もとdaregaitsdoco.com

成田 正の楽屋入り口 by STHILA COMMUNICATIONS

ホワット・イズ・ヒップ

2007-07-27 01:53:25 | ●Weblog
 小曽根真にインタヴューした帰りに、新宿のタワレコでクラシック系のCDを久しぶりに買った。たぶん10数年ぶりだが、なぜか嬉しい。タイトルは、アシュケナージが指揮するチェコ・フィルのSACD『R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りきe.t.c.』(Octavia Records)。目当ては、そのツァラトゥストラ導入部「日の出」のパイプ・オルガン。その訳は、今週月曜、『STEREO』誌の「低音引き締め協議会」(僕が勝手につけた仮題)が、田中伊佐資さんの指揮の下、拙宅の老機器システムを診断した結果、「悪くはない」とのお世辞をもらえたから。が、地鳴りのようになるはずの低域が、ソニーのマスター・サウンド45回転LP(32AC-1076)の足元にも及ばずがっくり。ジャズとクラシックを両輪に走れる四駆のようなオーディオは、やはり夢のまた夢らしい。それにしても8時間超のオーディオ取材には恐れ入り、そして、感謝感激。インシュレーターやボードを換えるたび低域の表情が激変し、時にまるで別のシステムみたいに鳴るのにはびっくり。さらなる感想は、掲載誌が出た後にまた改めて。で、ここ数日いい感じで楽しんでいる新譜は、ティム・ハウザーの初リーダー作『ラヴ・ストーリーズ』『アビス/山中千尋』『フリー/マーカス・ミラー』の「ホワット・イズ・ヒップ」など。

検索データの更新

2007-07-19 01:51:19 | ●検索データの修正
 半年単位の更新が、訳あって8月にずれ込みます。リレーショナル・データベース・ソフトのリレーショナルなところを活用しようとマクロやら何やらをいじっているうち、訳分からなくなってきたもので。ただし、データには影響なし。検索結果にミニ・バイオが付いてくるようにしたかったんだけれど、あれこれ高いハードルばかり訪れ大変。ご容赦を。

ティネカ・ポスマ070719

2007-07-19 00:01:40 | ●ディーヴァの肖像


 昨日、『ジャーニー・ザット・マターズ/ティネカ・ポスマ』(55 Records)の本盤が届いたので改めて聴いたら改めて相当イイ、いや、猛烈にイイ。音楽的にどうイイかは『JazzLife』誌8月号のディスク・レヴューで書けたつもりなので、ここではさて音。こういうのが僕は大好きだ。ピアノのリヴァーブとシンバルの定位が左右にやや広いことにはじめは目がチカチカしたが、エッジの切れと下への沈み込みが深いアコベが、音像のしまりにけじめを付ける。ハイがキンキン来るキラキラ星のようなピアノも、ちょっとダーク・トーン寄りなティネカのサックスの芯をあぶり出す、遠赤外線ヒーターのような効果をあげている。ではと、試しにヘッドフォンでも聴いた。なぜなら、DAC1に対するネットの言説に「DAコンバーターの性能よりヘッドフォン・アンプの力の方が優れている」というのが多かったことと、BOSEのノイズ・キャンセリング・ヘッドフォンQuiet Comfort2を2年前に手に入れたきり、ろくなもてなしをしないままきたから。だから、ヘッドフォンの音にどうこう言える者ではないが、AU-α907XRとXA7ESのヘッドフォン・アウト三つを比べると、ソプラノ・サックスの高域に余裕が感じられるなど、いちばん繊細な再生音に思え、DAC1とBOSE、そして、ティネカ嬢の表現力を改めて見直した次第。ただ、密閉型ヘッドフォンの冬温かいのは結構だが、高湿な夏場はエアコンを効かせた部屋でもCD1枚聴くのが限界。そういえば昔、『FM fan』誌のディスク・レヴューに「ヘッドフォンでも聴いたらなお面白かった」みたいなことを書いたら、編集から「そのフレイズは削除して下さい」とどやされたことがある。ヘッドフォンを純オーディオ機とは見なさない、というのが向こうさんの言い分のようだったが、オーディオ頁にはよく出てきた記憶もなきにしもあらず。しかし、都内中央でよく見かける、ダブル・チーズバーガーみたいな耳当てかぶって一体何を聴くのかというヘッドフォン族、「暑くないの?」を通り越して脳軟化症にでもならなきゃいいがと、見るたびハラハラ汗が滲んできて困る。

