ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代革命の社会力学(連載第380回)

2022-02-14 | 〆近代革命の社会力学

五十六 中・東欧/モンゴル連続脱社会主義革命

(1)概観
 中欧の東ドイツから東欧各国、さらに極東のモンゴルにまで及ぶユーラシア大陸の社会主義諸国において1989年に始まり、おおむね1992年まで連続的に継起した革命(以下、単に連続革命という)は、東西冷戦の終幕を画する世界史的な体制変動であった。
 このような連続革命が勃発した大状況として、東側陣営の盟主ソヴィエト連邦で1985年に発足したミハイル・ゴルバチョフソ連共産党指導部による体制の大規模な改革再編があった。この再編はソヴィエトの内政のみか、外交上も従来のソ連を盟主とする東側陣営の統制を大幅に緩和するものであった。
 そのため、ソ連を模倣した共産党(他名称共産党を含む)を指導政党とする一党支配型社会主義体制を維持してきた中・東欧からモンゴルに至るソ連の同盟国・衛星国の間で、続々と一党支配制の放棄と脱社会主義化のドミノ倒し的な動きが連続した。
 それらのすべてが革命の経過をたどったわけではなく、ハンガリーやポーランドでは支配政党自らが譲歩し体制変動を導いたが、多くの諸国では民衆デモを起点とする民衆革命の過程を経ているため、全体として連続民衆革命による体制変動となった。
 唯一、独裁者夫妻の処刑を極点とする古典的な流血革命を経験したルーマニアを例外として、武器を取らない丸腰の市民による民衆革命の連続的な成功という点では、連続革命は歴史的にも画期的な事象であり、21世紀以降の革命に新たな動向をもたらしたと評することができる。
 また地政学的な観点からも、連続革命は米ソ首脳による冷戦終結宣言、さらには図らずも連続革命の大状況を作り出したソ連自身にも反射的な効果を及ぼし、連続革命渦中の1991年にはソ連も急進改革派主導の革命により解体され、冷戦の一方当事者であった東側陣営そのものが消滅するという大変化をもたらした。
 そのほか、ソ連と対立しつつ、独自の社会主義連邦を形成していたユーゴスラヴィアにも影響は及んだが、ここでは革命ではなく、連邦の解体・独立運動の過程で、民族浄化の虐殺を伴う凄惨な内戦に進展した。
 なお、連続革命は、政治的には一党支配体制の解体と西欧ブルジョワ議会制への転換という限りでは、相対的な民主化という結果をもたらしたものの、時を経て、議会制の枠内で権威主義的な政権が出現してきた国もあり、無条件に「民主化革命」と規定することはできない。
 また、連続革命を経験したすべての諸国で資本主義市場経済に移行していった点でも、社会主義諸国では克服済みとされていた資本主義への回帰という後退現象を見せており、経済的下部構造の面では革命的とは言えない結果をもたらしたことも否めない。
 そうした点を考慮すると、連続革命は一党支配型社会主義体制からの脱却という共通の結果に着目して、「脱社会主義革命」と規定されるのが最も妥当な把握と考えられる。なお、ソ連邦解体も連続革命渦中で生じているが、この事象には固有の特徴が多いため、別途論ずる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代科学の政治経済史(連載... | トップ | 近代革命の社会力学(連載第... »

コメントを投稿