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近代科学の政治経済史(連載第18回)

2022-08-27 | 〆近代科学の政治経済史

四 近代科学と政教の相克Ⅱ(続き)

ダーウィン進化論とカトリック界
 ダーウィン進化論に対するカトリック界の反応は、必ずしも明確ではなかった。これはダーウィンが英国国教会の優勢なイギリスの科学者であったことも影響しているのであろうが、『種の起源』公刊後の1869年‐70年に開催された第一バチカン公会議でも、進化論には言及されなかった。
 このような沈黙は、17世紀にガリレイを宗教裁判にかけて迫害し、その後、彼の著作を禁書とした強硬措置に比して対照的である。実際、地動説は明確に聖書の記述と矛盾するものではないが、進化論は天地創造説に抵触することを考慮しても、こうした対応はいささか不可解である。
 その点、ダーウィンの『種の起源』が出た19世紀後半には、カトリックといえども、近代科学を否定することはもはやできない段階に達しており、科学学説に対して直接に介入し、科学者を断罪するという所作を差し控えるようになっていたのかもしれない。
 とはいえ、個別的には進化論を否定するような対応がいくつかなされている。公刊翌年の1860年には、ドイツのカトリック司教会議がダーウィン進化論は聖書と信仰に反するとする声明を発している。
 また、1876年にはスペインのカナリア諸島で活動した人類学者グレゴリオ・チル・イ・ナランホが、ダーウィン進化論を擁護したかどで、カナリア諸島の司教から破門されたのは最も踏み込んだ措置であるが、これとて地方司教区レベルの対応にとどまる。
 ダーウィンの没後には、カトリック聖職者の立場で進化論を擁護した司祭や司教がバチカンからの非難や圧力を受け、著作の回収や持論の撤回に追い込まれたこともあるが、バチカンとして公式に進化論を否定する立場表明には至っていない。
 こうしたバチカンの沈黙政策の中、創造説と進化論を両立させ、神は進化を含む自然法則に従って生物種を創造したと解する有神的進化論が提唱され、プロテスタントを含め、かなりのキリスト教徒に抱懐されるようになっており、科学と信仰の対立をある程度まで止揚する思考的試みがなされている。

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