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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

触れる造形、手探りの魅力 杉浦隆夫展

2005-10-02 | 美術
9月の連休の日曜日だったかに企画展の「シルクロード展」に行った際に寄ったら、体験には1時間以上待ちとのことで断念。土曜日の朝一番に行ったら自分以外誰もいなくておかげで「みんな手探り」を満喫できた。
杉浦隆夫は「体験型の作品でユニークな活動を続ける愛知県豊橋市在住の美術家」だ。1995年に初めて発泡スチロールの粒を使い、それに鑑賞者自身が埋まるという作品を制作。10年ぶりの今回の作品は、美術館の一室をまるまる発泡スチロールで埋め尽くし、中に兵庫県立美術館所蔵のブロンズの彫刻5点を並べ、観客は発泡スチロールに埋まりながら、かつ普段触れることのできない美術作品を直接触れるというもの。
体ごと発泡スチロールに埋まるというのも愉快なら、上部が少し出ただけの彫刻を手を潜らせて触ってみるのも面白い。そう、本作には二つの魅力がある。人間は発泡スチロールを使い、普段梱包する側に回るが、ここでは人間が梱包(というのかどうか)される側に回り、外からの衝撃を和らいでもらう立場になるという逆転の発想。そして触れてこそその醍醐味がわかるのに普段触れることのできない彫刻に触れるということ。発泡スチロールは断熱材になるくらいだからさしずめ「スチロール温泉」はほんわりと暑く、一方ブロンズのひんやり感が心地よい。そして、今回のブロンズ作品は制作者の手、みたいなものが感じられるもので、その意味でも遠くから見てるだけの作品ではなくて実際触れて初めてわかる、実感できる彫刻のカタチに納得できるのだ。
屋外彫刻ではもちろん触ることはできるが、館内展示の作品はまず触ることができない。メインテナンスなどの点をクリアできれば、美術館も作品に触れられるようにしてほしいと思う。そして、「発泡スチロール温泉」も年中あれば。
軽い発泡スチロールといっても、抵抗はある。プールほどではないが、動くには少し体力もいるのでできるだけ身軽な出で立ちがオススメ。(11月3日まで)
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ロシア美術紀行5 エルミタージュ美術館その2