ビル・チャーラップ

2007-07-16 23:45:52 | ●Weblog
 今月発売のピアノ・トリオ盤の中では、ビル・チャーラップのヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ『オータム・イン・ニューヨーク』(Blue Note/EMIミュージック・ジャパン)が抜群に良かった。なにしろ、プロデューサー&エンジニアのジョエル・モスが継投したのが良かった。ジャンルを超えた広角打法でグラミーを獲得し、映画やミュージカルなどでエミー・ノミネートを積み重ねてきたこの才人の音に対するこだわりは、Blue Noteでは前作に当たる『プレイズ・ジョージ・ガーシュイン』のインナー・フォトで痛いほど分かった。ピアノ・トリオと4管ホーンズをふた部屋で録音するのは合理や功利とは別のところにある、ライヴの音調や位相最優先の気概を忘れないでいるからに違いない。ヴィーナス盤の音を決定づけるキャサリン・ミラーとの違いはどうやらそこにありそうだと、スティーヴ・キューンのバードランド・ライヴと聴き比べたら疑問符が吹っ飛んだ。ヴァンガード・ライヴに名盤が多いのは衆知のこと。では、何がそうならしめるかというと、あのクラブがよく言われるところの「聖域」ではなく、むしろ「梁山泊」と呼ぶのがお似合いの性を育んできたからだ。ジョエル・モスの録音は、最新の技術と古来の取材術で、その波動をつかんでいる。03年9月録音が今出てくることにあれっと思ったものの、聴き終えればどうだろう、ひと口に言えば蒸らしに蒸らした感じ、達成感満点の創作原稿なら、寝かせる限り寝かせて出稿した、そんなテイストに喉が渇いて張り付きそうになった。中でもとりわけ、「ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ」での尻テーマに、「ネフェルティティ」の一節をひょいと引用するところ。これは実にカッコいい。ライナー・ノーツも、既出の専門誌レヴューも、そのことにノータッチとはいただけないなあ、チャーラップ当人にも重箱の隅の出来事じゃあないと思えるんだけど。8月7日から、この録音メンバーのふたりのワシントンと丸の内Cotton Clubに4日間シットイン。これは聴き逃せない。

 

セルフ給油

2007-07-14 23:45:31 | ●Weblog
  家から300メール圏内のガソリン・スタンドがリニューアルなったので、今日、雨の中行ってみると、すべてのマシンがセルフ給油になっていてドキっ!! 恥ずかしながら、学生だった約30年前にスタンドのバイトをやって以来、あの何と言うの、マシンガンみたいな給油ホースの先を、自分でガス・リッドに突っ込んだ試しがない、そして、外に出てリッドを手で開けたのも、さらにその奥のキャップを回したのも、Mini1000とさよならしてからだからほとんど20年ぶり、というので、それらすべてを、若いお兄さん係員の指導でやった。PC画面やATM感覚で済む支払いは、まあ好きだから容易に理解できた。が、車乗りがいかに車をほったらかしにしてきたかに唖然、愕然。お兄さんがひとりもいなかったら、と思うと後で背筋が寒くなった。昔、ロスとインディアナポリスでの記憶は、マシンが吐き出すプリント・アウトを持ってレジに行き、そこで支払いを済ませたはずだが(運転や給油は人任せ)、今やもう給油機相手に一気に事が済む、というか、間違いや誤解の分け入る余地が一切なくなったかに見えた。と同時に、ガス代の高いことったら衆知の通りひどいもの。車をあまり使わなくなってから、遠出する時以外は最大20リットルしか入れない。満タンにすると、人ひとり分の重さになって不合理なのと、タンク内での成分劣化や気化損が嫌だからだが、SACDが1枚買える、と直感したあの時の貧乏臭さは何だったろうと、さっきから一喜一憂しながら、半月振りにバーボンを呑み始めた。どうでもいいでしょうが、台風が去ったら撮影だ。

ビニケ残部僅少

2007-07-07 22:41:46 | ●Weblog
 CDのプラ・ケースを捨てて、居住空間を少しでも圧迫しないようにしよう。写真は、新譜20タイトルをビニケに移し替え、これからアルファベット・オーダーの棚に収める直前。ビニケにすると、高さにしておよそ3分の1、当たり前だが、千枚入るラックに3千枚収まる計算だ。これをライフワークとわきまえ、かれこれ5年続けてきたがまだすべてに及ぶわけもなく、そうこうしているうち2万枚のストックが底を尽きる寸前なことに気づき慌てた。元音楽之友社の編集氏の開発設計したこのビニケは、一切のムダをはぶきディスクに優しい超名品。追加オーダーの件、ぜひよろしくお願いしますとここでもう一度改めて。主旨は違っても、たしかプラケのムダについて寺島さんもどこかで書いていた。こいつには、ほぼ万国共通の規格があるだけで、作品に付随したオリジナリティは皆無だみたいなことを。とはいえ、梱包紐で縛ってゴミ出しする直前は毎度一瞬とまどうが、捨てない限りビニケの恩恵に浴することができない。ただ、この移行作業は相当に地味で、かなりの根気が必要。空いたプラケを玄関前に山積みしておいたら、「内職ですか?」ときた出前兄さんの蕎麦屋には、あれから頼まないことにした、など色々あるが、もはや暫定的終点を目指し続けるほか手がない。ちなみに、iPodやリムーバブル・ディスクではダメで、どうしても現物が10数枚必要になる仕事の時は、5インチ・フロッピーの空箱がぴったり。重さもプラケの半分くらいになるんじゃないだろうか。

