【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

前田利夫『宇宙・地球・生命 科学最前線を読む』新日本出版社、2005年

2010-06-18 00:45:33 | 自然科学/数学
               
           
 

   自然科学(数学を除く)に関する本は,あまり読む機会がないので,興味津々でしたが,一読してもよくわからない点,頭に入らない点が多かったです。しかし,勉強になったことは確かです。

 宇宙の年令は137億年。太陽の寿命は90億年ですが,現在は48億才くらいになっているとか。また今,銀河系の地図を作ることが課題になっているそうです。宇宙の仕組み,歴史,生物の存在に科学の目がむけられているようです。

 日本の科学者も活躍し,国際協力。国産の電子望遠鏡「すばる」も凄いです。宇宙は膨張しているというハッブルの仮説(1929年),超新星爆発によってもたらされるブラックホール,新しい惑星(2005年)の発見など,科学の発展は日進月歩で,現役の科学者でもその全体を認識するのは難しいとか。

 この本には他にも「地震・地球」「生命・進化」「脳・医学」「物理・科学技術」の章がたてられ,科学の最先端を指南しています。

アインシュタインの貢献

2010-05-15 00:27:17 | 自然科学/数学

L.パイエンソン『若きアインシュタイン-相対論の出現』共立出版、1988年
             
若きアインシュタイン―相対論の出現
 ニュートン力学の理論をアウフへーべン(止揚)し、特殊相対性理論を構築したアインシュタイン(1879-1955)。

 従来、アインシュタインの天賦の才がこの理論の源と評する考え方が支配的でしたが、本書は彼が育った家庭環境、教育環境、学問環境の影響が大であったことを強調し、その考え方にそった叙述をしています。その意味では、新しい科学史論です。

 わたしは、当時の純粋数学の牙城であったゲッチンゲン大学の研究者、とくにミンコフスキー、ヒルベルトの立場とアインシュタインの考え方との相違に興味がありました。

 アインシュタインはもちろん充分な数学的素養をもっていましたが、ヒルベルトの一般相対論の公理的提示に違和感をもち、数学的形式は物理学にとって「物理学的推論」と呼ぶものに役立つ道具にすぎないこと、基本的な物理的法則は実験的現象との緊密な比較によって達せられると考えていたそうです(p.33)。しかし、当時の物理学界はヒルベルト流の純粋数学の審美性、無矛盾性、完全性の虜になっていたようで(p.120)、アインシュタインのこの考え方は科学界では異質でした。しかし、今となっては、アインシュタインの指摘はあたっていると思います。

 第1章 アインシュタインの教育-数学と自然法則-
 第2章 無謀な事業ーアインシュタイン商会と19世紀終わりのミュンヘンにおける電気事業
 第3章 独立独歩の人ーアインシュタインの世界観の社会的起源
 第4章 ヘルマン・ミンコフスキーとアインシュタインの特殊相対性理論
 第5章 数学の支配下の物理学ー1905年のゲッティンゲン電子論ゼミナール  
  第6章 後期ヴィルヘルム期における相対論ー数学と物理学との予定調和へのアピール
 第7章 数学、教育、そして物理的実在へのゲッティンゲン的アプローチ、1890-1914
 第8章 相対論における物理的意味ーマクス・プランクによる『物理学年報』の編集、1906年から1918年
 第9章 初期アインシュタインの共同的科学研究

 専門的な部分の叙述は難解、晦渋ですが、最後まで読みとおしました。


広田照幸・川西琢也編『こんなに役立つ数学入門-高校数学で解く社会問題』筑摩書房新書、2007年

2010-04-24 01:24:05 | 自然科学/数学

            こんなに役立つ数学入門(筑摩書房)



 高校数学の学習指導要領には、数学の授業の目的のひとつとして「事象を数学的に処理する能力を高める」ことも掲げられてます。しかし、高校の授業でそのようなこと場面に直面することはまずありません。

 この本は、「格差」「選挙」「松枯れ」「地震」「環境問題」の研究に高校数学が活用される事例を、わかりやすく説明し、数学の有効性と面白さをうまく伝えています。

 学歴による格差問題では、「賃金構造基本調査」のデータを使って生涯賃金の計算が「定積分」で解かれています(付録にExcelでの解法がある)。選挙の仕組みを解き明かしている章では、「得票率と議席率」との関係が三乗法則で説明されています。格差問題を解明している章では、対数、微分係数が使われています。

