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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

スペイン・ポルトガル美術紀行2012(3)

2012-02-26 | 美術
実は今回の旅行では、風邪をひいて、おなかを壊してしまい、結構大変な旅になってしまった。夜行列車でリスボンに着いた日は旧市内を回る路面電車に乗り、夜はよいワインバーに行くなど充実していたのだが、翌日にダウンした。結局お目当てだったうちグルベンキアン美術館と国立古美術館には行けたのだが、それ以外は行けなかった。まあ、リスボンにはそもそも大きな美術館はないようであるが。
グルベンキアン美術館はおそらくポルトガルで一番有名、かつ所蔵作品も秀でているが、規模はそれほどでもない。アルメニア人の富豪カロウステ・グルベンキアンはアメリカの富豪と同じように石油で財を成し、蒐集したのはバロック期をはじめ印象派、近代のヨーロッパ絵画、中国磁器をはじめ東洋の作品の数々。なかでも絵画ではなく、ルネ・ラリックのガラス作品群は一室をなし目を引く。冬期であったためか、閉鎖している部屋も多く、すべてが見られなかったのが残念。
国立古美術館はグルベンキアンより大きい。テージョ川を見下ろす高台にあり(リスボンは坂の街で大変だ)、建物の雰囲気もいい。メムリンクなど北方ルネサンスの画家、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなど隣のスペイン巨匠、そしてボッシュやデューラーの作品もあって、プラドなどと比べればもちろん規模は小さいが十分楽しめるコレクションである。ポルトガルは鎖国していた日本とも交易があった国。南蛮美術として狩野派の屏風絵や掛け軸もあるが、門外漢でさっぱり分からない。ポルトガルを代表する15、6世紀の絵画もあるようだが、恥ずかしながらポルトガルの画家は全く知らなくて、キリスト教美術の巾の広さを改めて思い知るばかりだ。
バルセロナにはカタルーニャ美術館という中世キリスト教美術の殿堂があるが、ポルトガルもカソリックの国。初期ルネサンスの祭壇画や装飾品もあるが、装飾品は絵画以上に鑑賞が難しいというのが実感。キリスト教的寓意が彫られているとは限らず、その巧緻を時代区分によって確認できる眼力が試されるがもちろんギブアップ。グルベンキアンもそうであるが、館内の配置や照明、係員の所作などが洗練されているとは言いがたい。係員が通路でおしゃべりしていて邪魔になったり。まあ、それもお愛嬌。ポルトガルはおそらくは二度と来ることはないだろう。今回、体調を崩したのは、ポルトガルに来たのに、聖地ファティマに詣でなかったからと冗談で言っているが、偶像崇拝を許す国?の美術は何回見ても興味深い。(ルーベンス「ヘレナの肖像」グルベンキアン美術館)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(2)

2012-02-19 | 美術
テッセン・ボルネミッサ美術館はパリで言うところのオルセー、ソフィア王妃芸術センターはポンピドゥー・センターであると以前記したが、今回改めて感じたのは少なくともソフィアは規模でもポンピドゥーに負けていないということである。
ソフィアを訪れる人のお目当てはもちろんピカソのゲルニカである。ゲルニカは制作後、アメリカに渡ったり、プラドに預けられたりしながら公開されなかったりとその安住の地を得るまでに数奇の運命を辿ったのは有名だ。が、ソフィアはゲルニカのおかげでというか、ゲルニカを展示するからにはとの意気込みのもとで現代美術の収集、展示に力を入れていてその目論見は見事成功しているように思える。あまりの広さに最後のドローイングの間などはほとんど素通りしたような状態だったが、ポンピドゥーと同じように一日かける価値がある。現代アートを主とする美術館は、企画展を中心とするとビデオインスタレーションとか、背景や言葉がわからないと全然理解できない場合も多いのに比してソフィアは絵画、造形中心。大きく、ヘンな作品が魅了する。
テッセンはベルリン以外ではこれほどそろっていないのではと思うほど、ドイツ表現主義、それもキルヒナーをはじめとするブリュッケの作品群を擁している。バウハウスのイッテンの作品まであってうれしくなってしまう。オルセーが近代美術ながら圧倒的に印象派のイメージが強いのに比して、テッセンは世紀末前後、それも20世紀初頭のキュビズム、フォービズム以降に強いようだ。イタリア未来派、そしてドイツ表現主義とナチに追われた作品群が、スペインの地まで流れてきたのかもしれないなどと根拠なく勝手に来歴を想像するのも楽しい。そしてピカソ、ミロ、ダリを生んだスペインはもともとシュルレアリズムの肥沃地帯。そしてピカソ、ミロ、ダリはいずれもカタルーニャ地方と深い縁がある(バルセロナの項で後述)。
むしろ面白く思ったのは、テッセンもソフィアもアメリカ美術が多くないことだ。テッセンが蒐集する時代区分にアメリカ美術が入るかどうか微妙だが(20世紀最初のアメリカは、新興財閥・資本の力でヨーロッパ美術を買いあさる時期であって、自前の美術作品養成・蒐集には必ずしも熱心ではない。)、ソフィアになると明確で、戦後美術を牽引したアメリカのミニマリズムやコンセプチュアリズム作品が美術館の規模に比してきわめて少ない。むしろ陸続きのヨーロッパ諸国の近代作品を熱心に集め、それらを体系的に紹介しているあたり、抽象芸術を牽引するピカソらを生み出した意地と矜持が見て取れる。しかし、マドリードはカタルーニャ地方とは一線を画す。そしてやはり王室のお膝元。シュールなアバンギャルドはバルセロナに任せて、行儀よく近代絵画を堪能するために、プラド、テッセン・ボルネミッサ、ソフィアという並びは重要なのである。(マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス) ソフィア王妃芸術センター)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(1)

