kenroのミニコミ

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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(1)

2012-02-10 | 美術
ソ連の時代、取材等が十分できなくて、エルミタージュ美術館のことがよく分らなかった頃は、「世界3大美術館」にはプラドが入っていた。エルミタージュの全貌が明らかになって、「3大…」にはプラドに代わってエルミタージュが入ったが、プラドの偉大さは変わらない。念のため記しておくと、あとの二つはルーブルとメトロポリタンである。規模の上からこの3つが入ることに異議はないだろう。ただ、「3大」などという必要があるのかどうか別にして。
プラドのすごいところは、18世紀末から19世紀初頭にかけてスペイン王室の実情に肉薄しながらも、フランスとの戦争に代表される戦争や内戦で多くの命が失われたことに対する怒りと悲しみ、反戦の思い、そして晩年には人間の業に正面からまみえた巨匠ゴヤを完全網羅しているところだ。
フランシスコ・デ・ゴヤ。時代区分的にはロマン主義、フランスのブルボン王朝が崩壊し、第二共和制後ナポレオンが権力を掌握し(第一帝政)、民主革命の余波を恐れたスペイン、カルロス王朝はナポレオンと手を結び、フランスのような民衆革命の勃発を押さえようとしたが、スペイン国民の反仏感情は高く、フランス軍兵士に市民が殺されてゆく。また、スペイン王室内では王妃マリア・ルイーサの愛人ドゴイが若くして首相の座に上り詰め、政権を私物化し、民衆の怒りも頂点に達するが、ゴヤはこれら王室・政権内の肖像画も数多く手がけ、主席宮廷画家として蓄財を築きながらも決して、王室に帯同することなく、また、大病し聴力を失い、最晩年には視力も失いながらも版画に取り組むなど飽くなき好奇心を発揮した。ゴヤが82の長年を全うし、宮廷画家としての地位を追われなかったのには、ゴヤの類希な画才と雅量、そして世の動きを察知する政治的な勘があったからに違いない。美人でない王妃マリア・ルイーサを美人ではなく、尊大なドゴイを尊大に描きながら、その人間の内面にまでせまる技量をして宮廷から追われなかったのではないか。ゴヤが崇敬していた、あるいは愛情を持って接していた肖像画のモデルたち、アルバ侯爵夫人やチンチョン夫人(ドゴイと政略結婚っさせられる)らは、政治的には力は弱かったが、その悲哀を美しく見事に描いているのも同時に画家の内面を投影させている。
 プラドはゴヤを網羅しているからすばらしいと記したが、逆に言えば、プラドにまで行かなければ、ゴヤの作品には出会えないことが多いからだ。あくまでまとめてという意味であるが。そしてゴヤの最晩年の力作「暗い絵」シリーズはここでしか見られない。ゴヤに出会うにはプラドに行かねばならないのである。プラドにはスペインのもう二人の巨匠、ベラスケスとムリーリョもそろっているし、ボッシュの「快楽の園」とフラ・アンジェリコの「受胎告知」もここでしか見られない(「受胎告知」はフィレンツェに壁画バージョンがある)。新館も開設されて、3大に入ろうが入るまいが、プラドは偉大な美術館であることは間違いない。

ゴヤのなかには、コローもいればルノアールもい、また超現実主義や非具象への契機も含まれてい、ピカソに至る道筋もすでに用意されている。(堀田善衛)

(ゴヤの生涯については『ゴヤ スペインの栄光と悲劇』(ジャニーヌ・バティクル著 堀田善衛監修 創元社)を参考にした)(プラド美術館正面にたつゴヤの銅像)

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