8年前の7月12日~14日、
ボーカルのトミヤちゃん、ベースのゴローちゃんと三人で、陸前高田を目指しました。
音楽を届けつつ、また、出来るボランティアも行うという旅でした。
震災から四か月の、暑い夏の日。
一生忘れることのない光景を、この目で見ました。
そして、写真では伝わりにくいものですが、爪痕が生々しく残る町で、空気を感じ、匂いを嗅ぎ、音を、聞きました。
この頃の記事を、いくつか。
「出発前夜。」
「着きました。」
「夕陽。」
「さよなら陸前高田。」
以下は、帰宅後にまとめたものです。写真も大きいです。
(生々しい、ショッキングな写真もあります。ご注意の上ご覧ください。)
「一日目。東京から、陸前高田、大船渡へ。」
「二日目。宿周辺~町へ。」
「二日目。ボランティアセンターから保育所。」
「錆びた鉄から、希望の木へ。」
「破壊者。」
「線路は続くよ。」
「新たな日々へ。」
現地の新聞にも載せて頂いたのでした。
「新聞に。」
なによりも思い出深いのは、「新たな日々へ」。という記事で書きました、商工会議所でのライブでの、下記のくだりです。
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こちらでも、本当に貴重な体験をさせていただきました。
今回の旅では、どこのライブもそうですが、普通にコンサート会場などで演奏をしている限り、体験しえない体験をさせて頂きました。
ライブ後、こちらで働く方に、「最初にピアノが鳴った瞬間ね、もう涙がでちゃって。そして、歌が聞こえてきて、また涙。」
なぜか、というお話もして下さいました。
「あれからね、ずーっと頑張ってきたのね。『私、頑張ってるなあ』って自分でもわかるくらい、本当に皆で頑張って、毎日、毎日過ごしてたのよね」
「そして今日、あれから初めて、音楽を聴いたの。そしたら、もう、バーッと涙が溢れてきちゃって」
「『ああ、私は、こうやって、音楽を聴いていいんだ。楽しんでも、いいんだ』って思えたら、ものすごく泣けてきちゃって」
こう仰ったのです。
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音楽なんて、食べ物にも着る物にもならない。生活に無くたって、別に困るものではない・・・と、あの環境下では、特に思わざるをえず、
だから、音楽で僕たちに出来ることなんて、ただただ、余計な迷惑をかけに来たのでは、歓迎なんてされるわけがないのでは・・・、と皆、言葉には出さずとも、どこかで不安がずっとあったと思うのです。
でも、この方の言葉を聞いて、本当に、心から安堵したのでした。立っている力が、抜けるくらいに。
勿論、それ以外にも音を楽しんで下さった皆様のお顔を見て、こんな状況であっても、もしかしたら、こんな状況だからこそ、音楽にも居場所はある、と思ったのでした。
あの時、復興には50年かかる。
そんな言葉が聞こえてきました。
8年経って、どうでしょう。まだ不便な避難生活を強いられている方も、沢山おられます。
事故を起こした原発の事後処理、そして廃炉問題も、当初の見通しから遥かに遅れ、その費用もどんどん大きくなっているようです。
大変なことが起きたものです。
間もなく元号が変わりますが、地球は、それとは関係なくずっと活動をしているわけです。
大きな地震が来る確率は、という怖い試算も、いつも言われています。
日本という国は、そういう国なんですよね。
でも、でも。
だからこそ。
頑張りましょう。
まだまだ、これからも。
ずっと。
元気で!
ではー。