2012-02-10 | 美術
ソ連の時代、取材等が十分できなくて、エルミタージュ美術館のことがよく分らなかった頃は、「世界3大美術館」にはプラドが入っていた。エルミタージュの全貌が明らかになって、「3大…」にはプラドに代わってエルミタージュが入ったが、プラドの偉大さは変わらない。念のため記しておくと、あとの二つはルーブルとメトロポリタンである。規模の上からこの3つが入ることに異議はないだろう。ただ、「3大」などという必要があるのかどうか別にして。
プラドのすごいところは、18世紀末から19世紀初頭にかけてスペイン王室の実情に肉薄しながらも、フランスとの戦争に代表される戦争や内戦で多くの命が失われたことに対する怒りと悲しみ、反戦の思い、そして晩年には人間の業に正面からまみえた巨匠ゴヤを完全網羅しているところだ。
フランシスコ・デ・ゴヤ。時代区分的にはロマン主義、フランスのブルボン王朝が崩壊し、第二共和制後ナポレオンが権力を掌握し(第一帝政)、民主革命の余波を恐れたスペイン、カルロス王朝はナポレオンと手を結び、フランスのような民衆革命の勃発を押さえようとしたが、スペイン国民の反仏感情は高く、フランス軍兵士に市民が殺されてゆく。また、スペイン王室内では王妃マリア・ルイーサの愛人ドゴイが若くして首相の座に上り詰め、政権を私物化し、民衆の怒りも頂点に達するが、ゴヤはこれら王室・政権内の肖像画も数多く手がけ、主席宮廷画家として蓄財を築きながらも決して、王室に帯同することなく、また、大病し聴力を失い、最晩年には視力も失いながらも版画に取り組むなど飽くなき好奇心を発揮した。ゴヤが82の長年を全うし、宮廷画家としての地位を追われなかったのには、ゴヤの類希な画才と雅量、そして世の動きを察知する政治的な勘があったからに違いない。美人でない王妃マリア・ルイーサを美人ではなく、尊大なドゴイを尊大に描きながら、その人間の内面にまでせまる技量をして宮廷から追われなかったのではないか。ゴヤが崇敬していた、あるいは愛情を持って接していた肖像画のモデルたち、アルバ侯爵夫人やチンチョン夫人(ドゴイと政略結婚っさせられる)らは、政治的には力は弱かったが、その悲哀を美しく見事に描いているのも同時に画家の内面を投影させている。
 プラドはゴヤを網羅しているからすばらしいと記したが、逆に言えば、プラドにまで行かなければ、ゴヤの作品には出会えないことが多いからだ。あくまでまとめてという意味であるが。そしてゴヤの最晩年の力作「暗い絵」シリーズはここでしか見られない。ゴヤに出会うにはプラドに行かねばならないのである。プラドにはスペインのもう二人の巨匠、ベラスケスとムリーリョもそろっているし、ボッシュの「快楽の園」とフラ・アンジェリコの「受胎告知」もここでしか見られない(「受胎告知」はフィレンツェに壁画バージョンがある)。新館も開設されて、3大に入ろうが入るまいが、プラドは偉大な美術館であることは間違いない。

ゴヤのなかには、コローもいればルノアールもい、また超現実主義や非具象への契機も含まれてい、ピカソに至る道筋もすでに用意されている。(堀田善衛)