 また、松枯れの元凶であるマツノマダラカミキリ(マツノザイセンチュウを媒介する)を退治するために、カミキリの初発日の推定がなされるようですが、その際の有効積算温量の計算に使う数学は三角関数、積分だそうです。

 さらに、地震の性質、大きさ、頻度、発生周期には、常用対数、確率が、環境問題には二次方程式、微積分、数列、因数分解が活用されるとのこと。

 著者はみな大学の教員ですが、みながみな数学をそんなに得意としていたわけではなく、あるときから、あることを切っ掛けに開眼し、自分を磨いていった人たちです。

 高校レベルの数学が実際の社会問題の分析やその解決に積極的に使われ、有効であることが丁寧に、分かりやすくかかれていて、非常に参考になりました。



生命の起源はいったい何?

2010-03-17 00:31:31 | 自然科学/数学

柳川弘志『生命の起源を探る』岩波新書、1989年
                 

 文字通りに生命の起源を論じた本です。

 学生時代、生命の起源に関しては、オパーリンのコアセルベートを記憶していますが、その後、この分野の科学の発展はどうなっているのでしょうか?

 その前に「生命」とはいったい何なのでしょうか?本書の第2章で、著者は「生命」の特性を4点にまとめられています(pp.24-27)。第1は、外界と境界線がある入れ物をもっていること、その最小単位は細胞です。第2に自己複製、自己増殖できるということです。これらの機能はすべてDNAの配列に保存されているとのこと。第3は自己維持機能をもっていることです。この機能はタンパク質の触媒作用によっておこなわれるそうです。第4は、進化する機能をもっていることです。

 これらの特性を確認しつつ、本書の特徴は「宇宙生物学」とでもいうべき視点からの解説であるという点です。

 要するに、宇宙の天の川銀河の片隅で太陽系が生まれ、その中の第三惑星である地球で生命が生まれ、育まれてきた。そして、地球の環境の変遷は生命活動と関連している。最初の生命が誕生したころ、原始大気は二酸化炭素と窒素を主成分としていたが、ラン藻のような光合成生物が発生し、繁殖するようになり、酸素が増え、その放出された酸素は原始の海の中の二価鉄イオンと反応し、酸化鉄を形成し、その酸化鉄は海に沈殿、堆積した、というのです(p.218)。

 無生物的条件のもとで、生命の構成物質が合成されることは化学進化の模擬実験、隕石中の有機物の分析、彗星や宇宙空間の有機物の観測から明らかにされているようです。著者はそれを原始スープからRNAワールド、PNPワールド、DNAワールドの発展という図にわかりやすく示しています(p.165)。

 第1章のこれまでの生命の起源の認識に関する諸説は面白いです。他方、第6章、第7章の生命の初期段階でのRNAワールドの出現にスポットをあててRNAワールドからDNAワールドに至るまでの道筋の解明は専門的すぎて難解でした。


興味尽きない宇宙論

2010-03-02 00:29:50 | 自然科学/数学
野本陽代『宇宙の果てにせまる』岩波新書、1998年
               
                    


 宇宙論にはいくつかの課題があるといいます。宇宙の年齢、宇宙の膨張率、宇宙に存在している物質の量、宇宙の曲率、宇宙の進化です。

 本書はこういった課題をもつ宇宙論の最新の成果が興味深くまとめてあります。アインシュタインは自ら開発した方程式で、宇宙は膨張しているか収縮しているかのいずれかと考えましたが(1917年)、当時の宇宙論では宇宙は静止していると考えられていました(アインシュタインもこの説に従い方程式に宇宙項λを導入し、宇宙を静止させた)。

 宇宙が膨張していることをハップルが観測で裏付けたのが1929年です。ルメートルは宇宙の過去を構想し、宇宙の全ての物質が濃密な物質の塊りであると考えました(1931年)。その後、ガモフは宇宙の始まりにつくられた元素は水素、ヘリウムなどの軽元素だけであることをつきとめ、さらに宇宙が高温・高密度の状態から爆発的に誕生したと予測しました(ビッグバン)。

 現在ではビッグバン説の影響力が大きいですが、宇宙の始まりを認めないホイルの定常理論も無視できないとのこと。どちらの説が正しいかは流動的であると書かれています(p.164)。

