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【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

池澤夏樹のファンタジーの世界

2007-09-23 17:58:59 | 詩/絵本/童話/児童文学
池澤夏樹『キップをなくして』角川書店、2005年
              キップをなくして
 池澤夏樹の独特のファンタジー。

 偶然に一箇所に集まった子どもたちの共同生活。鉄道の世界、死とは何かを問いかける。

 切手収集が趣味の小学生、イタル(遠山至)が有楽町にある切手店に行こうと有楽町で改札を出ようとしたがキップがない。

 女性のフタバコに呼びかけられ、東京駅にある詰所に連れて行かれると、そこには大勢の子供たちがいた。彼らは改札をくぐって外に出ることなく、そこで生活している。食事は駅構内の食堂で、必要なものは持ち主のいない遺失物でまかなっていた。電車は乗りたい放題。そして、彼らは駅員さん、車掌さん、食堂のおばさん、キオスクのおばさんに見守られながら生きている。そして、彼らの仕事は、登校する小学生が安全に学校に通えるように、プラットフォームや電車のなかでのトラブルにあわないように、また危険なときには超能力で時間をとめて助けること。

 彼等は人呼んでステーション・キッズ。ユニークな連中ばかりだ。ちょっと変わった集団で、変わり者がたくさんいた。フタバコさん、ロック、ポック、フクシマケン、タカギタミオ、ユータ、いつも一緒の緑、馨、泉。

 その中にミンちゃんという女の子がいて、ほとんど何も食べない。駅長さんに聞くと、彼女はプラットフォームから落ちで轢死したのだった。まだ、あの世に往けないで、詰所で暮らしていた。

 イタルはミンちゃんと一緒に目白に住むお母さんに会いにいく。そして、お母さんとの出会いのあと、ミンちゃんは北海道のグランマのところに行くといいだし、これが発展してステーション・キッズ皆なの旅行に。日高の方面の春立、というところでミンちゃんとはお別れ。彼女はもうひとつの世界にグランマに手をひかれて旅立っていった。キッズは東京に帰って解散。自身の家のドアを叩くのだった。

 こんな筋です。久しぶりに魂が子どもの世界に戻ったような気がしました。切手のコレクションとか、蒸気機関車とか、駅弁とか・・・。懐かしいものがたくさん出てきます。しかし、設定は特殊な空間。テーマは「死」です。

堀内純子『ハルモニの風』ポプラ社、1999年

2007-07-24 13:20:21 | 詩/絵本/童話/児童文学

堀内純子『ハルモニの風』ポプラ社、1999年。
                                     ハルモニの風(ポプラ社)
 童話です。ハルモニとは朝鮮語で「おばあちゃん」の意味です。

 主人公のキム・ヘジャの満州の牡丹江、4歳の記憶から始まります(それ以前は間島[カンド]に住んでいたが記憶がない)。

 キム・ヘジャが、日本の敗戦、満州帝国の崩壊により、朝鮮へと難民同然で逃げ帰るまでの苛酷で壮絶な話ですが、しかしなんとも人間らしい愛情に満ちた物語でもあります。

 とくに、家族をはじめ周囲の人々(伸二兄ちゃんとソンホなど)との、また友人(チョンミなど)との助け合いのなかで、ヘジャが短い期間に個人として成長していく様子がまぶしく感じられます。

 ヘジャの家族は、1945年8月のソ連侵攻により、牡丹江の家を脱出し、八達溝(パダコウ)農場に一時逗留します。彼女はここで大好きだったハルモニ(牧場の持ち主のぺクさんの母親)と泣く泣く別れをつげます。叔父、叔母ともに、伸二兄ちゃんがこっそり届けてくれたトラックでソウルに向かうのです。

 ソ連兵士の目をかすめ、匪賊の襲撃に注意をはらい、国府軍と八路軍の内戦を避けて南下。豆満江(トマンカン)を渡り、会寧、清津、明川、元山、鉄原と別れた父親とあうこと願いながら(父は関東軍に物資や資金を供給する日本の商事会社に勤めていたため狙われ、この八達溝農場から突然姿を消す)避難生活を続けます。