(ゴヤの生涯については『ゴヤ スペインの栄光と悲劇』(ジャニーヌ・バティクル著 堀田善衛監修 創元社)を参考にした)(プラド美術館正面にたつゴヤの銅像)
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愛が生む自由、自由が生む愛  ー草間彌生  永遠の永遠の永遠ー

2012-01-23 | 美術
草間彌生の作品を見ていて、前から感じていたこと、そして、今回改めて確認したことがある。それは草間の作品に流れるアール・ブリュットのテイストである。アール・ブリュットとは、ジャン・デュビュッフェが精神障がい者や知的障がいのある子どもらの描くアートを「生の芸術」と名付け、その独創性を紹介、発表の場をつくった障がい者芸術へ世間の目を向けさせた成功譚である。成功譚と記したが、デュビュッフェの功績は美術の世界以外ではもちろん知られていない。ローザンヌにあるアール・ブリュット美術館に行けば、障がい者芸術の深さと広さにまみえることができるのだけれども(アール・ブリュット美術館探訪は残念ながらスイス美術紀行では触れていないが、魅力ある小さな美術館である。)
で、草間彌生である。強迫神経症だとか、偏執狂疾患であるとか草間を精神(医または心理)学的に解説する言説も少なくないが、ある部分あたっていて、また、であるからどうなのだというのが、今回の展覧会でも明らかになった。
草間はかなり早い時期から水玉、ドットにこだわりその緻密さたるや凡人が思う根気を超えて強迫神経症と診断されても無理もない。点描派のスーラは34歳で亡くなったのを、あのような根を詰めてすることがよくないと、半ば冗談で言っていたが、草間は現在82歳。そして、いつまでも生き! 作品に愛を込めるという。今回の展覧会のために連作された「愛はことしえ」。細密画のごとく丹念に筆を入れ、「永遠の魂」を実感し、平和を愛し、地球を思う。草間は絵描きであるとともにすぐれた詩人でもある。アメリカ生活が長い人だが、もちろん日本語能力も高い。いや、20代で親の反対を押し切って渡米し、ニューヨークを拠点に芸術活動をはじめた草間にとって日本は長らく遠い存在だったに違いない。アメリカでハプニングや既成のイクシビションに殴り込みをかけた苛烈さとは反対に驚くべき繊細さを持って2次元画面にも没頭してた姿勢がよくわかる。2次元画面と言ったが、草間の長年のパートナーはジョゼフ・コーネル・そう、コーネルのボックスのコーネルである。ボックスという3次元で、それでいて、限られた空間で表現をつくしたコーネルとパートナーであったことはなにか意義深い。
コーネルの死後帰国した草間は精力的に活動を続けるが、前衛美術は一般的に日本で分が悪い。横浜トリエンナーレでの複数回の出展、各地の芸術祭でのあの水玉カボチャの出現などで、徐々に名声を高めた草間の82歳の挑戦。今回、出展されたほとんどの作品が本展のためにドローイングされた新作であるというのであるから驚く。美しく、分かりやすく、楽しい。
草間という人は色、そしてフォルムについてはタブーや固執がないと思えるほど、色とりどりの自由さに、それらを彩る形態の自由さに感嘆させられる。過去にはザーメンや男根にこだわったかのようにまみえた男性性偏執狂と評された作品も多かったが、もう草間には「愛」があるだけである。
変な言い方だが、アール・ブリュットはちょっと、まだ、ついていけないと審美眼において自己の壁を作るご仁にぜひ見てほしい。草間のアブストラクトは十分に踊っていると、感じられるだろう。(「人間の一生」)
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一点に拘泥しない完璧さ  ジャクソン・ポロックのオール・オーヴァー