 宇宙の年齢は現在約150億年と考えられているらしく、その進化が追求されているようです。関連して150億年の宇宙の年齢を1年間に縮尺したセーガン歴が面白いです(p.159)。

 宇宙は銀河、銀河団、超銀河団という階層構造をもつそうですが、これらの階層がどのようにつくられたかは謎(p.195)とのこと、宇宙の三次元地図の作成、宇宙のなかの暗黒物質(見えない物質;カミオカンデによるニュートリノの測定)の解明、宇宙論の課題は山積しているようです。

 膨大なデータ収集、その分析は衛星技術、宇宙望遠鏡の高精度化、コンピュータの進化によって格段に進歩し、宇宙論は今後劇的な進化が予測されているとのことです。

現代数学の「超数学」的方向

2010-01-20 00:15:22 | 自然科学/数学

N・ナーゲル、J・R・ニューマン/林一訳『ゲーデルは何を証明したか-数学から超数学へ-』白水社、1999年         

            
         
 19世紀の後半にヒルベルトによって構築された非ユークリッド幾何学とともに脚光を浴びた公理論は、曖昧さと矛盾のない壮大な数学体系と評価され、一時は数学の分野を超えて物理学、経済学の分野にも適用しようとする試みが相次ぎました。

 しかし、ゲーデルは1931年に公にした論文「プリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系の形式的に決定不可能な命題について」で、完全で無矛盾な数学体系を作るのは無理であること、数学のある重要な命題が証明不可能であること、を証明しました。本書は、数学とは何か、証明とは何かをめぐって、数学に革命的な変革を迫ったゲーデルの業績を,「不完全性定理」に論点を絞って紹介したものです。

 訳者のあとがきにこのことの事情を的確に叙述した箇所があります、すなわち「数学の基礎に対する疑念が生じたのに応えて、1900年に指導的数学者ダヴィット・ヒルベルトが提案したのは『数学的方法の確実性を一挙に最終的に確証する』という計画だった。彼が望んだのは、巣学的証明のための性質をそなえた完全な1組の現代的な推論規則を、一挙に最終的に定めることだった。・・・だが、ヒルベルトのこの見通しが決して達成されないことを証明したのがゲーデルだった」と(p.161)。

 それでは、ゲーデルはどのような証明を行ったのでしょう? 実はその証明の詳細を過程を追い、その内容を理解できる人間は、数限られるそうです。本書はその輝かしい成果のエッセンスを抽出することを目的にしたゲーデルの証明の解説本です。

  数学が「量の科学」という伝統的な考え方が適切でなく、誤りであること、数学は何よりもまず、任意に与えられた公理あるいは仮定から論理的に結論を引き出す学問であるという考え方(p.21)に納得しました。

 平易を旨としたものでしょうが、正直のところ理解には難儀しました。完読しましたが、時間がかりました。関連した議論にであったときに、立ち返って検討するための座右の書としたいです。

 構成は以下のとおりです。
 「1 現代数学の転機」
 「2 数学は無矛盾か?」
 「3 数学から超数学へ」
 「4 形式論理の体系」
 「5 絶対的証明の成功例」
 「6 写像とその応用」
 「7 ゲーデルの証明」
 「8 結論」
 「補節:①算術の公理、②数学的推論の論理、③トートロジーについて、④ゲーデルの証明とロッサーの定理、⑤ゲーデルと実在論」
 「訳者あとがき」

ビッグバン理論はひとつの仮説にすぎない!

2009-08-19 00:38:59 | 自然科学/数学
近藤陽次『世界の論争・ビッグバンはあったか-決定的な証拠は見当たらない-』講談社、2000年             
       
 誰も彼もが宇宙の始まりをビッグバン理論で説明しているように見え、そしてその理論が正しいように考えていますが、実際はこの理論の正しさはよくわからず、ひとつの仮説にすぎないという観点で書かれています。

 ビッグバン理論の淵源は、宇宙「火の玉」爆発起源説です。提唱者はベルギーのルメートル。ルメートルは、1922年にロシアのフリードマンが公表した宇宙は静的ではなくダイナミックに膨張したものという仮説を継承し、宇宙は「原始アトム」もしくは「火の玉」が爆発して生まれたという説を唱えました(p.73)。

 ハップルが1929年の論文で示した遠い銀河系ほど赤方偏移(観測される光のスペクトルが波長の長いほう、すなわち赤色のほうに移行する現象[p.65])が大きいという観測結果は、この「火の玉」爆発起源説を支持すると考えられ、以来この学説はひとつの潮流となりました。

