kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

イタリア ルネサンスの旅2

2016-03-04 | Weblog

街全体が美術館と言われるフィレンツェは、大きな美術館があるわけではない。ウフィッツイ美術館は有名であるが、規模はそれほど大きくはない。ピッティ宮内のパラティ-ナ美術館、近代美術館もしかり。もちろん街並み全体が美術館と言えるのだが、教会が多く、そのどれもが貴重、すばらしいからである。

駅の名前にもなっているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会はドゥーモより古い1246年に建造が始まったという。ゴシックの時代である。しかし今ある建物は、ルネサンス様式を取り入れた特徴的なもので、ゴシック建築に関心のある筆者などからはどこがゴシック様式かと思わずにはいられない。であるから、逆にフィレンツェ独特のスタイルが保持されていて誠に美しい。内部は15世紀にアルベルティによって設計されたそうだが、大きなファサードを抜けて、内陣に至るとゴシック様式の教会とは正反対にとてもシンプルな内装。ルネサンス様式のそれはゴシックの「ゴテゴテした」装飾は一切ない。フィレンツェの教会はどこもそうであるが、「大聖堂」ではないのである。その分、ルネサンス時代の彫刻や壁画で飾られている祭壇は、幾分おとなしく感じるが大仰でない分味もある。と言うのは、ゴシックの大聖堂に比べて明るい堂内は、それも明るい彫像や絵画に似合うからだ。小さなキリストの彫像も、出来栄えの当否は別としてもあの空間では似つかわしいし、キリスト像やマリア以外の浮彫も分かりやすい。

今回訪れることができたサンタ・クローチェ教会も内陣の広さの割には、内装はシンプルで、むしろサンタ・マリア・ノヴェッラ教会もそうであるが、聖堂隣の回廊がすばらしい。サンタ・クローチェ教会も美しい回廊が広がる。フィレンツェの教会の多くはゴシック期に建築が始まったものや、ルネサンス期に改築、あるいは後世に再建されたものなど、築造年や現在の姿がいつの時代に建てられたものか一様ではないが、ルネサンス美術の精神をどれもが伝えている。というのは、ルネサンスの精神とは、それまでの考え方やモデルを刷新しつつ、多様な考え方を認め、包摂し、かつ全体として均整を求めたものと言えるからである。本稿①で紹介したヤマザキマリさんは、ルネサンスの魅力を寛容性に求める。それは、ヤマザキさんが愛してやまない「変人」たちを受け入れる社会の度量、それら「変人」たちが創作活動を続けられた社会の余裕みたいなものが感じられるというのだ。ゴシックの時代の荘厳、静謐であるが、ある意味堅苦しく見えるデザインに自由で明るい雰囲気を醸し出したルネサンス美術は、中世の強大な権力=教会と渡り合った、いや、それ以上の財力を持った商人・市民層の芸術への投資を爆発させた時代なのだ。だから、ルネサンスの教会をはじめ建物は明るく前向きに見える。ルネサンス様式の完成である。

フィレンツェの教会は、外見、建物がどれも清廉で優美だ。それは中世の静謐と後のバロックの豪華さにはさまれた美術史の中の必然段階であるのかもしれない。一方で、現代人から見れば怖いくらいに神秘的な中世ゴシックの聖堂内部ほどの威圧感はない。神が中心から、人間中心へ。フィレンツェは紛れもなく、街全体が美術史の図録、そして美術館なのである。(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする