たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

セデック・バレ

2013年05月28日 15時21分12秒 | 文献研究

最近、2週つづけて、公開中の台湾映画『セデック・バレ』(前編・後編)を観にでかけた。日本統治時代の1930年(昭和5年)10月に、台中州能高郡の霧社で、原住民セデック族によって企てられ、134人の日本人が殺害された抗日暴動、いわゆる「霧社事件(ムシャジケン)」が扱われいる。その事件の顛末が、セデック族の側から描かれている、見応えのある映画である。個人的には、狩猟民セデックの描かれ方に強い関心がある。首草して、首を手に入れて顔に刺青を入れ、一人前の男となり、ようやく、死後に、虹の橋を渡っていくことができるという、セデックの男の理想が、一連の暴動の背景に丹念に描かれる。それらは、民族誌的な事実であるのかどうか分からないが、狩りや首狩り、入れ墨の習慣があることなど、ボルネオ島の諸民族とじつによく似ている。言葉の響きも、同じオーストロネシア語族ゆえ、似ているのであろう。狩り場である森を裸足で駆ける姿は、私の調査地で見かけるものと差はない(写真は、パンフレットから)。眩いばかりの緑の森の映像もまた、素晴らしかった。モーナが、頭目として、マヘボ社の行動を決める前に、虹のかかる滝で、死んだ親と交信して、かけあいの歌を歌うスピリチュアルなシーンがいい。


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