2011-11-21 | 美術
日本で印象派の人気が高いのは、印象派が西洋絵画の中で神話やキリスト教の題材から離れたからであって、そういった基盤を持たない日本人には取っつきやすいからという説明が可能だ。ところが、美術館に行くのが好き、絵を見るのが趣味という人であっても現代アートは取っつきにくいらしい。その代表格の一人がジャクソン・ポロックである。
ポロックのドローイングは、絵に興味のない人にとっては単なる落書きである。いや、落書きはところどころ意味のある具象も垣間見えたりするが、ポロックの作品はただ絵の具をぶちまけただけにしか見えない、だろう。しかし、「絵の具をぶちまけた」とは思わずに、じっくり見てみよう。そう、現れてくるのは、計算され尽くした美しさとも言うべき、画面いっぱいの均衡、どこに焦点があるのではない、画面全てが焦点である。まるで銀河のような果てしなさ。
ところで、ポロック自身は、計算して描いているのではないという。ポロックはもちろん、40~50年代アメリカを席巻した抽象表現主義と言われる画家たちは、多かれ少なかれ、シュールレアリズムの洗礼、影響を受けており、シュールレアリズムがその特徴としたオートマティズム=自動筆記、無意識のままに手を動かしてそれで描いていく、を想起させる作品も多い。しかし、ポロックは断固として無意識を否定し、同時に、意識下であることも否定する。アクション・ペンティングの出現である。キャンバス地をストレッチャー(木枠または板地)から剥がし、イーゼルから降ろし、地面に広げ、様々な大きさの筆を持ち替え、垂らしていく(ドリッピング)。そのときキャンバスに上下、左右はない。ポロック自身が、キャンバスのあちらか側からこちら側から、筆を振るい、時にキャンバスに踏み込み、絵画の天地左右を無視していく。そのポロックが1940年代末から50年代初頭にかけてこれら技法を自らもの、己自身以外に追随を許さいなものとして完遂し、作品の完成度をあげたのはちょうど、彼がアルコール依存症から抜け出し、平静であった頃。
15歳かそこらでアルコールが手放せなくなったポロックは、その後幾度もアルコール依存の危機に陥った。が、年上の画家リー・クラズナーと結婚し、ニューヨークという都会から離れ、禁酒に成功し、田舎に引きこもり制作に没頭できる環境にあってこれらオール・オーヴァー(画面の一点ではなく全体として均質的に目を向けさせる描き方)を完成させたのだ。
考えてみれば、絵画には必ずと言っていいほどアクセントがある。キリスト教絵画や神話においてはイエスなど人物や出来事、北方ルネサンス以降の風俗画、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義と印象派以前においても重要な部分とそうでない部分のコントラストを重要視していたし、印象派においても中心的な対象に自然目が向くように描かれている。しかし、ポロックの絵画は描く対象を放棄した。絵画とは、キャンバスを彩るドローイングとは、重点的部分とそうでない部分が存在してはいけないように、キャンバスの方向性をも無視して。
しかし、混沌とした絵筆の書き殴りは、とてつもなく計算されつくした均衡で、見る者を魅了する。その均衡が計算ではなく画家の一瞬の衝動の発露であるとしても。たとえばヤン・ファン・エイクのゲント祭壇画のよう緻密に描かれた宗教画にしばし見入ることは予想の範囲内としても、同じように、ポロックのドリッピングにも、その緻密さに見入ってしまう。それほどまでにポロックの抽象表現主義は、もはや「抽象」ではないのかもしれない。
オール・オーヴァーで成功をおさめたポロックは、次に具象を含め、違う表現方法を模索していたようだ。しかし、模索の努力より、アルコール依存が克ってしまった。飲酒の上、自動車事故で亡くなるまでの2年間はまったく絵が描けなかった。享年44歳。
絵画におけるすぐにわかる「意味」を捨象した抽象画で、これほどまで見る者を惹きつけて止まない天才は、早すぎる死とも称されるが、いや、ポロックはもう十分なし遂げたのだ。ほら、筆から滴らせただけのと見えるドローイングに「秋のリズム」が聞こえてくるではないか。
(秋のリズム NYメトロポリタン美術館蔵 残念ながら本展には出展されてない)
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美術館を野生化する 榎忠展に見る「鉄」の重さと美しさ