 「火の玉」爆発起源説と対抗する学説は、定常宇宙説です。この説は、「火の玉(原始アトム)」説が宇宙の初めに物理的特異点(いっさいの物理法則が通用しない点)を想定することを誤りとみなします。そうではなく、この定常宇宙説は宇宙が膨張するとその空間に素粒子が自然に生まれてその空間を埋める(宇宙に始まりなどない)というのです。ホイル、ゴールド、ボンディが代表的論者です(pp.74-75)。

 ちなみに「ビッグバン」という名称の名づけ親は、「火の玉」爆発起源説に反対したホイルです(p.76)。

 現在の宇宙論は「火の玉」爆発起源説を継承する「インフレーション・ビッグバン説」、定常宇宙節の現代版である「準定常宇宙説」が二大仮説で、この他にプラズマ宇宙論という仮説があります。同分量からなる普通物質と反物質からなるプラズマ宇宙は、混合プラズマの内部崩壊による反応で全部エネルギーに変わり大爆発が起こり、爆発の起こった部分の宇宙(銀河系の集合)が膨張し、その膨張している銀河系の集合が宇宙という説がこのプラズマ宇宙論です。

 観測からわかったことと憶測の部分とからどの理論もなりたっており、いろいろな仮説が凌ぎあい、切磋琢磨して新しい理論になっていく、宇宙のことについてはまだまだわからないことだらけというのが著者のスタンスです。

人類の知的遺産のひとつユークリッドの「原論」

2009-06-16 04:24:45 | 自然科学/数学
斎藤憲『ユークリッド「原論」とは何か』岩波書店、2008年

                                
                            


 著者はこの本でユークリッド『原論』の内容、その意義と限界を平易に解説しています。

 『原論』そのものは失われています。現在では、後世の人間がこれを写本として残してきたもの[デンマークのハイデア版]を目にすることができるだけです(p.3)。

 そもそもユークリッドがどういう人だったのかもはっきりわかっていません(pp.74-77)。数学の基本命題集である『原論』を最初に編集したのはキオスのヒポクラテス(医学のヒポクラテスとは別人)とか(p.70)。

 本書で著者は「・・・『原論』が、証明という概念、命題の連鎖という数学の様式を確立したことと同時に、純粋な証明以外のメタ数学的議論を数学書から排除するという習慣を確立したことを述べ、・・・(さらに)『原論』が何だったのかと言えば、それは各時代の人々が自分たちの数学思想を読み込むことができる著作」であると評価しています。

 「本書では他に、文書としての『原論』と、口頭による数学について検討し・・・『原論』が非常に読みにくい形式の著作(であるのは)・・数学が口頭で議論・伝達・教育された時代の痕跡(なのでしょう。)・・・これは『原論』の写本の図版が現代の刊本で見慣れたものと大きく違うという指摘と並んで、ごく最近の成果です」(p.126)とも述べています。

 このように2000年以上前に書かれたこの著作(オリジナルは現存しない)の種々のスタイル、構成、哲学的背景、当時の数学の状況を解説し、個々の命題の証明にたちいって証明の在り方を展開し、率直にそれらの意義と問題点に触れています。

 ギリシャ数学史の研究者は欧米文化圏に属する人が独占してるそうです。継続的に研究者を輩出している日本は例外であるそうです。このことを捉えて著者は、「・・・和算や詰将棋や盆栽に見られるように、実用の範囲にとらわれず何でも真剣に探究する江戸時代以来の文化的伝統からくるものかもしれません」と類推しています(p.129)。いいえて妙です。
       

「科学朝日」編『スキャンダルの科学史』朝日新聞社

2008-11-26 21:31:05 | 自然科学/数学

「科学朝日」編『スキャンダルの科学史』朝日新聞社、1989年
     
         
            