2005-09-20 | 美術
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行った際には、美術館が改装中で仮設展示ということもあってマチスの「ダンス」には惹かれたものであったが、エルミタージュに来てよくわかった。MoMAの作品があくまで習作であるということを。実は、これが見たいがためにエルミタージュまで行ったのだ。エルミタージュは都合2日費やしたが、生真面目に冬宮から展示の順番に見て回ったために新エルミタージュの2階、フランス近代美術は最後の最後になってしまった。で、出会えたのはマチスの間。ちょうど団体客が過ぎた後で、がらんとした空間に際立つ大作「ダンス」そして「音楽」。いやその前室に見(まみ)えた「家族の肖像」や「赤い部屋」で十分マチスを堪能した隣、眼前に拡がる「ダンス」。「音楽」ともどもわずか3色ほどしか使っていないのにこの表現力は何なのか。キャンパスに描く光を求めてマチスはフランスは南部へと移動し、遂にはスペインの田舎で村の踊り励む女性たち(もちろん裸ではないが)に出会い、その太陽光との見事なまでの調和に感動し「ダンス」を描いたと言う。それにしても、何たる単純明快さ、そして何たる躍動感。
マチスの絵をロシアにもたらしたのは19世紀末、革命直前までフランスを始めヨーロッパに渡航し、その蒐集熱を満足したセルゲイ・I・シチューキン。エルミタージュの遺産は、エカチェリーナ2世をはじめとする王室の蒐集癖がなしたものであるが、シチューキンの慧眼によるところが大きい。特に20世紀美術は。シチューキンのコレクションはマチスにとどまらず、まだヨーロッパ画壇で評価もされていなかったマチスをはじめ、セザンヌやドガなどを買い漁っていたという。
サンクトペテルブルグからはヨーロッパはやはり近いのだろうか。このような膨大な美術品を運ぶなど、陸続きの利点かとも思うが、エルミタージュにも陳列されているエジプト美術、ギリシア美術も海を隔てた大英博物館にたくさん収められている。要は時の権力と財力と、そして収集熱なのであろう。
至極当たり前のことであはあるが、美術作品の中には運べるものと運ばないものがあって、運べないものはそこまで行って見なければならないし、また、運べるものであってもそこにあるからこそ見る価値があるというものもある。運べないものの典型は古代遺産、教会美術であり、運べるもの代表格は19世紀のフランスをはじめとする印象主義であろう(前者はウフィッツィなどフィレンチェの美術、後者はオルセー美術館の作品群を見よ)。エルミタージュは建物はもちろん運べないし(ルーブルもメトロポリタンももちろん運べない)、その優雅な内部建築の一端さえも運べない。さらに言えば、作品の状態によるところが大きいがルネサンス美術は500年もたった現在運搬しないほうがいいだろう。エルミタージュに展示されている17、8世紀以降の多くの作品は運べるかもしれないし、「ダンス」も日本に持って来ることも可能かもしれない。けれど、美術鑑賞という受け身としての美への関わり方は、その美のあるところにこちら側が手間ひまかけてたどり着くというのが本来の姿ではないだろうか。そのたどり着く過程の中で、美術とは、その時代のその国/地域の美(術)意識とは、それを描いた作者の意図や背景とはと考えてはじめて触れる作品には、例えようのない美しさを感じることができる、と思える。
エルミタージュは遠い。観光立地としてのロシアにはまだまだ不便さもつきまとう。けれど、見てみたい、見てほしい。「美の殿堂」とはそこまで行かなければ決して体験できないということを説明できないと自覚するために。
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ロシア美術紀行4 エルミタージュ美術館その1

2005-09-19 | 美術
収蔵作品数だけならルーブル、メトロポリタンを凌ぐ300万点を要するエルミタージュ美術館は文句なし、世界屈指の規模である。最初にそのような世界的規模の美術館であるのに、洗面所の数が少ない、レストランがない(お粗末なカフェがあるだけ)、チケットブースが少ないなどインフラが整っていないという不満を述べておこう。しかし、それでも一度は行って見なさいとすすめたい。
まず、その巨大な建築群。「群」と記したのは、同館がピョートル大帝の娘エリザヴェータ・ペテロヴナ女帝の時代にコレクションがはじまり、エカチェリーナ2世の時代に一気に増えた収蔵品のため、冬宮から、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場とおよそ100年をかけて規模を拡大していったからである。
規模に圧倒されて、その内部を一々見て回る余裕などないが、18世紀の建築家バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリや彫刻家B・カルロ・ラストレッリといった偉大な造形作家の大胆かつ優美なデザインに引き寄せられる。ロシア建築特有の壁や柱、窓枠に金箔をふんだんに使っているのに少しもくどい感じがしない。むしろ巨大な建築物を引き締めているようにさえ見える。洗面所が少ないものであるから、同じ階段、回廊を行ったり来たりしたが、何度見ても飽きない洗練の極みである。
収蔵作品の見所はいくつもある。まずレオナルド・ダ・ヴィンチ。イタリア・ルネッサンスの作品は多いが、「聖母子(リッタのマドンナ)」「花を持つ聖母子」でダ・ヴィンチの才能に感嘆していたら、フィリッポ・リッピやラファエルロの作品も同室にあり声を失う。
16世紀はティツィアーノと17世紀のレンブラントの「ダナエ」対決。各地域ごとに展示が分けられており、一度見たものに引き返すのは大変だが引き返したくなるほどに、それぞれの筆致を比較して楽しみたいという欲求にかられる。ネーデルランドではブリューゲル(子)の「東方三博士の礼拝」、スペインのエル・グレコは「使徒ペテロとパウロ」、フランドルではルーベンスの「地と水と神の結合」など、聖書やギリシア神話のストーリーを少しかじっているだけでも十分楽しめる場面が、これでもかと押し寄せて来る。回廊の天井とそこかしこに陳列してある彫刻に見とれていたら先に進めないのが難だ。(つづく)  画像はレンブラントの「ダナエ」
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ロシア美術紀行3 ロシア美術館

