【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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パリ紀行⑧(ギュスタフ・モロー美術館)

2012-09-19 00:02:31 | 旅行/温泉

              

  美術館訪問の最後は、ギュスタフ・モロー美術館。この美術館を最後に訪れようと計画したのではなく、結果的にそうなった。その顛末は、あとで述べる。


 モロー(1841-1919)は、19世紀のキリスト教の話をテーマにした幻想的な作品をのこした画家。美術館はもとはモロー自身の私邸で、アトリエが美術館に改造された(1903年)。熱狂的支持者がいたこともあって、死後すぐ開館したモロー美術館だったが、古典的な題材の作品が多く、時代の風潮に必ずしもあわなかったこともあり、20世紀の前半はほとんど忘れ去られた美術館だった。

 再び脚光を浴びたのは、1961年パリでの個展がきっかけ。訪れた人は、壁一面に展示された膨大な作品に驚愕。約1200点にもおよぶ油彩、水彩、カルトン、約5000点の素描は、「オイディプスとスフィンクス」「出現」など作品の習作から完成にいたる全行程を垣間見ることができる。それらはモロー自身が指示した部屋、配置にしたがって展示され、モローの編んだ世界観にたっぷりひたることができる。何という至福の時間だろう。

  「ユルピテルとセメレ」は、モローの作品のなかでも傑作として知られる大作。完成後売却されたが、幸運にもこの美術館にもどってきた。モローが最晩年に制作した大作で、モローが死の3年前となる1895年に、わずか4ヶ月で仕上げたといわれる。
  この作品は、神話「ユピテルとセメレ」を主題に独自的解釈に基づいて構成された。「ユピテルとセメレ」は、主神ユピテルとの間に子を身篭ったテバイ王の娘セメレに嫉妬する女神ユノ(ユピテルの正妻)に、「お前の愛する男が本当に神であるか確かめてみよ」と唆されたセメレが、ユピテルに一度だけ本当の姿を見せて欲しいと懇願し、ユピテルが神の姿に戻った途端、セメレの身体が神の威光(稲妻とされる)に焼き尽くされたという逸話。
 この作品にはユピテルやセメレの他にも、サテュロス、ファウヌス、ドリュアス、ハマドリュアス、天使、妖精、聖鳥(鷲)などがモロー独自の解釈で取り入れられている。画面中央からやや上に位置する主神ユピテルは、赤々とした稲妻を背後に伴い玉座に君臨し、その姿は神としての威厳に満ちている。その傍ら(ユピテルの右手側)に配されるセメレは白く輝く肌が高貴な身体を甘美に反らせながら、ユピテルへと視線を向けている。神話画としても(ある種の)宗教的図像としても伝統的展開から大きく逸脱し、独特の雰囲気を醸し出している。

 この他、多くの未完の作品からも、モローの精気のほとばしりを感じることができる。その数は、約5000点といわれる。モローの作品は生前から、完成するとわりとすぐに売れたらしく、そのため、作品はあちこちに分散してしまった。ここにあるのはほとんどデッサン、「中間製品」のようだが、それゆえにじっくり眺めればモローの思索のディテールに触れることができる。

 さて、この美術館には3回、美術館の前までいって、ようやく入れた。一回目は、火曜で休館だった。ガイドブックで調べ、月曜が休館だとばかり思っていたのだが、そうではなかった。地下鉄の駅をおりて、暑い日射しのなか、ビルの陰にそって歩くが、なかなか見つからない。犬を連れた通行人に聞いて、ようやく所在がわかった。小さな美術館だ。
 門扉はしまっている。ドアをたたくが、堅牢でびくともしない。そのうち、同行人が、美術館の2階に女性が見えたというので、その彼女に向かって手をふる。しばらくして気が付いてくれたのはよかったのだが、門扉にかかっている「注意書きを読め」とジェスチャーする。よくみると休館日、とある。ガックリ。ガイドブックの見間違いか、それとも誤記か。確かめる元気もないほど疲労困憊で、その日はほうほうのていで引きあげた。

 2回目。カルチエ・ラタン付近の自然史博物館を午前中に観て、午後から再度、ギュタフ・モロー美術館へ。道順はわかっているのと、この日はやや日射しが弱かったので、すんなり到着。すると、なんと昼休みとか。12時45分から14時までの昼休み。美術館が昼休みとは、珍しい。地元のおばあさんが階段に座っている。やはり昼休みと知らず、来たのだろうか。また、若い女性がふたり。彼女たちも昼休みを知らなかったようだ。聞くとメキシコからきた姉妹だという。姉は英語が流暢だ。わたしは持っていた日本の絵葉書をプレゼントに渡すと、パリの美術館ガイドを、2冊持っているからと、そのうちの一冊をくれた。
 モロー美術館のあとはオペラ座のなかを見学しようと思っていたのだが、さて困った。モロー美術館はあきらめるか、どうするか。というのも、この日がパリ滞在の最終日で、16時には空港行きのバスに乗車しなければならない。熟慮の末、オペラ座をやめ、1時間ほど付近でお茶して、時間をつぶし、モロー美術館をとることにした。

 そして3回目。ようやく美術館に入ることができた。やっと入れた飢餓感があり、じっくり鑑賞時間をとって、作品と対話した。3階まであり、壁にところ狭しと作品がならなんでいる。モローが使っていた書斎もあった。

 願いがかなってようやく入れた美術館。めげることなく、攻略したかいがあった。

               
                


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