 科学(似非科学を含む)と科学者にまつわる26の事件の経緯と顛末です。

 誤解だった黄熱病病原菌の発見(野口英世)
 幻の錬金術発見(丸沢常哉)
 超能力「千里眼」の嘘(山川健次郎)
 少壮気鋭の総合自然史学者の心中(北川三郎)
 幻想だった脚気菌発見(緒方正規)
 血液型の似非科学(古川竹二)
 「味の素」で特許取りの契機(池田菊苗)
 サイクロトロン破壊事件(ハリー・ケリー)
 丙午・大地震襲来騒動(今村明恒)
 伝染病研究所移管事件(北里柴三郎)
 雛の雌雄鑑別法と男女産み分け論争(増井清)
 東京天文台移転事件(一戸直蔵)
 心臓移植の是非(和田寿郎)
 毒ガスによる中毒(小泉親彦)
 弘前・財田・松山事件の血痕鑑定(古畑種基)
 若返り療法の怪(榊保三郎)
 電気灯による国会議事堂焼失(藤岡市助)
 脚気は伝染病説に固執(森鴎外)
 実験科学者である文部大臣の自決(橋田邦彦)
 占領下日本研究基地化事件(イシドル・ラビ)
 理論物理学教授恋愛失脚事件(石原純)
 水銀還金事件(長岡半太郎)
 ルイセンコ学説事件(徳田御稔)
 ペスト感染事件(青山胤通)
 長崎大学の医学博士号売買事件(勝矢信司)
 定年制と辞職表明事件(田中館愛橘)

  心臓移植の和田教授の話は、わたしが子どものころの札幌で聞いたこともある話で、大騒ぎだったのを覚えています。

 野口英世、長岡半太郎、池田菊苗、北里柴三郎、森鴎外などは、これは子供のころ偉人伝で知ったのですが、この本ではむしろ偏屈者のように描かれています。どちらも実像とみるべきなのでしょう。人間は「矛盾の統一物」ですから。

 本書でとりあげられているスキャンダルは血液型と人間の性格との強い相関関係、錬金術、若返り療法などの怪しげなものもあれば、科学者の先入観、矜持、偏見が作用した事件もあります。人間臭いと言えば言ますね。

 しかし、ことが科学の世界の出来事だけに落差が大きすぎる感じです。

 『科学朝日』に連載された読み切りもののせいか、面白いのですが、物足りないところも多々ありました。

        


アーサー・ケスラー『ヨハネス・ケプラー-近代宇宙観の夜明け-(新書)』筑摩書房、2008年

2008-09-22 23:03:48 | 自然科学/数学
アーサー・ケスラー/小尾信弥・木村博訳『ヨハネス・ケプラー-近代宇宙観の夜明け-(文庫)』筑摩書房、2008年

          ヨハネス・ケプラー

 ドイツの天文物理学者ケプラー(1571-1630)の評伝です。

 本書の原題は「分水嶺(The Watershed)」。これは知性の分水嶺を意味し、古代・中世の思考を近代の観測科学の精神から分かつ地点に天才ケプラーがたっていたことを意味しています。

 ケストラーの『夢遊病者たち』(1959年)からケプラーについて書かれた1章を取り出して独立の本にしたものが本書です。

 ケプラーは「ケプラーの3つの法則」で知られています。すなわち、惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く(第1法則 )、惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)(第2法則)、惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する(第3法則)です。

 第1法則および第2法則は1609年に発表され、第3法則は1619年に発表されました。

 この本を読むとケプラーはもともとは占星術などにこっていた人物のようで、あらゆることでの奇行の目立つ人だったようです。ケプラーの業績は惑星の軌道を楕円と考えたことです。

 それまでは天動説のプトレマイオスはもちろん、地動説のコペルニクスも惑星の運動は円軌道として考えていました。

 また、ケプラーは太陽と惑星はその距離の二乗に反比例する力によって引かれていると考えました。その力の証明はニュートンの万有引力の発見につながったとか。

 ケプラーは数を宇宙の秩序の中心と考え、天体音楽論を提唱するなどピタゴラスの信奉者であり、法則の予想は専ら幾何学的の発想からスタートして物理学の要素を取り入れることで成しえたようです。

 またチコ・ブラーエは独自に膨大な観測を行ってデータをもっていましたが、そのデータの解析からもケプラーの予想は実証されました。

 ケプラー自身は法則の発見者ということにあまり頓着がなく、上記3法則の意義はニュートンによって認められました。

 本書はケプラーの著者『宇宙の神秘』『新天文学』『世界の調和』『ヨハネス・ケプラー全集』などからの多くの引用を行いながら、ケプラーの業績と人となりを論じています。その宗教的立場、人格形成、職業的不安定、チコ、ガリレオとの交流、2度の結婚の顛末、母親が魔女と攻撃されたことなどについても詳しく書かれています。

 ケプラーは今から考えると恐ろしく非合理的で、難しい社会、人間関係のなかを生きるなかで、宇宙と天体にたいする驚異的な粘着力と執着心が近代科学の扉をこじあけたということになるのではないでしょうか?