2011-11-01 | 美術
阪神間では具体美術協会を代表格として60年代美術界を席巻した流れがある。「具体」は最近亡くなった元永安正など、もう鬼籍に入っている人が多く、過去のものとも見えるがそうではない。それは、現在兵庫県立美術館の常設展として「2011年度コレクション展Ⅱ 収蔵するたび 作品ふえるね」で今回「具体」やグループ「ZERO」の時代の作品を紹介しているが、それらが全然古めかしくないことから明らかだ。特に展示室の中で63年の作品ばかり集めたのは圧巻で、元永はもちろんのこと、白髪一雄、桑山忠明ら「具体」の作品が展示されているが、60年近く前にこれほどの前衛があったこと、また、それらが今展示していても全然違和感がないことが驚きだ。そして「ZERO」を創設したのが榎忠である。
「ZERO」の活動は、絵画に止まらなかった。いや、絵画以外の方法でパフォーマンスを繰り広げたことは有名で、エノチュウが70年の万博のシンボルを胸に焼き付け、銀座の街を走りまわったり、髪の毛を「半刈り」にしてハンガリーに行こうとしたのは今でも笑えてしまう。ZEROは、具体のようにキャンパスにこだわらなかった、インスタレーションが中心であったために今日その成果を伺い知ることは、ほとんでできないが、それゆえ、エノチュウのとんでもない発想は、伝説となっている。パフォーマンスでは、エノチュウが女装、ローズに扮してバーを開く「Bar Rose Chu」はさきの銀座駆け抜けなどとともにハプニングの先駆けで、関西では具体以後、グループ「位」などのハプニング性に重きを置いたパフォーマンスのまさに王道の一つであったのかもしれない。しかし、もともと長田の鉄工所の工員であったエノチュウは「鉄」にこだわる作品を次々に発表し、活動領域はパフォーマンスからインスタレーションや重厚な物体作品へとシフトしていく。その到達点の一つが《PRM-1200》だろう。
《PRM-1200》とは、旋盤の機械が毎分1200回転することを意味し、エノチュウが廃品の金属部品を旋盤でさまざまな形に磨き上げ、まるで未来都市のように積み上げていった根気と執念の作品。会場そのたびごとにエノチュウが設営するため、二つと同じ作品はなく、筆者は、エノチュウがまだこれほど知られていなかったときに大阪のキリンプラザ(も今はもうない)で初めてまみえた代物だ。また、2年前の神戸ビエンナーレでも特別出品しているが、今回はこれまでで最大のもの。圧倒される、のひとことである。
金属にこだわるエノチュウは「薬莢」や大砲、「AR-15」(アメリカ製の銃)や「AK-47」(同じく旧ソ連製の銃)といった戦争を想起させる作品も多い。エノチュウはその昔、自分にアートがなければ無差別殺人みたいな何をしでかすか分からないとも言っていたそうだが、理由のよく分からない暴発の情念がアートに結晶して本当によかったとともに、まだ、軍事兵器にこだわる危険性がエノチュウをして、殺戮という結果しかもたらさない戦争というものを表現者としてどう考えているのか、詳しく知りたいところではある。
変な言い方だが、エノチュウにかかれば薬莢も大砲もそして機関銃も美しい。それらが、殺戮兵器としてではなく、一回の鉄の塊としてむしろ人間性を排した無機質に徹しているからだろう。《PRM-1200》にいたっては神々しくさえあったのは、鉄の職人エノチュウが、あのとてつもなく重い材料も彼にかかればどうにでも加工できる柔軟な素材と変身するからではないか。鉄工所を定年退職して現在はアーティスト一本のエノチュウ。初の本格的個展ではたして「美術館を野生化」できたであろうか。(《PRM-1200》)

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現代アートの「社会性」とは何か  神戸ビエンナーレの成長を望む