2005-09-11 | 美術
サンクトペテルブルグ出発の最終日の午後に時間があったため行ってみたが、およそ半日で見られるような規模ではない。以前エルミタージュのロシア部門にあった作品を集めた同館はもともと旧ミハイロフ宮殿であったそうで、宮殿であるからとてつもない規模なのはあたりまえ。ロシア美術が日本で紹介されることはめったになく、ロシア正教特有のイコン画が多く、興味深い。イコンは偶像崇拝の象徴であり、教会を訪れる字の読めない信者が一目見て内容を理解するための表現力が要請され、自然聖母子などのわかりやすい表象が多い。しかし、15世紀以前の古代ロシア美術は、革命後ソ連時代の散逸や略奪もあり、かなりの数が集められたとは言え、その整理は十分ではない。だが、ここまで来ないと見られない貴重な作品ばかりで、ローマカソリックから放逸されたロシア正教のその美術的違いもよくわかり、どこかビザンチン様式の香りも感じられる。
ロシア美術館のコレクションは19世紀以降の近代美術のその圧倒的な数にある。18世紀後半以後ヨーロッパでロマン主義が栄えた時代には、ロシア美術にもその影が、19世紀の写実主義はロシアでも開化し、カンディンスキーやマレーヴィッチを生み出した20世紀は、シュルレアリズムはもちろん、セローフはどこかクリムトを思わせる象徴派、アルヒーボフはフォービズムとロシア美術も確実に変化を遂げてきたのがよくかわる。いかんせん、膨大な提示室群、すべてを見ることはできなかったが、特別展でちょうどシャガール展をしていた。
日本でもシャガール展はしょっちゅうしているが、どれもベラとの愛にスポットをあてたものや、素描、スケッチを並べたものばかりと物足りない気がしていたがここは違った。それもそのはず、モスクワのトレチャコフ美術館、パリのポンピドーセンター、あるいは個人蔵まで駆り集めた展示は圧巻であった。
シャガールの群青は遠くからでもすぐわかる。たいそうな人出であったけれども行ってみて価値あり。エルミタージュ以外でもサンクトペテルブルグではお勧めの美術館である。
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ロシア美術紀行2 ペテルゴフとツァールスコエ・セロー

2005-09-04 | 美術
 ペテルゴフは、サンクトペテルブルグを築いたピョートル大帝がヴェルサイユ宮殿を模して1723年に竣工をはじめた噴水の大離宮。総面積1000ヘクタールとされ、端から端まで歩くのには1日では足りない規模だ。「水の宮殿」との名もあるほど、敷地内には幾つもの工夫を凝らした噴水が設えられ、豊かな水量を誇っているが、この噴水、すべて自然の水の流れだけで噴出していると言うのであるから驚きだ。一つとて同じ噴水はなく、しげしげと見とれてしまう。宮殿内にはピョートルが招く賓客のための贅をこらした部屋の数々。おもしろかったのは、別棟にあたるエルミタージュでは、2階に食堂があり、1階で各客の好みの料理を用意し、テーブル全体が2階にせり上がる大仕掛けがなされていたことなど。離宮全体が完成するのにはピョートルの発案から200年を要したと言うが、数々の建築家が関わってきた証が今日の壮大さを誇っている。エルミタージュ美術館の裏手から高速艇で40分ほどかかるし、高速艇代、入園料、入場料など結構な出費となることに覚悟を。
 ツァールスコエ・セローはエカテリーナ宮殿と庭園、アレクサンドル宮殿と庭園などの総称。ナチス・ドイツによって破壊、略奪された美術群もすっかり修復され、2003年に再現された「琥珀の間」には団体観光客がわんさかいる。しかし、一時期ほどの混乱は終息したようで、現在では個人客も予約なしにどの時間でも見ることができる(2005年8月)。エカテリーナ1世の遺言で皇女リザヴェータ・ペトローヴナが相続し、造園を完成させたもので、ペテルゴフのような見せびらかし、散策を目的としたシンメトリーとは違い、庭は狩りに向き、森のようなところさえあるので一体どれくらいの広さなのかもわからない。列車で行くには時間や治安の点から不安のある人には地下鉄2号線「マスコーフスカヤ」駅そばのレーニン像前(というかすぐ後)から出るマルシルートカ(乗り合いバス)が便利である(k-347a)。30分ほどで宮殿が見える通りで降ろしてくれる。「琥珀の間」は黄金とは違う不思議な輝きで一見の価値あり。
ペテルゴフも、ツァールスコエ・セローもそしてエルミタージュ美術館もロシアの宮殿は、柱や壁に黄金の縁取りがふんだんになされているが、少しもくどくないのが不思議で、むしろすっきりとした感じさえ与える。これも美の洗練の一手法か。(画像はペテルゴフ)
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ロシア美術紀行1 トレチャコフ美術館