 ようやく、ソウルに到着(本田屋旅館に投宿)。父はすぐには見つからなかったのですが、しばらくして邂逅した時には既に重い病にかかって、その後まもなく亡くなってしまいました。

 そのことをヘジャは、ハルモニに手紙で伝えます。満州では日本人であったヘジャが、しだいに朝鮮人として自覚し、日本語がしだいに消え、朝鮮語が自然にでてくるようになるところは感動的です。

 そんなヘジャは、「自分がりっぱになる。世界じゅう、ひとりひとりがみんなそうなればもう戦争なんかおきるわけがないんです。つまりよい朝鮮人になるということのなかにほかへの憎しみがまざってはいけない、愛でなくては」というハルモニの教えを、みんなに自慢したいのでした。

おしまい。


茨木のり子著『個人のたたかいー金子光春の詩と真実』童話屋、1999年

2007-07-23 12:55:54 | 詩/絵本/童話/児童文学

  茨木のり子著『個人のたたかいー金子光春の詩と真実』童話屋、1999年。

               個人のたたかい―金子光晴の詩と真実

 一貫して反骨の詩人であった金子光晴の生涯(1895-1975)。著者はそのことを次の文章で見事にまとめています。

 「若いころはヨーロッパ・東南アジアをさまよい歩き、太平洋戦争中は、信念をつらぬきとおして反戦詩を書きつづけた詩人」(最初の扉の言葉)、「その半世紀にわたる長い詩業には、恋歌あり、抒情詩もあり、ざれ歌もあり、弱さをそのままさらけだした詩もあり、一読考えこまざるをえないエッセイ集もたくさんあり、じつに大きなスケールと、振幅をもっていますが、とりわけその詩の、もっとも鋭い切先は、権力とわたりあい、個人の自立性は、たとえ権力によってだって奪われないといった、まことに『無冠の帝王』にふさわしい、人間の誇りをかがやかせたのでした」と(p.151)。

 この本ではとくに金子が、戦争中、「節をまげ、体制に迎合し、戦争を賛美した文人、作家が大多数」だったときに、反戦の姿勢をまげず、官憲に屈しなかったこと、「法燈をつぐ」気持ちで詩を書き続けたこと(p.103)、息子の乾を徴兵からまもったこと、が特筆されています。

 戦中に反戦思想を貫いた文学者は意外と少なく、金子の他には、秋山清、永井荷風、宮本百合子、久保栄などごく少数でした(p.134)。

 この金子光晴の生きかたも素晴らしく、迫力がありますが、著者の抑えた筆致でありながら、真実を伝えようとする姿勢も金子につながる思想があるような気がしました。

おしまい。                


清水真砂子著『子どもの本の現在』大和書房、1984年

2007-07-04 16:08:48 | 詩/絵本/童話/児童文学
清水真砂子著『子どもの本の現在』大和書房、1984年

                 
 児童文学論、より正確には児童文学作家論です。石井桃子、乙骨淑子、神沢利子、松谷みよ子、上野瞭、灰谷健次郎、今江祥智と7人の作家が俎上にのっています。

 著者の目は、このうち松谷みよ子、灰谷健次郎に辛いです。松谷みよ子に対しては、生理のゆたかな作家であると一応肯定的に評価しているものの、その上にあぐらをかき(それを解放するのではなく)、母子関係(血の関係)に絶対的な価値をもたせ、そこを砦とし、自己の体験を絶対視し(直接体験主義)、外部の力に押されてモノを書いてきた作家、と手厳しく論評しています。
  ちょっと書きすぎのところもあるような気がします。

 また、灰谷健次郎に対しては、「残酷な作家」、「冷酷な作家」と断定しています。著者によれば、灰谷は弱者によりそい、弱者を代弁しているにすぎないからです。「反」の立場に身をおけば、人は皆、優しくなるのであり、こうしたスタンスは、良心的に見えるかもしれないが、自己満足である、と著者は述べています。

 松谷、灰谷に対する厳しい批判は、「時にそれが過剰とさえ見えるとしても、それはほかでもない、そっくり同じ批判を私自身が引き受けているせい」なのであると著者は弁解していますが・・・。「次の一歩を踏み出すために、私自身の中にあるもろもろのものを一度明るみに出して検討」したのが本書というわけです(p.226)。