8インチのフロッピー

2007-07-03 23:24:05 | ●Weblog
 倉庫の書棚にもう四半世紀近く眠っているのは分かっていたけど、隣のNY地図帖を取り出したら張り付いてきたのでケースを開けてみた。8インチのフロッピー・ディスク。3.5インチ盤の約4倍の表面積。それで容量はたしか640kどまり。手書きラベルの「YOUKARA」というのは、84年頃に出た日本語ワープロのパイオニア。MS-DOSの出現とほぼ同じ頃だったはず。そうか、原稿の手書きをやめてもう四半世紀、漢字を忘れるはずだ。NECの98Eにドライブをブラ下げて、2年は使ったかな。という思い出浮かれより、8インチ・フロッピーを読み取れる環境って、まだどこかにあるんだろうか。今のところ、人生最後の宮仕え時代の原稿が入っているだけに、どうしたものかと酒を呑み始めてしまった。AppleⅡは訳なく残っていても、DOS-V以前のNECは全部捨てちゃったからなあ。ただ、いくつかのMS-DOSプロンプトをまだ覚えているのには笑った。「ver」「cd」「dir」「autoexec」などなど。マイクロソフトとNECがひとり勝ちの、楽しい時代だった。ちなみに、ハードディスクなるものを初めて買ったのは忘れもしない88年、スイングジャーナル社の『新・世界ジャズ人名辞典』巻末の来日ミュージシャンのデータをまとめるため。みどり電子のSASI/20MHzが、な、なんと9万円。そういえばあのディスク、見かけ上のデータ消去をしただけでゴミ出ししちゃったけど、誰か読んでたりして。あと、ゲイリー・トーマスの懐中時計というのを、関係各位諸氏はご記憶ですか。これも一緒に出てきた。ともあれ、こうして面白い物が次々と姿を現すと、かなりハマりそうで怖い。次なるターゲットは、初代カセット・ウォークマンとプレスマン(これはつい3、4年前まで引き出しにあった)。初代キャノン・オートボーイは元箱付きを冷凍保存中。という風に物をつかんでいたところで、それがお宝番組で珍重されるのは、孫ひ孫の時代。ま、そのための準備と言えばいいわけもたつか。

DAコンバーター

2007-07-02 23:58:24 | ●Weblog

 ベンチマークDAC1が、DACプリとしてどこまで行けるか試してみたら、ウチのシステムではダメだった。いや、ダメでは言い過ぎで、パワー・アンプがオンキヨーのA-933程度だったせいか、ケーブル類が脆弱なのか、ローエンド機器ゆえか、帯域幅は変わらない感じなのに音像の直径が明らかに小さくなった。ではと奮起してトップボードはずしに慎重にリトライしたら、やった、開いた。まず、「何でも来い(デフォールト)」「光のみ」「同軸のみ」「XLRのみ」の4系統選べる入力ジャンパー・ピンを「同軸のみ」に固定し、次は同様に「0db」「-10db」「-20db(デフォールト)」「-30db」がチョイスできる「XLR Output Attenuation」のジャンパーを「-10db」に差し替え。酒を控えているにも係わらず、ルーペを持つ左手が震えたが、結果は大成功。ソニー技術部門トップ出の熟練エンジニアTさんの講釈が、ソニーXA7ES改内蔵DACと聴き比べることで身に染みて分かった。「ガラスで仕切られた向こう側の画像を、ゆがみを限りなく少なくした上で極めて精細に描き直している」との言が。ジッター1ppmをロジカルに謳う16bit&44.1kHzのD-Clock/DENTECと、アップ・サンプリング時にひとひねり加えることで24bit&192kHz対応にしたDAC1、なんか偉そうな口ぶりになってきたけど、ヤフオク送りをしばし考え直すことにした。というのも、DAC1の左右ステージ幅が狭くなることに目をつぶれば、両者の精細度の網目模様には甲乙つけがたいものがあったから。つまりカメラにたとえれば、DAC1はファインダーに映る景色だけを濃厚にタイトに映す一眼レフ、DENTECはフィルムにまで至らない周辺まで見せるライカM系のレンジ・ファインダー風、じゃないかと。LS3/5A間の内寸幅は82センチ。聴いた曲は『マイ・ルーム/チェーザレ・ピッコ』の1曲目。もう1枚の写真は円卓下の惨状。唯一の売りは、システムのフロント側にもリア側にもゆったり空きがあること。期間限定の断酒前は、ケーブルを新調するたび、アンプやらのリア・パネルを眺めながらよく酒を飲んだ。一方で最低なのは、SPケーブルがいかに妥協したにしても、片チャン最低5メートル要ること。パワードのSPにしたところで、今度はインターコネクト・ケーブルで同じ憂き目を見るわけで、やっかい極まりなし。