明治四十二年三月二十九日生まれ、神奈川の横浜市保土ヶ谷の眼科医の五男であった演彦。
教員だった彼は、辞世の句として
“「いとま申して、さらば」と皈り行く 冬の日の、竹田奴かな”と遺していた。
そんな彼が残した数冊の日記。そこには若き日、金子みすずや淀川長治と並んで『童話』に親しみ、創作と投稿に打ち込んだ若者の姿が綴られていた……
北村薫さんが、自身のお父さんの若き日の日記を紹介しつつ、解説を挟んだ評伝。
当時の若者像が垣間見れて興味深かったです。
<11/4/27,28>
教員だった彼は、辞世の句として
“「いとま申して、さらば」と皈り行く 冬の日の、竹田奴かな”と遺していた。
そんな彼が残した数冊の日記。そこには若き日、金子みすずや淀川長治と並んで『童話』に親しみ、創作と投稿に打ち込んだ若者の姿が綴られていた……
北村薫さんが、自身のお父さんの若き日の日記を紹介しつつ、解説を挟んだ評伝。
当時の若者像が垣間見れて興味深かったです。
<11/4/27,28>