2005-08-29 | 美術
正直言ってロシアではエルミタージュ以外に美術館などあまり充実していないと思っていたし、ましてやモスクワに旧ソ連的なプロパガンダ前面!以外の美術館があるとも思っていなかった。バーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフが目指した美術館とは「万人ための造形美術の民間所蔵庫の基礎を置く」ことを念頭に自己のコレクションを民間寄贈に資することを固く決意していたと言う。社会主義の時代であるからこそ私利私欲でない蒐集姿勢、が、その資金は?と矛盾する考えにも安心。なぜならトレチャコフがそのような市民のための美術展示をこだわったのはまだ帝政ロシア、19世紀末のことだったからだ。
トレチャコフの遺志どおり、20世紀美術とそれにつながっていく、それまでのロシア美術の殿堂の風格を具えるだけの威容だ。トレチャコフ美術館は新館と旧館に別れているが、新館の規模こそとてつもない。20世紀、それもヨーロッパ印象主義後のロシア美術を知っている人など職業美術家以外いないのではないだろうか。それでも堪能するほどの量と技量なのだ。私見だが、カンディンスキーの祖国、シャガールの故郷故にドイツ表現主義、フォーブの兆しも明らかである。そしてマレーヴィッチ。
セザンヌの「絵画は円錐と円柱と球で描け」との教えを忠実に表現したマレーヴィッチの作品群が目白押しなどとても愉快。で、その間にウィーン象徴派や、イタリア未来派を意識した作品群。個別の名前を覚えてはいないが、社会主義下にあったこの地でこんな抽象的、実験的作品の数多に出会えるとは。
新館の規模、作品数、感動とは逆に旧館にロシア正教(ギリシャ正教から別れたあの歴史的過程)の栄華をあらわすバロック(ビザンチン)様式の作品が少なかったのが少し意外で残念ではあった。が、モスクワに行かれる方、超オススメである。
蛇足だが、新館の最寄り駅はロマの人もいる労働者街の風情。モスクワ中心街の雰囲気と少し違うが、新館の不便さともに(?)ぜひ足を伸ばしてほしいところだ。
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ハンス・アルプ展  岡崎市美術博物館は遠いがいいところ

