アンリ・ヴェルヌイユ監督「ヘッドライト(Des Geno Sans Importance)」(仏,1955年)
初老のしがないトラック運転手ジャン(ジャン・ギャバン)と街道の宿屋を兼ねたドライブインの若い女中クロチルド(フランソワーズ・アルヌール)との哀しい恋の物語です。
物語はこの運転手ジャンの回想から始まります。ボルドーに近い街道沿いの宿屋で仮眠をとる彼の脳裏に,今は亡きクロチルドの面影がちらつくのです。
一年前のクリスマスの夜,長距離運転でたちよった食堂兼宿屋に女中クロチルドがいました。ジャンは彼女を気に入り,彼女も彼がくると嬉しそうにふるまうのでした。
いつしか,ふたりの間に愛情がかよいあいます。ふたりは親子ほどにも年が違います。ジャンには長年の貧乏暮しで潤いのなくなった妻と生意気盛りの娘がいますが,家庭はジャンが夜勤の仕事から戻っても迎えの愛想もなく,すさんでいました。
この陰鬱な生活から逃れたいと思っていたジャンの気持ちとクロチルドの一途な愛情でふたりは結ばれ,この関係はジャンにとって生甲斐がとなりますが,生活の現状を壊して新しい境地を見出そうとするまでの元気はありません。彼女にはそれがわかっていました。
しかし,ジャンがクロチルドとの新しい生活を決心したとき,彼は雇い主との諍いで首になり,収入源をたたれてしまいます。それっきり彼はクロチルドのところに通うことができなくなってしまいまいした。
彼女はそのとき妊娠していましたが,ジャンの音沙汰のないことに心を痛め,会社のジャン宛に手紙を出すものの,手紙は首になった本人に届くはずもありません。
彼女は思い余ってパリに出,ようやくジャンにあいますが妊娠のことを打ち明けることはできません。この事実をジャンは後日(クロチルドが堕胎の手術をした翌日),会社から家にまわってきた手紙をみて知ります。
そんなとき,かつての同僚がジャンに新しい運転手の仕事をもってきてくれたので,ジャンはクロチルドを連れだし,とりあえず例の宿屋に彼女を預けようと同乗させて出発しますが,彼女は手術の出血がとまらず,衰弱していきます。
ヘッドライトをつけたトラックは暗い雨の街道をひた走るのですが,・・・・。
ジョゼフ・コスマのメロディは、貧しい生活者の人生のじゃかない愛と悲しみを哀しく訴えて流れていきます。
原題の”Des Geno Sans Importance”は、「とるに足らない(しがない)奴ら」という意味です。
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