【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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吉村昭『ニコライ遭難』岩波書店、1993年

2010-10-16 00:30:00 | 小説
吉村昭『ニコライ遭難』岩波書店、1993年

               ニコライ遭難 (新潮文庫)

 明治23年5月の大津事件(訪日中のロシアのニコライ皇太子に津田巡査が日本刀で斬りつけた事件)を素材にした小説です。

 この事件を小説にしようとした切っ掛けは、著者によれば網走地方史「研究」第7号に掲載された佐々木満氏の「大津事件津田三蔵の死の周辺」を眼にしたからだと言います(p.357)。

 この小説の山は2つあります。ひとつはニコライがシベリア鉄道敷設の視察のおりに日本に寄って、長崎、鹿児島、京都そして東京と旅程を進行させていたところ、滋賀県の大津でこともあろうに沿道の護衛にあたっていた津田巡査に斬りつけられ、頭部などに軽傷を負うまでにいたった経緯です。

 当時22歳のニコライとギリシャのジョージ親王を載せた「アゾヴァ号」が長崎に入港するくだりから、ニコライが半分お忍びで長崎市内を散策したり、買い物をしたり、はては刺青をしたり、そして有栖川宮らの出迎えと随行の一部始終、さらに大津での事件の発端と顛末が仔細に描写されています。

 もうひとつの山は、津田巡査逮捕後の裁判をめぐる一連の内閣と司法とのせめぎあいです。松方内閣はこの問題の処理の仕方によっては強国ロシアが戦争をしかけてくるとか、領土の割譲をもとめてくることなどを予想し、津田を刑法116条(皇室罪)にてらして死刑とすべきと画策。しかし、児島惟謙大審院長、堤裁判長を初めとする判事は全員、津田を「一般人への殺人未遂罪(普通殺傷罪)」として裁くべきであると主張しました。

 双方の対立、確執は熾烈でしたが、結局、大津地方裁判所での判決は津田を殺人未遂罪とし、北海道の監獄に収監しました(皇室罪の適用はあたらないとの判断)。

 近代の法治国家として、行政の側からの再三再四の圧力にもかかわらず司法の論理と原則をまげることなく貫いた経緯が淡々と、しかしある種の凄みをもって叙述されています。

 皇太子ニコライがかかわった大津事件は教科書では数行で片付けられてしまっていますが、これが国論を揺らがし、次第によっては日本の将来の帰趨にかかわる大事件であったことがよくわかりました。

 ニコライは事件後、東京に行くことを断念、帰国後ニコライⅡ世として帝位につきますがロシア革命のよって退位し、エカテリナブルクでボルシェビキによって家族とともに射殺されました。津田巡査は北海道の釧路集治鑑で肺炎で死去。ニコライが襲われたときに助けた人力車の二人の車夫は叙勲され、また高額の年金を得るが不幸な末期でした。

 著者はそこまで描ききってこの小説を完結させました。

 わたしは岩波書店刊の単行本で読みましたが、このプログの画像は文庫版(新潮社)です。