「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあります。
どんな弱者にもそれなりの意地があること、という意味で使われます。

でも、考えてみると、体の半分も魂があるというのは、ちょっと分量として多すぎではないでしょうか? だって、170センチの人間だとしたら85センチ分は魂で埋まっているのです。魂ありすぎだろう、と突っ込みたくなります。魂というのは、何か小さくて凝縮感があって、きらりと光るようなものというイメージがありませんか?
劇作家別役実の怪著「虫づくし」では、このことわざを「ちょっとの虫にも五分(ごふん)の魂」と読み替えていました。それこそ爆笑の解釈ですが、このような解釈がされるのも、一寸の虫に対して、五分の魂は多すぎるという感覚が背景にあるようです。

マイクロソフトの新タブレットPC「Surface」が訴えられたというニュースがありました。64GBのSSDに32GBものプリインストールソフトが入っていたのは、不当表示であるという内容でした。プリンストールソフトは魂ではないですが、PCを動かしている実態という点では、近いものがあるかも知れません。
64GBのPCにも32GBのプリインストールソフト というのが現代のことわざに、ならないか。
どんな弱者にもそれなりの意地があること、という意味で使われます。

でも、考えてみると、体の半分も魂があるというのは、ちょっと分量として多すぎではないでしょうか? だって、170センチの人間だとしたら85センチ分は魂で埋まっているのです。魂ありすぎだろう、と突っ込みたくなります。魂というのは、何か小さくて凝縮感があって、きらりと光るようなものというイメージがありませんか?
劇作家別役実の怪著「虫づくし」では、このことわざを「ちょっとの虫にも五分(ごふん)の魂」と読み替えていました。それこそ爆笑の解釈ですが、このような解釈がされるのも、一寸の虫に対して、五分の魂は多すぎるという感覚が背景にあるようです。

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64GBのPCにも32GBのプリインストールソフト というのが現代のことわざに、ならないか。
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