2005-07-17 | 美術
どうも関係がある気がしていた。アルプとドイツ表現主義の面々が。それもそのはず、クレー、カンディンスキーらと「青騎士」年鑑の編集に参加していたという。あの明快な色使いはシュルレアリズムに影響を受け、あの何とも言えない不思議な形はダダイズムの影響だ。と、アルプをカテゴライズするのは簡単だが、詩人を目指していたアルプを説明するのは簡単ではない。
アルザス地方のシュトラースブルク(現在のストラスブール)に生まれたアルプは、ドイツ語とフランス語の二つの言葉を母語に持ち、ドイツ人/フランス人のそのどちらでもあり、そのどちらでもない。早くから造形芸術に興味を持ったアルプは同時に詩作にも没頭し、後に文学と芸術の垣根を超えた創作活動へとつながっていくのだ。だが、創作のための安住の地はナチスドイツのフランスへの侵攻のため、スイスに移り住んだり、アメリカ移住を志したりと安定しなかった。その中でもアルプは、ダダイストの友人ら(ブルトン、エルンスト、マン・レイ、ダリら)との交友をはぐくみ、旺盛な創作活動を止めなかった。そこで開化したのが「オブジェ言語」であり、「敷居彫刻」である。
オブジェ言語とは、「人間は万物の尺度ではない」(アルプ)ということを前提に人間をモノ化して、単純化する。たとえば口ひげ、“へそ”だけで他の何でもない日用品と同じ目線で人間を表現しようとする試み。また「敷居彫刻」は、金属の板をくり抜いて、いわば足すことによる彫刻制作を「ひく」ことによって表現。いずれも抽象的であるが、不思議とわかりやすく、ほのぼのと惹かれるフォルムだ。
ブランクーシの彫刻が研ぎすまされた自己に向かう洗練なら、アルプのそれは言わば異界(詩、日用品など)との融合。数々のトルソも一見およそ人間には見えないが、じっくり見ると人が膝づいて、あるいは四つん這いになっているように見えてくる。そして思わずにやりとしてしまう。アルプのフォルムの根底には自然界のそれが煌めいているからかもしれない。
最後に、ジャン・アルプと表記されることの多かったアルプがハンスとドイツ語式になった。アルプが出生した当時はドイツ領だったためそうなったのか。いずれにしてもバイリンガルに生まれたアルプの複雑な土地がらを表しているようではある。
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斬新な陶芸、安寧の正体  加守田章二展

2005-07-07 | 美術
自分に合う窯を探して各地を渡り歩く作家は少なくないかもしれない。加守田は栃木県益子に居をおき、柳田国男で有名な岩手県遠野に足をのばし、新境地を開いたという。遠野時代の作品の原点は須恵器である。日本におけるロクロ技術の大成とその大胆な可能性に挑戦した作品群は、色合いはもちろん、形も、大きさもどこか懐かしく、大地に近づいた感さえ覚えさせる心地よさを醸し出している。
益子焼と言えば、普段使いの安価な陶器と捉えがちであるし、加守田もお高くとまった陶芸をそこに見いだそうとしていたのではない。というのは、今回の作品群を見ていて、思ったのは「この花瓶にはどんな花が似合うだろうか」、細高いきりりとした一品には百合の一輪挿しだろうか。あるいは、須恵器の特有の泥臭い雰囲気の平鉢には、「白身の刺身と白髪ネギだろうか」なんて、その器が実際使われることを前提として醸し出された加守田の仕事に見入ってしまったからだ。
そう、陶芸展は器そのものに焦点をあて、その器がどう使われたら、供されたら美しいかについてはあまり想像力をかき立てる方向にいかない。それはそうだろう。陶芸展でいちいち花を生けていたら、その作品がかすんでしまうかもしれないし、まして花は高くつく。洗練された陶芸作品は、そのもの自体で自己完結していると言われればそれまでだが、益子焼の地で修行した加守田の作品に、古代人、平安人が愛した、あるいは普段使いとした須恵器に思いを寄せる加守田の心根になかなかたどり着けない。ような気がする。
加守田の作品にどこかほっとする陶芸素人に、斬新さとは必ずしもアバンギャルドではないという確信をある意味で与えたくれた本展である。
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「狂気」だけではない等身大のゴッホ

