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成田 正の楽屋入り口 by STHILA COMMUNICATIONS

アニタ・オデイ

2006-11-24 14:55:53 | ●ディーヴァの肖像
 昨夜、「アニタ・オデイ的スキル...」と書いたら、奇しくも逝去。前項のアップはその直後のことになる。 合掌。
Jazz Vocal legend Anita O’Day passed this morning October 23, 2006 at 6:17AM in West Los Angeles. The cause of death was cardiac arrest according to her manager Robbie Cavalina. Born Anita Belle Colton in Chicago, Illinois on October 18, 1919, O’Day got her start as a teen. She eventually changed her name to O’Day and in the late 1930’s began singing in a jazz club called the Off- Beat, a popular hangout for musicians like band leader and drummer Gene Krupa. In 1941 she joined Krupa’s band, and a few weeks later Krupa hired trumpeter Roy Eldridge. O’Day and Eldridge had great chemistry on stage and their duet “Let Me Off Uptown” became a million-dollar-seller, boosting the popularity of the Krupa band. Also that year, “Down Beat” magazine named O’Day “New Star of the Year” and, in 1942, she was selected as one of the top five big band singers. After her stint with, Krupa, O’Day joined Stan Kenton's band. She left the band after a year and returned to Krupa. Singer Jackie Cain remembers the first time she saw O’Day with the Krupa band. “I was really impressed,” she recalls, “She (O’Day) sang with a jazz feel, and that was kind of fresh and new at the time.” Later, O’Day joined Stan Kenton’s band with whom she cut an album that featured the hit tune “And Her Tears Flowed Like Wine” In the late’40s, O’Day struck out on her own. She teamed up with drummer John Poole, with whom she played for the next 32 years. Her album “Anita”, which she recorded on producer Norman Granz’s new Verve label, elevated her career to new heights. She began performing in festivals and concerts with such illustrious musicians as Louis Armstrong, Dinah Washington, Georg Shearing and Thelonious Monk. O’Day also appeared in the documentary filmed at the Newport Jazz Festival in 1958 called “Jazz on a Summer Day”, which made her an international star. Throughout the ‘60s Anita continued to tour and record while addicted to heroin and in 1969 she nearly died from an overdose. O’Day eventually beat her addiction and returned to work. In 1981 she published her autobiography “High Times, Hard Times” which, among other things, talked candidly about her drug addiction. Her final recording was "Indestructible Anita O'Day" and featured Eddie Locke, Chip Jackson, Roswell Rudd, Lafayette Harris, Tommy Morimoto and the great Joe Wider. A documentary, "ANITA O'DAY-THE LIFE OF A JAZZ SINGER" will be released in 2007. For more info visit: http://www.anitaoday.com/

アニー・セリック

2006-11-24 00:20:09 | ●ディーヴァの肖像
 仕事柄から普段はまず浅く広く聴き、その中からピンときた順に優先順位を付け、コレというやつは盤面が擦り切れるくらい聴き込む。それが、オーディオの電源を浄化してからますます楽しくなってきた、という順の話しでもオーディオ自慢になることに変わりないか。ともあれ、それに前後した期間全般の今年、とにかく女性ヴォーカルが面白かった。かしこまって順位を付けるとまた気が変わるから=実際、再調を繰り返すと好き嫌いも変調する=ここ2週間、毎晩聴いているのが『四月の思い出/アニー・セリック(No Greater Thrill/Annie Sellick)』だと。彼女には前作に当たるアルバムで、もう過去のことなのかも知れないが、「アフター・ノラ・ジョーンズ」を象徴するかのようなこの歌のパンチ力とセクシーな雑味、そして、真っ赤なACコブラがお似合いの美形(アルバムのアート・ワーク)には、下半身を中心にして色々なところをやられたって感じ。いや、それは半分冗談にしても、若き白人女性ながらアニタ・オデイ的なスキルと芸能性を備え、なおかつ明るいセピア調を描ける表現力の見事さ、これには参ったというか、「チーク・トゥ・チーク」を毎日一度は聴かないと寝付きが悪いみたいな感じでいる。先月インタヴューしたフレドリカ・スタール嬢は「ノラ・ジョーンズが開けてくれた窓の向こうに光を見つけた」とか言っていたけれど、そこを見ないで頑張るディーヴァ予備軍、僕にはこっちの方が俄然逞しく頼もしく好感度絶大だ。その次に今のところ、やはりソフィ・ミルマン、エリザベス・コントゥマノウ、エミリー・クレア・バーロウ、アン・ハンプトン・キャラウェイ。ダイアナ・クラールのスタンダード集は素晴らしいけど落ち着き払い過ぎ。マデリン・ペルーを深夜聴くと、ビリー・ホリデイが還ってくるようでちょっと怖い。ティファニーはお愛嬌満点なのがちょっと、と。で、『四月の思い出』には、「ベスト・カヴァー・デザイン賞」も謹呈。

