kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

奈良・帰り道なのでチョッと寄り道して「興福寺へ」 (^^ゞ 11/21

2020年12月14日 | 大阪・滋賀・奈良 他
16日(水)にかけて、西日本や東海地方でも初雪があり
北陸や東北、山陰などは警報級の大雪になる恐れがあるそうです。
雪だけでなく、寒くなると凍結もあるのでお気を付けくださいね。


浮見堂から春日大社表参道「第一鳥居」前から・・・のつづきです。


奈良駅に向かう道の左側下に、立派な鐘楼が見えます。
ここは・・・? 

興福寺菩提院大御堂 十三鐘(じゅうさんかね)

ここは興福寺に現存する、十三鐘と呼ばれる貴重な「子院」でした。

立派な「鐘楼」は、永享8年(1436年)に鋳造されたもので、昔は正午・日付が変わる際・早朝などに奈良町エリアに鐘の音が響き渡っていたとされており、「十三鐘(じゅうさんかね)」という名前で親しまれていたそうです。


そして右に見えたのは、興福寺の「国宝 五重塔」
チョッと寄り道したくなりました。(^^ゞ

国宝 五重塔

興福寺には何度か来ていますが、美術研究会の人達と2016年7月に元興寺へ行った時に、集合時間まで少し時間があったので行ったのが最後でした。

興福寺の「国宝 五重塔」は、日本で2番目に高い塔です。
天平2年(730)に興福寺の創建者、藤原不比等の娘光明皇后が建立。
その後5回の焼失・再建をへて、応永33年(1426)頃再建されました。

国宝 東金堂(とうこんどう)

五重塔の左にある金堂は西向きのお堂です。

神亀3年(726)聖武天皇が建立されました。 創建当初は床や須弥壇などに緑色のタイルが敷きつめられ、薬師如来の東方瑠璃光浄土の世界が表されていたそうですが、5度の被災・火災などで室町時代応永22年(1415年)に再建されました。

興福寺「中金堂(ちゅうこんどう)」

「興福寺」の境内中央に位置します。

平安時代の永承元年(1046年)に、初代中金堂が焼け落ちて計7回の焼失。

再建された中金堂は、興福寺に関わる歴史資料や唐招提寺金堂の建築様式などを参考に復元されました。
東西の間口は約37m、南北の奥行きは約23m、高さは約20m。

南円堂(なんえんどう)

平安京への遷都後、藤原氏の勢力が一層強まっていく平安時代初期の弘仁4年(813年)に藤原一族の「藤原冬嗣」が父親を弔うために建立したお堂です。

地神を鎮めるために、南円堂の石造りの「基壇」を建設する際に、「和同開珎」「隆平永宝」といったお金を地面に撒きながら建設を進めていたことが、発掘調査で分かったそうです。


興福寺さんの前を通っているので、素通りはできませんでした。
南円堂の横から階段を下りて(左:興福寺 右:猿沢池)
春日山方向を振り返り、奈良の一日(11/21)が終わりました。

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