 全編で421ページ。あまり読みやすくはありませんが、読後感は充実でした。

生物とは何か? そしてES細胞とは?

2008-03-21 00:33:27 | 自然科学/数学

福岡伸一『生物と無生物のあいだ(新書)』講談社、2007年
                  生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
 本書の中ほどに顔写真の載っている4人が印象的でした(p.109,p.114)。ジェームス・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンソン、ロザリンド・フランクリン。

 前2者は、DNAの二重ラセン構造の発見者であり、ウィルキンソンも含めてその功績で1962年にノーベル医学生理学賞受賞をしています。ロザリンドはX線によるDNA結晶の解析という地味な実証研究に一生を費やした女性の科学者です(37歳で逝去)。

 ワトソン、クリックは独自の演繹的方法で上記の科学的結論を予見していましたが、それを裏づけるデータが欠けていました。ロザリンドの研究は他方で、帰納的方法によりながら同じ結論を得る直前のところまできていました。ところがロンドン大学キングスカレッジでロザリンドと研究プロジェクトの位置づけで対立していた上司のウィルキンソンは、DNA構造の研究でライバル関係にあったケンブリッジ大学キャンベンディッシュ研究所のワトソンとウィルキンソンに彼女の研究成果を結果的に流し、二人はこれによって20世紀のその分野での最大の発見といわれる上記のDNAの二重ラセン構造発見という栄誉に輝いたというのです。

 こういったドラマを挿入しながら本書で、著者は生命を「自己複製しうるもの」と定義し、「その基盤をなすものは、互いに他を相補的に写し取っているDNAの二重ラセン構造である」と述べています。そして、この成果は「DNAが細胞から細胞へ、あるいは親から子へ遺伝情報を運ぶ物質的本体であることを示した」オズワルド・エイブリーの研究の延長に位置するものでした。

 さらに著者は「生命とは動的平衡にある流れである」と言う考え方を提示し(p.167)、細胞膜のダイナミズムを解説しつつES細胞*(胚性幹細胞)の存在の究明にたどりつきます。

 興味深い科学ドキュメントですが、部分的にはかなり難しい叙述もあります。分子生物学関係の本としては爆発的に売れているらしいですが、内容が難解なところがあるだけにどうしてそんなに売れるのかなと思いました。

*胚性幹細胞(Embryonic Stem cells: ES細胞)とは、動物の発生初期段階である胚盤胞期の胚の一部に属する内部細胞塊より作られる幹細胞細胞株のこと。生体外にて、理論上すべての組織に分化する分化多能性を保ちつつ、ほぼ無限に増殖させる事ができるため、再生医療への応用に注目されている。(ウィキペディアより)


西洋の数学と日本の数学の対比

2008-03-02 00:35:45 | 自然科学/数学

村田全『日本の数学・西洋の数学(新書)』中央公論新社、1981年
  
 「数学とは何か」という哲学的問題を基底におきながら、江戸時代に独特の発展をとげた日本の数学である和算を、西洋数学の伝統と比較することが本書の課題です。

 この課題を検討するために、著者は円周の長さ、円の面積、球の体積の知識の確認から入っています。これらは古代から現代にいたるまで数学的研究の契機だったからであり、また和算の「円理」の成果が西洋数学と独立であり、いくつかの欠陥をもちながらこの領域で西洋数学と同水準に達していたからです。

 そのうえで著者は西洋数学の核心が数学理論の構築(通訳不能量の比という概念とその「図形」的表現)、『原論』に見られる論証体系にあること、これに対し和算はシナの数学の影響を受けながら一種の記号代数を考案し独自のレベルの高い数学を展開したものの数学理論、数理思想に類する要素をもたなかったことを明らかにしています、「・・・注目すべきことは、西洋近世の数学が、一方では信仰と理性の激しい相克、他方ではその調和を計る厳しい追及の中から、自然の摂理を探求する自然学の問題と相携えて生まれてきたことである。これは日本の思想史に生じなかったことであり、おそらくシナやインドにも見られなかったことである。私は、この点こそ、和算の伝統と西洋数学の伝統の間にある最も根底的な差だと考えている」(pp.162-163)。