2011-10-16 | 美術
神戸ビエンナーレは今年で3回目。前2回はボランティアとして参加したが、今年は時間も取れず一見学者として。結果的にボランティアとして参加するまでもなかった。というのは今年の展示は従来の屋外会場ではなく、屋内にコンテナ仕様のスペースを設けてのそれであったこと、その展示されている作品自体が期待外れであったことによる。
期待外れというのは言い過ぎかもしれない。それは、もともと神戸ビエンナーレという新参イクシビション(exhibitionの正確な発音は苦手)の持つ限界かもしれないし、神戸ビエンナーレの主催者や出品者が、そもそも横浜トリエンナーレはもちろん、ヴェネチア・ビエンナーレに見られるような現代アートにおける「社会性」に鈍感か、あるいは、禁忌しているからかもしれない。ありていに述べる。
先輩格である横浜トリエンナーレは、海外の出品者の割合が神戸ビより多い。そして、中にはヨーロッパをはじめ世界各国のアーティストもいて、ホロコーストの記憶やパレスチナで現在何が起こっているのか、あるいは旧ユーゴスラビアの地で、あるいは、軍事独裁政権の続いてきたチリなど南米の国でどう生きたか、そして中国でどう表現の自由が侵されているかを描いている作品も多い。現代アートが必ず政治的課題を取り上げなければいけないということではない。しかし、日本が内向きと批判される要素は十分にあって、世界で今、過去何が起こっているのか、未来に何が起こり得るのかにつき、あまりに言及がないというのは事実である。
2005年の横浜トリエンナーレであったか、海外のビデオ作品でいきなりシャワーを浴びるものがあった、狭い空間で。単にシャワーを浴びている映像ではない。これは、アウシュビッツに送り込まれたユダヤ人が、シャワーを浴び、それが生きるか死ぬかの別れ目であることを自覚する分岐点であることを描いたものであった。シャワーを浴びるって普通でしょ? いや、狭い空間で、いきなり、有無を言わせず、シャワーを浴びさせられるシチュエーションはアウシュビッツそのものなのである。
あるいは、ウサギが飛び越えられないフェンスがある。ウサギはフェンスの左右を行き来するがあちら側へは行けない。急に人が超えられないフェンスが現れる。そう、イスラエルがパレスチナの民に自由に交通させないために設置した分離壁である。フェンスの映像だけではそこがヨルダン川西岸地区であるとか、イスラエル人に入植された(すなわち侵略された)パレスチナの地であることは容易には分からない。しかし、描かれていることは明らかである。
かように横浜トリエンナーレをはじめ、ヴエンチア・ビエンナーレなどは持に、政治的メッセージに溢れている。それは、政治的である以前にアートも社会性を持つべきだとする出品者の矜持をも見て取れる。翻ってみれば今回の神戸ビエンナーレはどうか。従来より室内という解放感に欠ける制限はあったにしても、人工的な光の表現と、メカニカルなプレゼンテーションはどうだ。どれも同じように見えるし、どれも、コンピューター技術と、鏡やその他デバイスに頼った作品群が多い。社会的メッセージは一体どこにあるのか。
3.11以降、日本でも反原発のうねりはとどまるところを知らず、日比谷公園では6万人集会、ウォール街に端を発した反格差デモは日本にも波及した。現代アートは、「アート」だけをしていていいのではない。社会性なきところに現代アートの魅力はない、とは言い過ぎだろうか。
同時期に開催されているヴェネチア・ビエンナ-レの日本館出品となった束芋の諸作品は、国際情勢を撃つものではないが、「日本の台所」や「日本の快速電車」を見ても分かるように、現代日本の言いようもない無力感と希望のなさをあからさまに描いているように見える。神戸ビエンナーレはそこまでさえも届いていない出品、とは偏見であろうか。
ただ、別会場である野外彫刻(インスタレーション)作品群(ポートアイランドあじさい公園)は、その作品意図が明確な分だけ面白かった。また、兵庫県立美術館で招待作品として展示されている「具体」の作品群(元永定正さんはついこのあいだ亡くなった)は50年前にして、これほどの新しさと思わせたので、神戸ビエンナーレのすべてが否定すべきと言っているのではないので、念のため。(元永定正「へらん へらん」)

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現代美術の役割とは何か  2011横浜トリエンナーレの感想から

