の連続革命に匹敵するドミノ革命事象と言えるが、ルーマニアを除けばほぼ無血のうちに成功した中・東欧革命とは対照的な結果に終わった。
 そのような相違が生じた要因として、アラブでは政権と革命勢力の対話・協議を通じた体制移行ができなかったことが大きい。これは、独裁とはいえ、共産党または他名称共産党によるワンパーティーの集団的独裁が主流であった中・東欧地域とは異なり、アラブ地域では単独のワンマン独裁が主流で、独裁者の政権への固執意思が著しかったという構造的な相違がある。
 また革命の主体となった民衆の側でも、第二次大戦前にある程度の民主主義の歴史的な経験があった中・東欧地域とは対照的に、アラブ地域では独立の前後ともに民主主義の経験を欠いており、民衆蜂起が民主的な体制樹立に向かわず、暴動や武装蜂起に転じたケースが多く、当局による武力鎮圧を招いた。
 一方、「アラブの春」ではその約20年前の中・東欧革命当時には存在しなかったインターネット、中でもSNSが活用され、「怒りの日」などと銘打たれた特定の象徴的な日付で大規模な抗議行動を動員するという手法で大衆運動のうねりを作り出したことが注目され、以後、世界中の大衆抗議行動の新たな先例ともなった。
 このように先端的な情報通信ネットワークを通じた大衆動員はある意味で手軽に民衆蜂起を現出させることができる反面、未組織の大衆による理念を欠いた一過性の蜂起に終始しやすいという問題点も浮き彫りにした。そのことは、平和的な体制移行の協議に結びつけることを困難にした技術的な要因を成してもいるだろう。
 連絡手段と言えば原始的な伝言くらいしかなかった―電話は盗聴、信書は郵便検閲される恐れがあった―中・東欧連続革命の時代のほうが平和的に革命を成功させることができたというのは皮肉であるが、この事実は先端的情報通信の無効性ではなく、革命運動におけるその有効な活用法を再考する契機となるかもしれない。

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