 というわけで、関孝和がニュートン、ライプニッツと微分積分学の先後を争う水準にまであったというのは誤解で、「・・・和算家の業績に対応する事柄を微積分学の歴史の中で探せば、なおいくつかのことが見いだされるであろう。しかし、それはあくまで、体系化された西洋の微分積分学と、最後までその体系をなさなかった部分的知見との対応にすぎない。微分法、積分法を打って一丸とするような学問的体系の建設が、その輪郭を夢想することすら、和算の中で行われなかったことは、残念ながら動かしがたい事実であり、ニュートン以後の数理自然学の発展という業績に至ってはなおさらである」と(pp.213-214)書いています。

 しかし、著者は西洋数学と和算の単純な優位、差異の比較をしているわけではありません。数学の未来をみすえ、両者の正当な評価を内在的に行っているのです。[「日本の数学ー和算ーの独創性は、あくまでもその伝統の中での飛躍の大きさにもとめるべきであり、ひとがもしそれを誇りたいならば、そのありのままの姿でそうすべきである。しかし、私としては、いたずらに過去を誇るよりも、異文化の伝統からなお学ぶべきものを学びながら、過去の和算に負けないだけの文化的創造を試みることのほうが先決であろうと思う」(p.214)]、と言うわけです。


藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房、2005年

2008-01-25 01:44:36 | 自然科学/数学

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房、2005年
        
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)
  小説「博士が愛した数式」執筆を切っ掛けに知り合った作家、小川洋子さんと数学者の藤原正彦氏が「圧倒的に美しい」数学の世界に読者を誘う本です。

 数学は永遠の真理の世界です。220と284は自分自身を除いた約数を総て足すと相手の数になります(友愛数の例)。
 220:  1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
 284:  1+2+4+71+142=220


 約数を全部足すと自分自身になる数には6(一桁),28(二桁),496(三桁),8128(四桁)などですが、それは無限に存在します(完全数の例)。

 この他,①ゼロを発見したインド人と負数,無理数,虚数の受容に苦労した西洋人,②フェルマ予想の証明に果たした日本人の役割,③素数=混沌のなかの美の秩序,④ 6以上の偶数はすべて2つ以上の素数の和で表現できるという「ゴールドバッハ問題」(未証明),⑤ビュッフォンの針とπの問題,⑥ゲーデルの不完全性定理(1931年),など数学の妖しくも不思議な魅力が横溢した対話集です。

 藤原正彦さんは作家の新田次郎,藤原てい夫妻のご子息です。

おしまい。


伊達宗行『「数」の日本史』日経ビジネス文庫、2007年

2007-10-01 22:48:24 | 自然科学/数学

伊達宗行著『「数」の日本史』日経ビジネス文庫、2007年
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 縄文時代から現代までの日本の「数文化」の変遷をたどる異色の数学史です。リズミカルに唱えることのできる我が国の九九の暗算、インド人の巨大数の単位「恒河紗」(10の52乗)[ごうがしゃ]、班田収受や平城京の設計など測量と土木に果たした数学の役割、金利計算や米の秤量と数学の関係、「そろばん」のルーツと計算機としての意義、円周率の変遷などいろいろな話が盛り込まれていて、それだけでも十分楽しめます。


 本題の「数」の日本史は、およそ以下のようです。
  第1章 古代の数詞
  第2章 大陸数文化の興隆
  第3章 漢数字、数文化の到来
  第4章 平安、中世の数世界
  第5章 数文化興隆の江戸時代
  第6章 和算―世界に並んだ科学
  第7章 洋算―その受容と現代社会


 <第1ラウンド>、縄文時代には十二進法があったのではということを三内丸山遺跡大型掘立柱建造物から推測して話を始め、古代数詞の世界に分け入り、律令時代には算経、算術が官中心に進められたが、そこには大陸数文化の影響が認められたということが書かれています。

 続いて<第2ラウンド>、
平安、中世の数世界を探索するが、ここでは平安という安定期の貴族社会での一種「理科離れ」、算学、暦法の後退の対極に、民間の数常識の進展、僧侶集団の算学の展開があったことが指摘されています。中世後半からは数文化が育ってきます。これらは室町時代の貨幣経済の進展にともなう実務的な計算力に象徴されました。