仔猫とPC

2006-11-17 18:14:17 | ●Cat
場違いのフォルダーに入ってた写真をやっと発見。05年11月に撮った生後半年弱の三毛仔猫。痛い思いは『CDジャーナル』誌05年11月号に次のように。「猫が三匹になって猫の手を借りた。目を離した隙に仔猫がkb上を横断。NumロックよりBSロックが欲しい」。これはもう旧聞に属するとして、PCモニターのデュアル・ヘッド・カード(Matrox G-550)とそのモニター・システム、ペーパーレス化を進めるためG-450の時代から7年使ってきたけれど、楽しいスクリーン・セーヴァーも現れず、ワイド型や25インチ超の新型も多い中、そろそろ考え直す時期が来たかなあと。Win-Vistaを走らすには最低2GHzのメモリーが必要になることだし。ただこれ、片方にDVDの画をフル・スクリーンで出し、一方でワープロ入力するとか、その好感触には捨てがたいものがある。ハイ・ディフィニションの画で、金魚のスクリーン・セーヴァーでもこの三毛に見せてあげたいところ。なお、この三毛、一歳半に近づいてもまだ「ニャー」と泣けず「ホャー」と言うだけなので、心配して獣医氏に尋ねたら「そんなのいっぱいいます」とのことでひと安心。その代わりコイツだけ、ハード・バップ系をかけるとすぐ消える。

クラス会

2006-11-13 23:55:17 | ●Weblog
 11月11日(土)18時から、浜松町の某ホテルで高校1年のクラス会。約20人の同級生と約30年ぶりの再会。ほかの大半は同期会とかで会ってきたそうだが、それに出られなかった僕にはどこか入学式に似た気分で、乾杯の音頭を聞くまでと、その後しばらくは緊張ぎみ。なぜなら皆、髪が全部行っちゃったとか、ツィギーだったのが何倍にもなってたとか豹変したのがひとりもいず、集合写真をセピアに染めでもしたら雰囲気が一緒になる感じがしたから。あとが面倒だからとカメラを持っていかなかったのが大失敗。ただ、クラス会というのは、どうなんだろう、僕には前向きになる情動を鼓舞されたためしがない。と言って、昔は良かったねでもないのは、思い出作りによほど不器用だったんだろうな、とも。突然に思い出した光景は、池袋のジャズ喫茶「ベッド」と「キス」の紫煙くゆる店内でした。http://la-chansonet.com/kitazono23.html

オーディオ専用電源

2006-11-11 00:37:18 | ●Audio&Visual

9日(木)にオーディオ専用電源の配線工事を終え、聞きしに勝るその音の肉感、速度、繊細さ、立体感など、まだ何をどう言うべきか分からず、ただただ刻々と良くなっていく音を聴きながらエージングを進めるのみ。



でも、今のところひとつ言えるのは、当分はCSEやフライングモールのお世話にならずに済みそう、ということ。ソリッドアコースティックの12面体SPも、なんか偉そうな音を出すように。

●スーパー・クライオ・ブレーカー→オヤイデEE/F-S2.6→オヤイデSWO-XXX Ultimo→システム●丁寧で正確な工事は前出のhttp://homepage3.nifty.com/kuriden/sakusaku/1_1.htm

再iTunes Charts

2006-11-05 23:31:13 | ●Weblog
 すべて想像なのをお断りした上で、フィンランドというこのお国、善し悪しを別にたぶんiPodが普及してない。アンケートなら非常に少ないサンプルしか採れないところに、少ないユーザーの間で何かしらの特需が起こったとする、たとえば、トム・ジョーンズがふらりと観光にやってきたとか。すると、井戸端会議が大騒ぎみたいに、ある意味、オタクだけのフォーラムみたいな、半径20メートルくらいの様相を活写した感じで、それはそれで実に面白いのだが、マスのデータが反映されるなら、日々刻々、こんな大きな移ろいがあるはずもない。マイルス・デイヴィスの『シエスタ』が9位というのはなんだろう、再上映でもあったんだろうか。ともあれ今日、コンコード・ジャズ・フェスティヴァルを聴きに五反田を往復する間、日曜で座れたため色々聴き続けてみたが、結局インナーイヤー・ヘッドフォンが性に合わないことをしみじみ痛感。と言って、Boseのノイズ・キャンセリング型は夏場には絶対御法度。移動中はやはり、読書か妄想にふけるべきかとフィンランド出身のジャニータ嬢の『シーズンズ・オブ・ライフ』を聴きながら妄想にふけった次第。http://jad.fujitsu.com/event/2006/concord/

iTunes Charts

2006-11-02 00:07:12 | ●Weblog
 歌は世につれ世は歌につれ。世界各国どこもビルボード・ジャズ・チャート的様相なのに、フィンランドのiTunes Chartsには「あんれまあ!?」。ホレス・シルヴァーのBN盤がトッパーで、トム・ジョーンズが3位、ホレス・パーランが7位というのもあれっ? 順位付けしたサンプル数を知りたいところだが、ただ、先週、フィンランド出身の才媛ジャニータ嬢のインタヴューで聞いた、「私の母国はジャズに関して極めて奥手なんです」との言に奇妙に符合する感じに興味津々。まだ調べは手薄だが、これって「ダウンロード・ヒット」の総数だと読み取っていいはず。するとみんなが圧縮された音声ファイルを聴いているわけだ、ということはひとまず置いておくとしても、フィンランド、ジャニータ嬢の美形にやられたことばかりが理由でなく、ホント、一度行ってみたくなった。絶版になったカートリッジの針とか真空管とかコンビニにありそうな気配が、このチャートにはあるもの。決して遅れているという意味ではなく。そうならオーディオ通には、こんなに進んだ国もない。