今年も、8月6日がやってきました。
3月11日の、まさかの(・・・色々といわれてはいましたが、やっぱり、まさかの、だったと思います)大震災で、
いちどきに沢山の町が壊され、生活が消え去り、大勢の人が亡くなり、さらにもっと大勢の人が、愛する家族や大切な友人を失いました。
今回の大震災によって引き起こされた数々の事柄を、あの、悲しく、忌まわしい原爆の悲劇と重ね合わせてしまうのは、
僕だけではないと思います。
なので、今年は、とりわけ、特別な思いで今日を迎えました。
あの日に、「絶対に核をなくすべきだ」と書きこみを残された方がおられたようです。
まさか、翌日に、原発が水素爆発を起こし、放射能が日本の広い範囲を覆うことになろうとは、思ってもみなかったことでしょう。
このときは、「子どもたちの見た戦争~はだしのゲンとともに」という企画展が行われていました
まだまだ幼く、とっても小さくみえる子が、10年もしたら高校生になり、20年もしたら、もしかしたら、もう母親になっているかもしれません。
子どもが、すぐ先の未来を作るのですよね。
何度でも、いつまでも、声をあげ続けないといけないのですよね。
なぜなら、
・・・核が無くなってないから、なんですよね。
広島、長崎の時には、世界に2つしかなかった核爆弾は(その2つともが、日本に落とされたのです)、
あれからどんどん増え、今、27000発あまりも、この地球上にあるのです。
「核兵器を保有する国の一覧」
そして、核を使うのは、爆弾だけではない世の中になりました。
しかし、
放射能は、同じものです。
人間が、それに触れれば、爆弾からのものでも、発電所のものでも、同じように被害にあうのです。
自動車のパーツで、一番大切なものをご存知でしょうか?
やっぱり、エンジン?
エンジンをかけるためのキー?
クルマを走らせるためのタイヤ?
スピードを上げるためのアクセル?
クルマを好きなように曲げるためのハンドル?
暗闇で、前が見えるようにするライト?
いいえ、
ブレーキ、なんです。
止まれなければ、クルマは、決して便利な乗り物なんかじゃありません。
ただの、暴走する鉄の塊にしかすぎないのです。
ブレーキの壊れたクルマが町を走れば、間違いなくモノを壊し、人を殺します。
「いざという時には、ブレーキを踏めばクルマは静止する。」
この大前提があった上で、はじめて、クルマは便利な乗り物、とされているのです。
いざという時にコントロールできないものを、稼動させてしまったのは、僕たち人間の、許されざる驕りであり、そして、大きなエラーだったのではないかな、
と、どうしても思ってしまいます。
この失点を回復するのは、これから相当な時間と、力と、覚悟が必要でしょう。
とにかく、・・・もうエラーは許されない、ということです。
広島発の、日本発の、核と、世界の平和を考える日に。
トップの写真は、広島の平和記念公園の慰霊碑の前で見つけた、人形です。
いつもあったものなのかは分かりませんが、この時、初めて見つけました。
今も、あるのでしょうか。
そして、今日の記念式典には、彼(彼女かな)も、参加したのでしょうか。
ではー。