2005-06-25 | 美術
国立国際美術館で開催されているゴッホ展は、行き過ぎた献身を理由に伝道師の資格を剥奪された姿や、ゴーギャンとの生活の中で次第に心を病み、最後には自ら命を絶つと言う「狂気」に焦点をあてた紹介のされ方が多かったゴッホを「狂気の画家といった孤立したものとしてではなく、美術の歴史の一部として見直そおうとする試み」だ。したがって、ひまわりのような超有名作品がどんと中央に鎮座して後は習作ばかりという展示の仕方ではなく、オランダ時代、パリ時代、アルル、そしてサン・レミ療養所と時代を通してゴッホの作風がどのように変遷していったかわかりやすく展示してある。これを見ると、ゴッホは印象派はもちろん、スーラなどの点描、日本の浮世絵への傾倒、ドラクロアなどの宗教的寓意を含んだ作品の模写などスタイルをどんどん変遷させていることがわかる。そして、私たちがゴッホというすぐに思い浮かべる黄色を基調としたあの力強いタッチがアルル以降、亡くなるまでのわずかの間に花開いたということも。
バブルの時代に日本のある企業が「ひまわり」を58億円だったかで落札し、その後の日本企業の美術品漁りの先鞭となったのは有名だ。他の「バブル作品」が散逸する中で幸い「ひまわり」はまだ安田火災東郷青児美術館で見ることができる。ただし「ひまわり」もいいが、ゴッホのその生涯を俯瞰するなら本展のような試みが必要だ。何年か前に京都国立近代美術館だったか弟テオとのやりとりにスポットをあてた展覧会があり、おもしろいなと感じたのを覚えている。
本展はオランダはゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館からの出展だが、クレラー・ミュラーにはゴッホでなく、デュビュッフェの野外展示があり、それ目当てで行ったこともあって、ゴッホがこんなにたくさんあったとは覚えていなかった。金曜日は7時までの展示ということでたくさんの人出だったけれど、ヨーロッパの美術館のように週に一日だけでも9時までとか工夫できないものだろうか。
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静謐な先進性  ギュスターブ・モロー展

2005-06-12 | 美術
印象派ばかりもてはやされるこの国で、同時代のモローが取り上げられたのをまず多と思う。同時代とはいえ、モローは写実主義のクールベよりサロンに出たのは遅く、印象派の主立った人たちより年長である。そして主題の古典性と同時に反逆性。キリスト教的主題よりギリシャ・ローマ神話に題材をとり、キリスト教主題をとりあげたと思ったらそれまで誰も描いたことのないヨハネの首の浮かぶ「出現」である。毀誉褒貶のはげしい画家との解説もあるが、最初から最後まで評価された画家など少ないし、それはそれで後世に名を残さない絶対条件かもしれない。
生涯独身、ヨーロッパ古典神話とキリスト教寓意画の研究の発表として画業をつむいだモローはかえって、画材や絵画技法の先進性に無頓着とも見える。しかし、アジアの線描技法に引き寄せられ、かつ、彼の描く題材の神秘性(ギリシャなど古典神話の題材は、人間臭い新約聖書の題材よりはるかにピクチャレスクであるのは当たり前)は驚くほどで、サロメの指差す空中に浮かぶヨハネの首や、モローの生涯の起点たる母親を描いたとされるキマイラなど、これが水彩、あるいは油彩かと見紛うほど精巧かつ不可思議極まりない。印象派の画家たちが題材的には風俗画など、今で言うコンテンポラリーアートを実践した割にはカンバスに油彩一本やり、とは距離をおいた制作態度ではある。
モロー美術館は、パリの一角ラ・ロシュフーコの閑静な住宅街にある。ヨーロッパの小さな美術館はわりとそうであるが、モローが遺言で美術館にと残しただけあってその全体の雰囲気の良さ、いい意味での頑さは抜群。本展のエピローグを飾る「購い主 キリスト」は日本に運べなかったため、より小さな代替作とあるが迫力は十分。ただし、モローの作品から奏でられる静謐な訴えは、モロー美術館のあの螺旋階段で感じた方がより雰囲気としてはふさわしいだろう。
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