 他の5人の作家を論じるさいの「生理のゆたかさ」、「生理的なもの」と「論理的なもの」との相克、「近代主義的な」職業人と自己の相対化、自身とのあるいは外界とのおりあいのつけかた、「闇(をみすえる)」と「光」、「時代の先をいく思想」、「人間のなかを状況が通る」などのキーワードとした込められた思いはそっくりそのまま著者の理論の枠組みです。

 石井桃子の『幼ものがたり』がよいようでえす。「美意識を警戒し、美学をもつことを拒否する」(p.143)上野瞭論では彼の『ひげよさらば』をギリシアの映画監督アンゲロプロスの「アレクサンダー大王」を引き合いにだして論じています。

 「その作品の生命がまっすぐな明るい笑い」(p.207)であり、「すばやい視点の転換」「まじめさと同居する笑い」(p.209)を身上とする今江祥智荷大しては、「軽み」というキーワードでこの作家の独自の境地を展望しています。

 小宮山量平が乙骨淑子の『ピラミッド帽子よ、さようなら』の終章を書き加えたことに対して、小宮山は乙骨の目差したものがわかっていない、と失望の色をあらわにしています(p.80)。

 いずれにしろ、紹介された作家の作品を、灰谷健次郎の若干のもの以外、読んでいないので、わたしのこの本の理解は半分といったところ。

茨木のり子『倚りかからず』筑摩書房,1999年

2007-05-18 00:48:43 | 詩/絵本/童話/児童文学
茨木のり子『倚りかからず』筑摩書房,1999年
            倚りかからず 

  詩集です。詩の楽しみは,音読が適当です。

 5年前に表紙が綺麗で,今はない池袋の「芳林堂」で購入しました。白地に「椅子とチェロ」の絵の装丁が著者にまず送られてきて,その後,著者の手許に偶然あった「倚りかからず」の草稿を詩集に入れ,タイトルが決まったそうです。

 年令を重ね(昨年2月、他界されました。合掌),この詩人は,新しいもの,胡散臭いものに興ざめし,真実だけを拠り所とします。

 不要な複雑さを排し,簡潔な無作為にのみ共感をもつのです。だから,次のように書けるのです、

  苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 愛しているという一語の錨のような重たさ
 自分を無にすることができれば
 かくも豊穣なものが流れこむのか
 
 知らないのだ
 瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
 慰藉の意味を
 死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
 手を握りつづけることの意味を

 本名、三浦 のり子(みうら のりこ)。1950年に医師である三浦安信と結婚。家事のかたわら雑誌「詩学」への投稿を始め、村野四郎に詩人としての才能を見出されました。

  戦中・戦後の社会を描いた叙情詩が多数あります。主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』など。


おしまい。

絵本:まつもとひろこ・ふじわらこよみ『バクのチッカ』ワールド、2005年

2007-04-04 16:07:51 | 詩/絵本/童話/児童文学
今日は絵本です。日本の絵本・童話は、高い水準といわれています。それを裏づける作品です。
 
まつもとひろこ・ふじわらこよみ『バクのチッカ』ワールド、2005年。
 
 いただいた童話の本です。素晴らしい壮丁、そして内容です。

 夢を食べるというバクの「チッカ」が自分だけの旅にでかけます。森の奥の大きな木のほこらでうたた寝。ネズミのアーノルドとキリギリスのエリックとそこで、友達になり、一緒に体をくっつけて寝て、夢の中で3匹でまた旅に出ます。

 まっしろな雪の世界、赤い屋根の家にたどりつくと、そこには「おじさん」が・・・。3匹はおじさんのプレゼント作りをお手伝います。

 おじさんは、お礼に3匹に小さな箱をプレゼント。ほどなくたって夢から覚めた3匹。手許にプレゼントの箱がありました。中をあけると長靴とカード、カードには「ひとつだけ願いをかなえてあげる」と書かれていました。

 チッカは、大きな頼りになるお母さんの側で甘えて眠ること、エリックはヴァイオリン、アーノルドは4ひきで乗れる自転車・・・。

 絵がファンタジックで素敵です。