落葉松亭日記

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中国人数千人がベトナムから脱出

2014年05月27日 | 政治・外交
18日から19日にかけて、反中デモに沸くベトナムから中国人数千人が脱出した。
危なくなれば逃げる、当たり前のことだが、その行動は組織だっており侮れない。
長野での五輪聖火リレーの時、国旗を持って動員集結したシナ人たちが思い出される。
中国人数千人がベトナムから退避、チャーター船到着2014.05.20 Tue posted at 10:32 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35048138.html

香港(CNN) 反中デモが激化しているベトナムに19日、中国人を退避させるためのチャーター船2隻が到着した。
中国国営新華社通信などの報道によると、チャーター船は、中国の施設や労働者を狙う暴動が起きたハティンに入港。1隻は同日989人を乗せて、中国南部の海南省海口に向かった。
さらに2隻がベトナムに向かっており、約4000人の中国人をベトナムから出国させる予定だとしている。
中国当局は18日の時点で、既に3000人以上がベトナムから退避したと発表していた。
当局によると、これまでの暴動で中国人2人が死亡、100人以上が負傷している。重傷者16人はチャーター機で18日に中国に帰国し、四川省成都の病院に入院した。
重傷を負ったのはハティンで鉄鋼施設の建設を請け負っていた中国企業の従業員で、鉄棒で殴られてけがをしているという。
ベトナムの反中デモは、中国とベトナムが領有権を主張している南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島付近で、中国が石油掘削作業に着手したことを巡る衝突が発端となった。
ベトナム当局はデモの摘発に乗り出して数百人を逮捕。主要地域の警備を強化して、デモに参加しないよう市民に呼びかけている。
一方、中国は国民にベトナムへの渡航自粛を呼びかけるとともに、ベトナムとの間で予定していた一部の二国間交流事業を中止すると表明した。

中国、ベトナムから自国民退避を加速 南シナ海での対立で2014.05.18 Sun posted at 17:47 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35048065.html

ベトナムから中国人3000人が避難
香港(CNN) 中国の国営新華社通信は18日、ベトナム内での反中デモの高まりを受け、これまで3000人以上のベトナム在住の中国人が同国外へ退避したと報じた。デモは、ベトナムが領有権を主張する南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島近くでの中国企業による石油掘削作業の着手が誘因となった。
新華社は中国の交通運輸省の情報として、船舶5隻をベトナムに送り、より多数の中国人の出国支援に当たると伝えた。船舶の1隻は既に海南島(省)から出港した。
新華社によると、中国系の工場を襲うなどしたデモで中国人2人が死亡、100人以上が負傷した。重傷を負った16人は18日朝、中国当局が手配した医療専門機でベトナムから離れた。
今回のデモは特にベトナム中部ハティン省で激化し、中国や台湾系の工場を中心とする外国資本の工場での放火や略奪が続いた。中国当局はベトナム政府に対し再三、デモに伴う暴動鎮圧、中国人保護や被害者への支援を要求した。
ベトナム内でのデモ活動は通常禁じられているが、当局は今回、黙認の姿勢を示した。ただ、工場襲撃などの過激行動の発生後、規制に乗り出している。
国営ベトナム通信(VNA)は17日、チャン・ダイ・クアン公安相の発言を引用し、デモなどに絡み容疑者数百人を逮捕したと伝えた。デモ規制の警官数十人が負傷したとも報じた。
一方、パラセル諸島近くでの両国船舶のにらみ合いに緩和の兆しはなく、ベトナム通信は17日、中国側はパラセル諸島近くに設置した海上油井設備周辺への軍用船を増強させたと伝えた。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  平成26(2014)年5月26日(月曜日)参        通巻第4248号
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http://melma.com/backnumber_45206/

けっきょくベトナムから逃げ帰った中国人は七千人
  チャーター機は三機、大型旅客船やフェリーなど五隻の艦船でエクソダス作戦


 五月半ばに突発的におきたベトナムの反中国暴動は、大量の中国人を脱出させる結末となったが、合計7000名が駐越中国大使館のアレンジで取った行動であることが判明した。
 大使館が指導する組織動員は、北京五輪前の聖火リレー長野で、動員された中国人の狼藉をみた。あの日、長野は五星紅旗で覆い尽くされ、反対にでかけていった日本人と衝突を繰り返した。中国人の暴力は不問に付された。
また東日本大震災のとき、およそ18万人の中国人が逃げ帰った様を、われわれわれは目撃した。大使館のアレンジで、一斉に逃亡するということは日頃から、そういうマニュアルが存在していることを意味する。むしろ不気味である。
在日中国人の動向をつねに大使館の或る部門が把握し、携帯電話の番号もちゃんと統括しているからこそ出来る「芸当」だからである。
 カダフィ政権崩壊後のリビアから合計36000名の中国人が世紀の大脱走を演じたように。

 日本は、率直に言ってこのポイントを重視する必要がある。
 なぜならイラン・イラク戦争のおり、テヘラン空港に取り残された在留邦人に、日本政府は何をしたか? 見かねてトルコ航空機が助けにきてくれたではないか。
 湾岸戦争前夜、バグダットに取り残された在留邦人に日本航空は救援機を飛ばすことを拒否した。けっきょく誰が助けてくれたのか。台湾のエバ・エアーだったではないか。中国でおきた反日暴動でも、在留邦人はばらばらに帰国した。


 さてベトナムからのエクソダス作戦はどのように展開されたか?
 駐越中国大使館は5月16日に特別チームを編成した。
 5月17日にはやくもチャーター機が二機、ハノイへ飛んだ。三千人は、この日までに陸路あるいは独自のフライト予約でベトナムから逃げ出したが、チャーター機二機は四川省成都へ飛んでおもに負傷者、重傷者を運んだ。重軽傷は307名で中国南方航空が飛来した。

 五月19日までには海南島海口港を出港した大型客船、フェリーは5月20日に合計3553人を収容した。「五指山号」「銅鼓号」「紫刑号」「白石号」の四隻は大型客船で、ベトナム永安港から海口港へと運んだ。 海南省海口市では120の緊急病院が受け入れ準備をしていたという。


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