2011-09-17 | 美術
美術で食っているわけでもないのに、横浜トリエンナーレは毎回行っている。今では大御所となった蔡國強や、草間彌生、石内都などその後ヴェネチア・ビエンナーレでイクシビションを飾る大家が、その登竜門として?横浜トリエンナーレのメインを担うのは今や常識である。そして、2003年の横トリでその非凡さを見せつけた束芋は、今や日本を代表するアーティストとして今年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館を担当。コンピューター・グラフィックスであるのにその泥臭さ、アナログっぽさが日本的であると受けているのか、束芋の評価は高いし、筆者もなぜか惹かれるところがある。
束芋の魅力については以前紹介した(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f6612328ea6416fcb28ab3f3a66c798f)が、今回の横トリで、次代のヴェネチア・ビエンナーレを担う層が出てくるか。
今回はじめて横浜美術館を会場にしたのは、どのような理由かは分からないが、既存の美術館、それも決して大きくはない横浜美術館を会場にしたことで、いくぶん、こじんまりとした感はぬぐえない。現代美術館として開設されていない限り、どうしても制約がある。天上の高さであるとか、そもそもの部屋の広さであるとか。横浜美術館はこれまでの展覧会、近代彫刻を取り上げた時など、特に好もしい企画展、を擁していたが、収蔵作品を今回現代作品に織り交ぜて展示しているあたり、すでに持っている近代作品のコレクションにも自信と自負が見て取れた。ブランクーシ「空間の鳥」、エルンスト「少女が見た湖の夢」、マグリット「王様の美術館」などのまさに近代作品のほか、今回出品するために特別に制作されたのではない現代作家の逸品、石田徹也や杉本博司も登場して、もう、どこまでがトリエンナーレか分からないほどだ。が、それがまた、うれしい展示ではある。
東日本大震災前から本展は企画されていたであろうが、今回、展示が横浜美術館というと、いわば、現代美術には狭い空間で展示されたのは象徴的である。というのは、ちょうど10月に開催される神戸ビエンナーレが、電気使用をおさえるためにこれまでのようにわざわざコンテナを運んでの屋外展示を止め、公園でのインスタレーションを除いてすべて屋内に変更したことからも、「節電」を意識したものになっているからだ。実際、屋外でしたのと屋内でしたのとの節電効果の違いはよくわからないが、今回の横トリでは、メイン会場を横浜美術館(と日本郵船海岸通倉庫)としたことによって、少なくとも赤レンガ倉庫であったような巨大な作品はなくなったのは事実だ。だから興味失せる、のではなくて、逆に近年敬遠されていた?ビデオ作品が増えたのがまた、興味深いのだ。
たとえば、ベトナム人(母は日本人)作家ジュン・グエン=ハツシバの作品。「呼吸することは自由:日本、希望と再生」と題した作品は「地球にドローイングを描く」プロジェクトで、東日本大震災の被災地を地元の人らとともにGPSを装着して走り抜けるというもの。全て押し流されて荒地となった背景、がれきの山のバックを走りぬける様は痛ましく、かつ、心地よいだけではない。GPSの軌跡は桜の花などのかたちとなって浮かび上がるのだ。未曽有の震災を目にして多くの作家は「自分に何ができるか」を考えたことだろう。自粛騒ぎもあるが、女子サッカーなでしこではないけれど、結局、自分の本分でしか活動できないとしたら、美術家もやはり芸術でしか震災を自分のものとしてとらえることはできないのではないか。
ジュン・グエン=ハツシバは自分や地元の人が駆け抜ける街を見てほしい、と同時に、前に向かって走る(「べき」とか「ったほうがよい」ではない、決して。)姿を自らの震災の態度として作品にしたのだ。そこには冷笑、ニヒリズム、そして虚無感もない。むしろ、6か月たった被災地以外の日本に住まう人たちへの「忘れないでほしい」というささやかな警鐘なのだろう。
沖縄やパレスチナの作家がなんの外連味もなく、土地をそのまま描くとき、映すとき、彼ら彼女らは、その土地への過剰な支えを、期待しているのではないだろう。むしろ、「忘れる」に長けた現代人に対して「忘れない」の共有を呼びかけているに過ぎない、のだろう。現代美術というのは、すべからく、何らかの政治的メッセージを内包したコンセプチュアルアートの宿命を負っている。今回の横トリのおとなしさと問題提起は、そのあたりも含めて「現代美術」、さもありなんと、少し想定内で上品ではある。
(砂澤ビッキ「神の舌」)
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ハプスブルク3国美術紀行4 ハンガリー

2011-09-14 | 美術
ハンガリーやブダペストに恥ずかしいくらいなんの知識もなく訪れた。ハンガリーの歴史、それも1956年のハンガリー動乱であるとか、ましてや音楽音痴のこの身にとってリストの生涯などに興味があったわけでもない。今回訪れたチェコはビール、オーストリアはワイン、ハンガリーもワインらしいと、食い意地のはった者にはその程度の興味対象であったハンガリー。では美術の世界では。
ハンガリーの一般的な知識どころか、美術でもこちらの不明を恥じるほど充実した美術館だったというのが正直なところである。ただ、言い訳すると、世界の美術館ガイドなど、それも比較的大きく、詳しいガイドを見ても、ハンガリーの美術館のことはほとんど紹介されていないし、ハンガリーの画家も取り上げられることはまずない。であるから、ハンガリーの美術館、画家のことを問われても…。
思い直して、感想を言うとブダペストの美術館はすばらしい。規模もコレクションも十分である。国立西洋美術館は、いわば、ハンガリーの印象派の作品を集めたところ。ハンガリー印象派についてのこちらの知識のなさ、情報の少なさもあって、知らない画家ばかりだ。その分、予断もなく新鮮。印象派というともちろんフランスであるが、ルノワールはこう、モネはこんな感じ、ドガは…と決めつけて見てしまうが、ハンガリーの印象派なんぞ知らないこちらの強み? 反対にああこれはモネ風だとか、ピサロを思いおこさせるとか、モリゾが描いているのではとか、勝手にフランス印象派中心主義に堕して、分かったような気になっている。ただ、悲しいかなハンガリー語はもちろん分からないし、あっても小さな英語表記を事細かに確かめる時間もない。しかし、機会があればハンガリー印象派(というか、要するに近代絵画)の専門書にもあたってみたいと思う(もちろん日本語でお願い)。
国立美術館は、中世の祭壇画から現代美術までカバーする、まさに「国立美術館」の名に恥じない威風堂々たるコレクション。展示の仕方は決して洗練されているとは言い難いが、その分、押し寄せるほどと感じる作品数に圧倒され、また、うれしくもある。中世の祭壇画がこれほど集められているのも驚きであるが、同時に、その状態の良さも特筆もの。宗教的にはロシア正教に与せず、カトリックの強かった故か。これで終わりかと思ったら、まだ奥に広がる規模の展示室に王宮を美術館にするという試みは、もちろんブダペストだけではないが、王宮の美術館としての不便さを維持しつつ、その広さを有効に活用するという意味ではブダペスト国立美術館は、驚きと期待と、そしてその広さと複雑さのため、いくばくかの心地よい疲労を感じるのは致し方ない。いずれにしても、西洋先進国?の多くの大美術館が歴史的区分によって、そのハコを変えているのに反して、おそらくは、美術にかけるお金もそれほどではないハンガリーの首都の美術館が、1500年にもわたるコレクションを一堂に展示する贅沢さもまた、ブダペストならではの楽しみである。「草津よいとこ~一度はおいで」のドイツ語版で「ブダペスト グーテンプラッツ アイマール コーメンジー」というパロディがあるとかないとか。いや、ブダペストの二つの美術館には「一度はおいで~」である。(ゴシック様式の美しいマーチャーシュ教会)
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ハプスブルク3国美術紀行3 ウィーン2