 さらに<第3ラウンド>は、江戸時代に入って数文化の興隆です。凡下の者から算学が育ち始め、しだいに数理の世界への関心が高まり、和算(関孝和に始まり,
建部賢弘、松永良弼、久留島義太によって展開され,安島直円、和田寧に引き継がれた)に結実します。1592年に程大位の書いた「算法統法」が消化され「塵劫記」となって大衆に受け入れられ、急速に普及したことが大きかったようです。そして数学の世界水準となった和算。著者は和算興隆の契機を3つあげています。第一は「塵劫記」などに見られる初等数学の確立、第二は「算学啓蒙」の天元術の出現、第三は「同文算指」などによる逐次近似法導入という「西洋数学効果」です。
 

 <第4ラウンド>、明治維新後から現代にいたる洋算の受容。ここでは菊池大麓(西洋数学の核心を最初に理解した日本人)の貢献、明治時代の教科書の内容、計算尺の盛衰、戦後の学習指導要領などについて触れられています。最後は「分数計算のできない大学生」の話題で終わっています。

 全体に荒削りなのは否めませんが、日本の算文化を濃縮して纏めた点は見事です。
 
<豆知識>
 
 尽(割り切れること)、不尽(割り切れないこと)、開平(平方根)、開立(立方根)
  


おしまい。


サイモン・シン/青木薫訳『フェルマーの最終定理』新潮文庫、2006年

2007-05-20 20:17:44 | 自然科学/数学
サイモン・シン/青木薫訳『フェルマーの最終定理』新潮文庫、2006年


               フェルマーの最終定理

 久しぶりに本を読んで興奮しました。充実した読書時間でした。

 フェルマの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズの物語です。

 フェルマの定理とは、17世紀の数学者フェルマが古代ギリシャの数学者ディオファントスの『算術』の余白で証明したという数学的命題(余白が小さく書き込めないとの記述があり、その後、多くの数学者が挑戦することとなりました)。

 それは  xn + yn = zn において n は2以外で  x、 y、 z の整数解をもたないことの数学的証明です。n=2の場合は、有名な直角三角形のピュタゴラスの定理です。

 ワイルズは少年時代に町の図書館でこの数学の未解決問題の存在を知り、挑戦し続けました。ケンブリッジ大学ではコーツの下で楕円方程式を扱いながら数論を研究、これが後日、「証明」の土台づくりとなりました。

 1993年に「証明」に成功(?)。しかし、小さなところでミス(コリヴァギン=フラッハ法がワイルズの想定したように機能しない)がありましたが、その後、プレッシャーのなかでワイルズはこの部分を補強し完璧な証明に成功しました。1995年に、「証明」を論文で発表し、認められました。フェルマの問題提起から実に約350年ぶりです。

 本書を読んで、フェルマの定理の「証明」が単なる数学のパズル解きではないことを知りました。数論の分野の統一的理解があって、証明は初めて可能となったのです。

 証明の成功の背景には、多くの数学者の学問的貢献があります。その最たるものは、日本人の2人の研究者による「谷山=志村予想」です。この2人の数学者は、数学の分野で従来、無関係と考えられた楕円方程式とモジュラー形式とには実は繋がりがあり、全ての楕円方程式にひとつのモジュラー形式が付随していることを予想(証明ではない)したのです。

 さらに、ドイツの数学者フライが谷山=志村予想を証明することができれば、フェルマの定理も自動的に証明されると主張しました。ケン・リベットがこの問題提起を積極的に受け止め、ワイルズに繋ぎました。

 この直前、ゲーデルらが不完全性定理を提唱し、無矛盾性、完全性をそなえた壮大な数学体系を構想していたヒルベルトとそのプログラムを批判し、完全で無矛盾な数学体系を作るのは不可能であることを証明しました。その影響もあって、一時期フェルマの定理への関心が低下したこともあったとか。

 とにかく、フェルマの定理をめぐってのドラマがこの本には凝縮されています。卓越した数学者であるオイラーの功績の紹介、群論で有名なガロアの生涯、テアノ、ヒュパティア、アニェシ、ジェルマン、コワレフスカヤなどの女性数学者の貢献とそのうちの多くの女性の受けた理不尽な差別など、著者の目配りは広く、深いです。

 数学とはまことに「証明」の学問とわかりました。

 数学がわからなくともフェルマの定理の意義と真髄がわかるような本を著したサイモン・シンは凄い。また、訳者の文章も読みやすく、並々ならぬ能力です。

 おしまい。