2011-09-04 | 美術
2度目のウィーンはできるだけ前回行けなかったところを中心に訪れようと思った。で、街の中心にあったシュテファン大聖堂とか王宮も今回は真面目に!行ってみた。ハプスブルク家というとマリア・テレジアよりも皇妃エリザベート、シシィである。結果的にはシシィだらけの王宮やその他関連施設のオーディオガイドなどでずいぶんシシィに詳しくなったし、結構おもしろかった。絶世の美女、私生活は謎めいていて、最後は暗殺される。これほど、素人が歴史に興味をもつ題材に事欠かない人はいない。
ウィーンはシシィのおかげで現在観光客を呼び込めているし、フランスもマリー・アントワネットで観光人気が続いている。結局観光はハプスブルク頼りかと簡単には言えない。というのは、アントワネットもハプスブルク家として生きた時より嫁いだ後の方がずっと長いし、シシィもむしろハプスブルク家に背を向ける生き方をしていたように見えるからだ。それはさておき、ウィーンはやはり美術館の充実という点ではシシィばかりではない。
アルベルティーナ美術館はもともとあったアルベルティーナ宮殿内に、デューラーらの素描画の膨大なコレクションに加えて、クンストフォーラムが有していた近現代絵画のコレクションをドッキングさせて改めて大規模美術館として誕生したようだ(ただ、以前訪れた時(2003年)あったクンストフォーラムがなくなっていて、その当時はなかったアルベルティーナ美術館が今回あったことから思い込んだだけかもしれない。未確認。)。思いのほかの広さに時間が足りなくなってしまったが、前述の素描画はもちろん、近代絵画の名品も多く、すばらしいコレクション。いったいどこまであるのだろうという広さ。さらに企画展をいくつかしていて、これがまたグッド。筆者が訪れた時は、いずれも知らない作家、画家、写真家など3人を取り上げていたが、現代美術ゆえ?ドイツ語が分からなくても十分楽しめる展示となっていた。知っていたらもっと時間をとっていたであろうアルベルティーナは美術好きには隠れた名所である。
クリムトがウィーン画壇の保守的傾向を嫌って結成された「(ウィーン)分離派」の初代名誉会長に就いたのが1897年。その年から建設のはじまったのがセゼッション(分離派)館。キャベツのような頭頂部は有名で、一度訪れてみたいとおもっていたところだ。しかし、その異様な出で立ちを表すほどには常設展が充実しているわけではない。というか、ここはクリムトと出会う、言わば聖地。そう、ベートーヴェン・フリーズが地下に設えられている、それに出会う場所であるのだ。
ベートーベヴェン・フリーズは分離派の象徴的な作品で、クリムト自身、あまりに大きな反発に驚いたとも伝えられているが、そのあたりは、常に保守的画壇に挑戦し続けてきたクリムト故、反発も計算づくであったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。いずれにしても、第9すなわち「歓喜」へ至る様を、人間の強欲、闘争、そして勝利へと象徴的、あるいは具象的に人や怪物をあしらうことによって描いている一大叙事詩である。地下への小さな入口をくぐるとぱっと開ける無機質な四角の部屋3面。実は、以前レプリカを見たことがあり、もっと小さいものと感じていたが思いのほか大きく、そして、それゆえ勇壮であった。
セゼッションそのものは小さく、企画展も少なく、その割に料金は高い。しかし、ベートーヴェン・フリーズにまみえるためには訪れなくてはならない、いわばクリムト巡礼の地なのである。(セゼッション)
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